野の花

多田いづみ

野の花

 現実の世界では、なんの取り柄もないきみ。悲しい敗者、塵芥ちりあくたのような存在のきみが、どういうわけか異界の勇者に選ばれた。


 滅びゆく世界をどうか救ってほしい――と、異界の神からの直々のお願いだ。きみが慢性的な運動不足で、肩こり・腰痛持ちなのは承知の上。たかだか百メートルすら全力疾走できない体力では、小鬼ゴブリンの一匹だって倒せやしないのも折りこみ済み。なんと転生したあかつきには、冒険向きの頑丈な体をとくべつにあつらえてくれるという。


 異界の神によって用意された、彫刻のように美しく均整の取れた肉体。すれ違ったら誰もが振り返らずにはいられない。あたらしいきみの身体だ。

 そしてそれにふさわしい精悍な顔。気品があっていかにも頼れそうだ。女だけでなく、男も、子供も、老人だって魅了されるだろう。


 たとえその中身がちっぽけなきみだとしても、誰がそんなことを気にする?

 人の目をみて話すことができなくとも、はっきりしないおどおどした口調でしゃべろうとも、誰も怪訝そうな顔で見たりはしない。こんなに強くて美しいのに謙虚な人だと、むしろ好感が持たれるというものだ。


 剣と魔法の世界である。

 危険に満ちた異界にはおそろしい魔物が跋扈ばっこし、そのいただきには暴虐非道な魔王が君臨する。人類は世界の片隅に追いやられ、魔物を恐れながらほそぼそと暮らす。そのわずかに残された人間界ですら、きびしい弱肉強食の世界だ。虐げられた人びとは、このみじめな境遇から救ってくれる英雄の到来を待ち望んでいる。


 そこに現れた救世主たるきみ。

 与えられた肉体は美しいだけではなく、その強さも異界の神からのお墨付きだ。あらゆる魔法への適性はすべてが最高クラス。優れた魔法使いが一生をかけてようやく会得する術を、鼻歌交じりに楽々と身につける。


 剣技やその他の武術の才能も申し分ない。どんな武具だろうと手にとってすぐ、まるで自分の手足のように使いこなす。異界で最強の剣士ですら、きみの足元にも及ばない。おつむのほうは、もとのままだから若干気がかりだが、抜きん出た身体能力だけでもどうにかなるだろう。


 しかし、どれほどの強者だとしても不意を突かれたら? それに初見殺しなんてぶっそうな言葉もある。そもそも切った張ったには慣れていないし、ちいさなころから引っ込み思案で、取っ組み合いのケンカなどしたこともない。きみはそう考えるかもしれない。


 だが、心配はご無用。異界の神からの最上級の特典、最高の贈り物がまだ残っている。


 与えられるのは『無限の命』。

 九つの命だなんてしみったれたことは言わない。制限なし、回数なし、命の大盤振る舞いだ。

 どれだけ不意を突かれようと、いくたび強敵に敗れようと、死んだところからまたやり直せるとなれば、戦いにはまるっきり素人のきみにだって、それがどれほど有利なことかわかるだろう。一度見た技なら対策もできようというものだ。最初は腰が引けたとしても、ゆっくり慣れていけばいい。


 そんなすばらしい能力をもってしても、魔王を倒すのは容易たやすくはない。が、艱難辛苦をのりこえて、ついにきみはそれを成しとげる。


 鳴りひびくラッパの音。沸きあがる歓声。空に舞う紙ふぶき。国をあげてのパレードだ。道を埋めつくす群衆の旗やら帽子やらが、風に吹かれる草木のようだ。神輿にのったきみが恥ずかしそうに片手をあげると、集まった人びとはワッと沸き立つ。大歓声につつまれながら、きみはゆっくりと宮殿へ運ばれる。


 王様から賜る数々の褒賞。それはただ論功行賞ろんこうこうしょうというだけではなく、最強の勇者をこの国にしばりつけておきたい、そういう思惑もあるのだろう。きみはそれを丁重に辞退する。領地だの爵位だのそんなものは、きみにとっちゃ面倒なだけのしろものだ。しかしそうとは知らない人びとは、その清廉さに感嘆の声をもらす。


 しばらくして、きみは小さな馬車を駆って気ままなひとり旅に出る。

 一時はものめずらしさもあって、慣れないことにも我慢をしたけれど、途切れることのない訪問客の相手をするのも、着飾った見目麗しい女性たちにちやほやされるのも、晩餐会での堅苦しい礼儀作法にも、もううんざりだ。


 きみはある辺境の村にたどり着く。なんの変哲もない静かな村だ。けばけばしい都の生活に疲れた体には、その穏やかさ、てらいのなさが、なんとも心地いい。しばらくここに落ち着こう、ときみは考える。


