名探偵のホワイダニット

空殻

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「この事件の謎は、『ホワイダニット』だよ」


『探偵』は、助手の私にそう告げた。



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事件の舞台は、古風かつ豪勢な洋館だった。

この洋館は、著名な数学教授が所有している別荘で、今夜はパーティーが催されていた。

『探偵』とその助手の私も、このパーティーに出席していた。



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『探偵』は文字通り探偵であって、多くの難事件を解決した名探偵として世間でも名が通っている。

年齢は40代後半で、身だしなみがきちんとした、いかにも紳士といった風貌だ。


助手の私は今年17歳になる。

高校に通うのもそこそこに、私は探偵の助手として、彼について回っている。

私によく『探偵』は、「もっと普通の高校生らしく生きてはどうか」と言われるが、私は今の生き方が気に入っている。

『探偵』も私が助手としてつきまとっていることを拒否したりはしない。

何だかんだ言っても、この関係性が気に入っているのだろう。



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『探偵』と、この洋館の主人である数学教授とは、因縁浅からぬ関係だった。

数学教授は、過去に探偵が関わったいくつかの事件に、陰で関わっていたらしい。

もちろん証拠はない、しかし『探偵』はそう確信していた。

教授は、自身は決して手を下さずに誰かの犯罪をプロデュースする。そういうことに、喜びを感じる性質のようだ。

業の深い趣味だと思う。

『探偵』もそう言っていた。

「彼を破滅させることに、私は人生を懸けるべきなのだろう」、とも。


そう、『探偵』と教授は、因縁浅からぬ関係だったのだ。

『だった』、つまり過去形だ。

生者と死者の関係は、そうして記述される。



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パーティーの最中に、書斎へと戻っていった数学教授は、約一時間後、その部屋で死体として発見された。

短刀で胸を一突き。

その切っ先が心臓に届き、彼を絶命させたのだ。


発見者は、執事の老人だった。

書斎に入ってすぐに主人の死体に気付いた彼は、悲鳴を上げることはしなかった。

パーティーを楽しむ客達がパニックになることを防ごうとしたのだろう。

彼はこっそりと『探偵』に声をかけ、事件の発生を伝えた。


『探偵』は発見状況を聞くとすぐに、現場の書斎へ赴くこともなく、宣言した。

「本日招かれている他の客達は、事件とは無関係です。お帰りいただいても問題はないでしょう」


執事はそれを聞き、使用人達に指示を出して、来客への対応を始めた。

『探偵』と私は書斎へと向かう。



『探偵』の後に続いて部屋に入った時、教授の死体を見た。

口元から一筋の血を垂らしてはいたが、その最期の表情は、なぜか満足げにも見えた。


『探偵』は少しの間、現場の状況を確認してから、私の正面に立った。

そして彼は言ったのだ。


「この事件の謎は、『ホワイダニット』だよ」



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常日頃から、『探偵』はよく言っていた。


「謎には、3種類の形がある」


「まずは『フーダニット』。『Who』、つまり『誰がそれをしたのか?』という謎だ。殺人に代表される犯罪では、まずこれを考えなければならないことが多い。責任の所在を明らかにするためだ。『罪を償うべきは誰か?』という意味でもある」


「次に『ハウダニット』。『How』、『どうやってそれをしたのか?』。これは『誰が』にも密接に関わる問題だ。『どうやって』を突き詰めていけば、『誰が』も自ずと明らかになる」


「最後に『ホワイダニット』、『Why』、『なぜそれをしたのか?』だ。これを考えなくても、事件は解決する場合が多い」


『探偵』はどこまでも探偵だったので、何よりもまず、事件を解決することを優先していた。

そこは世間一般の探偵のイメージとは少し違っているのかもしれない。

彼は謎解きを愛してはいたが、それは趣味として自重し、何よりも解決を優先した。

倫理に背かない限り、解決の手段はいとわなかった。


だけど、その『ホワイダニット』の話の時には、少し違った表情を覗かせるのだ。


「けれど、覚えておいてほしい。事件が起こる時、必ずそこには理由があるのだ。そして、その理由にこそ、その人間にとって本当に大切なものがあるはずなのだよ」



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「この事件の謎は、『ホワイダニット』だよ」


『探偵』は、助手の私にそう告げた。


私はその言葉に込められた意味を汲み取り、一度深呼吸をした後、答える。

「ええ。だってこれは、『ハウダニット』でもなければ、ましてや『フーダニット』では絶対にありません」


そうだ。

私はもう、この謎の答えを知っている。

それは私にとっては明白で、『どうやって』でも、ましてや『誰が』でもなかった。









「犯人はあなた、なんですから」


私は『探偵』に告げた。



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『探偵』が語った、事件の概要はこうだ。


数学教授に呼ばれ、書斎を訪れた『探偵』。

そこで、教授は『探偵』に宣言した。

「私は君を、我が生涯の仇敵だと思っている。私は、君を破滅させるために、己の持てる全てを尽くそう」

そして彼は続けた。

「君を破滅させるための一番簡単な方法を知っている。君の明確な弱点、それはあの『助手』だ」


教授は饒舌に語ったという。

助手の私を殺害する方法を。いくつも。いくつも。

教授の頭脳にかかれば、その方法は無数に思いついた。

そして『探偵』はそれらを未然に防ぐ方法を思考し続けた。

彼らの想像と計算の中で、私は何度殺され、何度命を救われたのだろう。


やがて、その演算の果てに『探偵』は思ってしまった。

私を守れないかもしれない、と。


謎解きではなく解決をこそ至上とする『探偵』でさえ、基本的には事件後に動き出すことに変わりはない。

彼は『私が死んだ後』を解決することはできるが、『私が死ぬこと』を回避することはできないかもしれない。


そう思った時、『探偵』は動き出していたという。

私を何としても守ろうとしたとき、現時点で可能な手段。

それは、解決手段を選ばないという点で、彼らしくもあり。

倫理に背くという点で、彼のポリシーには反するものだった。


『探偵』は、書斎に飾られていた短刀を手に取り、教授の胸へと突き出す。

教授は大して抵抗しなかったという。

ただ、短刀の切っ先が心臓に届くとき、教授は『探偵』に言った。


「そら見たことか、君は私の手で破滅するのだ」


その勝利宣言を最後に、どこか誇らしげな表情で、教授は絶命した。



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「しかし」、と『探偵』は言った。


「私は君を守るための、もっと合理的な手段を思いつけたはずなのだ。彼を殺さなくても、まともな手段があったはずだ。だが私は、感情を制御できず、彼を手にかけた」

彼は眉間に皺を寄せ、考え込んでいる。

きっとその頭の中では、推理が展開と収束を繰り返しているのだろう。

それでも、彼は答えにたどり着かない。

「このホワイダニットに、『なぜ私は彼を殺したのか』という問いに、私は答えられない」

彼の口から、諦めの言葉がこぼれた。


私は思う。

ああ、本当にこの人は名探偵なのだ。

他のどの属性よりも、何よりもまず『探偵』であろうとするのだ。

だから、彼の属性はいつも『探偵』であって、他の属性はおざなりにされる。

たとえ、その後回しにした属性の中に、このホワイダニットの答えがあるとしても。


私は答える。

この『なぜ』の答えを。





「それはきっと、あなたが私を愛しているからですよ。『おとうさん』」

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