胎動

 火狗様の御加護を頂いてから二週間が過ぎた頃、私は再び滑瓢の喫茶店を訪れた。


『閉店御免』の看板がドア前に置かれた喫茶店では、酒呑童子復活の計画を実行すべく、最後の会合が行われようとしている。

 その場の顔ぶれは新たに羅刹を加え、滑瓢、狐白、私の四人だ。


 みな引き締まった表情でテーブルを囲む。​───ただ一人を除いて。

「結局やるんだろ!くそったれめ!ぬらさんも何で協力するんです!?」


 前回の会談で一方的にその場を去った狐白は、鬼の羅刹が来たところで騒ぎ出した。

 元々今回の会合の意味を伝えなかった私に矛先が向き、隣に座る滑瓢の肩をべしべしと叩く。滑瓢の表情が僅かに嬉しそうに緩んだところで、私は口を開いた。


「すまないな狐白。今回ばかりは譲れないんだ」

「はん」と狐白は鼻で笑って続けた。「お前の「今回」は何回あるんだ?前にも聞いた気がするぞ」


 嫌な物言いと、滑瓢の「そうなのか?」といった目が向く。

 狐白の言う通りではある。確かに、別件で何度か私の提案に付き合わせた経緯があるのだ。


 ある時は古民家に住み着く化け物の観察に行ったり


 またある時は山の神様に悪戯を仕掛けたり


 ただ、その度に何だかんだ言いつつ協力してくれているのが狐白であるから、今回も来てくれると信じていた。

 どんな海溝よりも深く、紺碧の空よりも広く成り立つ信頼関係が、我々二人には存在する。​───なんて思っているのは私だけなのかもしれないが。


 確かに言えるのは、狐白にもまた小さな悪戯心があるという事で、今回の件も口ではああ言いつつも、実は内心浮かれているのでは無いのだろうか、ということである。


「……まあ、それくらいにしておこうや」

 ゆったりと滑瓢の口が開く。

 出歯亀の助平親父のような雰囲気が途絶え、総大将の風貌を纏わせた滑瓢に全員の目が向いた。


「決行は確定だ。狐白ちゃんも、腹ァ括れ。とりあえず今日は各々が行動に移る前、自分がどれだけ動けるかを述べていこう。そこから不測の事態に備えて、当日誰がどんな立ち回りをするか考える」


 整然とした滑瓢の発言が続き、例示するように滑瓢がその先を言った。


「まずは俺から説明しよう。当日は俺も京都に行く。ただし何かあっても補助的な動きしか約束できない。過去の約定と現状の妖怪の立ち位置から鑑みて、表立って酒呑と敵対するようなことがあったら妖怪全体の存在が危うい。だからまあ、あまり期待はしないでほしいんだが……」


 更に滑瓢が続ける。


「俺は多少、神通力を使える。ただし、相手方の意識に干渉して洗脳まがいのことが出来るくらいなもんで、鬼相手にそれが効くかは分からない。だから使うとしたら奥の手だ」


「……百鬼夜行、ですね」

 挟んだ狐白の一言に、滑瓢はゆっくりと頷いた。


「全国の妖怪に招集をかけておく。当日は京の妖気がかなり強くなるだろうが、今の時代にそこまでアンテナを張れるような人間はいないはずだ。何も無けりゃそのまま全員、元の場所に帰らせる。何かあったら……その時は全員でかかる」


 直接手を出さないとは言いつつ、本当にどうしようもなくなったら妖怪総出で酒呑を潰す。その覚悟が滑瓢に見えた。

 ただし、これは本当に奥の手だろう。過去に鵺と天狗との間で結ばれた約定があるため、出来ることならそれ以上その立場を揺らがせることは私もしたくない。


 さあ、と滑瓢が締める。「俺はこんなもんだ」


 次に口を開いたのは、羅刹である。

「俺……羅刹ですが、俺は一応、悪鬼四天王に声をかけておきます」


 先程の滑瓢に対する態度とは打って変わって、狐白が胡散臭そうに羅刹へヤジを飛ばす。

「お前……羅刹、新四天王の話は絶巓から聞いている。お前、橋姫、星熊童子、天邪鬼の四人で、お前以外乗り気じゃないんだろう?どうやって呼び掛けるつもりだ?」


 それも考えてます。と羅刹は怯むことなく返した。

 前回会った時のひょうきんな羅刹の表情は無く、ただ真剣な眼差しが狐白に向けられる。

「少なくとも、頼み込めば橋姫ちゃんと星熊の兄貴は動きます。単に自ら動くのが億劫なだけで、俺からの提案なら呑むでしょう。ただ、天邪鬼に関しては……」


「まあ、その名の通り、アマノジャクなんだろう?」

 滑瓢が横槍を入れ、ふぅ、とため息をついた。

「あいつの発言は九割九分嘘っぱちだからな。過去に俺も食らったことがあるんだ……」


 苦虫を噛み潰したような顔をして何かを思い出す滑瓢に、羅刹もまた苦笑とも言えない顔をして滑瓢に軽く頭を下げる。狐白はなおもふんぞり返って、羅刹を睨み付けていた。


「天邪鬼は正直、戦力外で考えています。なので俺は『神宿し』がキモになってくるかと思っていました」


 神宿し。


 依代となった者、もしくは半神の身体となった者が使用できる。

 羅刹から聞いた限りでは、大抵の使用者は身体能力の底上げが主な恩恵との事だった。


「俺の場合は、毘沙門天の旦那が宿ります。恐らく現世では誰も追い付けない程のスピードが出せるようになります」

 ただ、と羅刹が続けた。


「日没から日の出までの間だけです。大体の半神はこういった制約の中で神宿しを使います。……まあ、速度が今よりも上がるだけで、せいぜい翻弄程度にしかなりませんが……」


 相も変わらず狐白の目は冷めたままである。

「なんだよ。さんざんキモになるだの何だのと前置いて、結局は大した能力じゃないのか」

「言い過ぎだ、狐白」

 耐えかねて、羅刹が何か言う前に私が狐白を窘めた。


「そう言うお前だって、万一の戦闘に加われるような能力じゃあるまい。人様の力をああだこうだと言うのは、自身が絶対の力を付けてから言うものだ」


 瞬間湯沸かし器のように狐白のフラストレーションが溜まったのは言うまでもなく、それを滑瓢に宥めてもらいながら私は羅刹へと伝えた。


「改めて、だ。羅刹。私は高天原の加護を受けに、先に京都へ入る。滑瓢と狐白には当日来てもらうようにするが、私とお前は先に行こう」


 狐白に詰められて若干しょぼくれていた羅刹が顔を上げる。落ち込んでもなお据わった瞳には、上司の些細な願いを叶えんとする覚悟が宿っていた。


「よし……」と滑瓢が膝を叩く。

「まあ、それぞれめいめいの動きは一通り決まったな。じゃあ絶巓、俺は狐白ちゃんを連れて行くからな、あとは当日。現地で落ち合おう」

 滑瓢の言葉には不思議と安心できる。私はゆっくりと頷き、羅刹と共にソファを立った。


 喫茶店から出る直前、私は狐白に向き直る。

「狐白、ありがとう」

 恭しく頭を下げ、扉を開く。

 背後からは「ぜってえ思ってないだろ!死ね!死ねぇぇえ…」と声が響いていた。


 前途多難、その九割九分は狐白だろう。

 悩みの種が付いて回る気苦労に、私は深くため息をついた。

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異形百景見聞録 北海ハル @hata

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