 ほどなく野盗や魔物から村を守る門番の職にありつく。給金は安いけれど、きみにぴったりの仕事だ。村人たちはもちろんきみが何者であるかを知っているが、気持ちをおもんばかっておおげさに騒ぎ立てたりはしない。


 そこできみはひとりの女性と出会う。野の花のような素朴な美しさをもつ彼女とは、どういうわけか話がはずむのだ。

 やがてふたりはいっしょになる。そして子供ができると、きみは村の一員として生きていくことを決意する。不便だが、不満のない暮らしだ。妻と子供と親切な村人とともに、きみはいつまでも幸せに過ごす。


 ――と、ここまでが、異界に転生して英雄になるまでの筋書きだ。これだけ完璧にお膳立てをされて、まさか首をたてに振らないやつはいないだろう。きみは一も二もなく異界の勇者となることを決意した。


 すべての用意がととのって、ついにきみは栄光への第一歩を踏み出そうとする。


 が、そうはならない。

 中有の世界から異界へと足を踏み入れてすぐ、きみはとつぜん何者かに殺される。ほんのひと呼吸もしないうちに。


 いったい何が起こったのか?

 きみの意志とは無関係に、世の理を超えて時が巻き戻る。約束された異界の神からの贈り物だ。

 そしてふたたび異界に現れるところから、時がはじまる。生と死を逆向きに体験したことに面食らうが、驚いているひまはない。

 しかし、結果はまたしても同じ。わけのわからないまま、きみは死ぬ。


 何度も何度も殺されるうちに、ようやく理由がつかめてきた。どうやら視野から外れたところ、きみの背後に何かがひそんでいるらしいと。

 ふたたび時が巻き戻ると、今度はすかさず後ろを振り返る。そこに見えたのは、おそろしい魔物が今まさに鋭い爪を振り下ろそうとする姿だ。当然のごとくきみの肉体は引き裂かれ、ボロ布のようにばらばらになる。いくら勇者の身体だって、魔物の爪にはかないっこない。


 ならば魔法はどうだろう?

 きみは魔物を倒す術を、何百通りも知っている。しかしいま、そのうちのどれひとつ使えるものはない。なぜなら相手との距離があまりに近すぎるからだ。

 魔法の詠唱をはじめても、さいしょの一節を唱えるまえに殺されてしまうだろう。防御の魔法についても同じこと。事前に魔法を準備しておくという手も使えない。なにしろきみは、いまさっき異界に現れたばかりなのだから。


 そしてもうひとつ、きみの得意な剣技・武技。

 こちらもいまのところあまり冴えない。きみが帯びているのは、ちっぽけな短剣のみだ。それを運良く突き立てられたとしても、どうして魔物の急所にとどくだろう。そんなちっぽけな短剣ひとつで、どうして魔物の爪から逃れられるだろう。


 なぜ勇者であるはずのきみの装備が、こんなに貧弱なのかといえば、つまりこういう訳だ。

 ただの旅人にすぎなかったきみが訪れた名もなき村。その打ち捨てられたほこらの中から、伝説の武具を見いだし救世主となる、というのが異界の神が用意した英雄譚の段取りなのだ。勇者となるにはそうした逸話が不可欠だ。


 くだんの武具が隠された村のみすぼらしい家々の屋根が、すぐ目のまえに見えている。歩いてほんのすぐのところだ。けれどそこにはけっしてたどり着けない。伝説の武具さえ手にしていれば、こんな魔物を倒すのは訳ないのに。


 数えきれないほど惨殺された後、きみはこの事態がもはや手詰まりであることを自覚する。そもそもなぜこんなところに強い魔物が現れた? よりにもよってきみの真後ろに。

 これがゲームや作り話ならば、終盤に出てくるはずの強敵が序盤に現れることはないだろう。が、これは異界の出来事とはいえ現実だ。何だって起こりうる正真正銘の現実なのだ。

 もしも神の力によって運の天秤をどちらか一方に傾けようとすれば、傾きすぎて倒れてしまわないよう、なにか別の力が均衡を保とうとする。それもまた世の理だ。この出来事は、万にひとつの偶然でも、信じられないような不運でもなく、むしろ必然だったのかもしれない。


 異界の神にとってもこれはまったくの想定外だ。といってどうすることもできない。もう運命の賽は振られたあとなのだから。異界の神にできるのは、その出目をなるべくよい方に偏らせることだけ。すべての面が『六の目』のさいころを振って、きみはなぜか『一の目』を出してしまった。


 何千回、何万回と生と死を行き来するうちに、痛みと絶望に耐えかねて、きみの思考はだんだんとすり減ってやがて消えた。残ったのはきみの夢、勇者となった夢だけだ。

 いつわりの栄光につつまれながら、きみはまだ見ぬ野の花のすがたを思い浮かべる。

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