第十二話 晴れた午後の屋上

 クラスメイトの田中くんが騒ぎ出したのは、調理が終わった三十分後だった。

 いつまで経っても、見回りに行っている先生が戻ってこず。初めはすぐに帰ってくるだろうと、落ち着いていた他の児童たちにも次第に焦りが見えてきた。

 そのうち一人が、電話ボックスの存在を思い出して。学級委員長の鈴木さんが代表して、警察に通報しに行くことになった。

 そこから先は驚くほどスムーズに事が運んで行き。通報によりやって来た警察によって、とり残されていた児童たちは保護されて帰還。その後近くの基地に駐在していた自衛官たちと共に、山の中で遭難したとみられる先生の捜索が開始された。

 数時間に及んだ捜索ののち、先生の遺体が折干山の山中で発見され。簡単な説明ののち、学校で先生の追悼会が開かれて。校長の長いお悔みの言葉を聞いて、この一件はあっさりと片が付いてしまった。

 私が繰り返してきた苦労も、あの少女の愛と企みも。私以外に知る人間は誰もいない。もっとも、誰かに告げたところで、架空の物語であると思われるのがオチだろうが。

 あの少女と先生は、死という永遠の中で一緒になれたのだろう。

 後で叔父さんに調べてもらい、知った話だが。先生の遺体と共に、十年前に行方不明になった少女の骨が見つかったそうだ。

 また先生の遺体は、死後数十時間しか経っていないはずなのに、何故か白骨化して見つかったらしい。近くに埋まっていた、少女の遺体と同じように。

 利用されたのは癪だが、幸せになってくれたのなら良かっただろう。特に先生には、今まで私を苦しめた倍以上、少女に愛されればいいと思うのだ。

 思うところが無いわけではないが。本来ならあのまま死んでいたところを、最後の繰り返しによって生き返ることができたのだ。

 たとえすべて忘れていたとしても、もう一度弓也くんに、会うことが出来たのだから。そのことだけは、宣言した通りに感謝しようと思う。

 弓也くんが何も覚えていなくて。あの告白やキスが無かったことになってしまっても。

 私が覚えている限り、想いは消えないのだから。いつかきっとと胸に秘め、今はこうして遠くから彼を見ていようと思う。

 君があの繰り返しの渦の中で、私にしてくれたことは絶対に忘れない。君は覚えていなくても、君はたくさんのものを私にくれたんだ。

 だから君が望むのなら、私は何だってするつもりだ。君に貰ったものを返すには、足りないかもしれないけれど。それでも少しは、巻き込んでしまった償いにはなるだろうから。

 愛してるよ、弓也くん。たとえすべて忘れても、何度繰り返そうとも。絶対に、ずっと、愛してる。


 スマートフォンの画面に表示されていた文章を最後まで読み切ると、弓也は画面を消して青い空を見上げた。

 空は気持ちの良いぐらいの晴天で、輝く太陽と春の温かな風に流れる白い雲以外、時の流れを感じさせるものは存在しない気がした。

 樽見第二中学校の、屋上。本来立ち入り禁止とされているこの場所に、今弓也は千早と二人でいる。

 もうすぐ近づく学期末に向けて、校内の大掃除が行われることになったのだが。弓也のクラスが屋上の掃除を任されたことによって、一時的に鍵が貸し出されることになったのだ。

 で、その鍵を悪用、もとい利用して、こうして千早と屋上デートをしているわけだが。

 昨日の夜、例の小説が書き終わったと、千早から閲覧用のアドレスが送られてきて。今ちょうど、最後まで読み終わったところなのだ。

「……弓也くん」

 スマートフォンを持ったまま、転落防止用ネットに寄りかかって青空を見上げる弓也に。すぐ隣に立つ千早が、恐る恐ると言った様子で聞いてきた。

「感想を、聞かせてくれないか」

「……」

 弓也は一度目を閉じ、深呼吸をしてから、スマホを持った腕を動かす。

「千早」

「う、うん」

「この小説に書いてあることは、本当にあったこと、なんだな?」

 弓也の返答に、千早は寂しそうな表情を浮かべながら、頷いた。

「別に、ただの創作物語だと思ってくれても構わない。そう思われることも考慮して、小説という形にしたんだから」

「……」

「でも、そこに書いてあることが、君の疑問に対する私の答えであることも事実だ」

「そうか……」

 スマートフォンを仕舞って、弓也はまた空を見上げる。

 小説の内容が本当にあったことかは分からない。千早の考えた単なる創作物に過ぎず、本当の真相は別にあって、それを隠しているかもしれない。

 正直こんな荒唐無稽な話を信じろと言われても、信じられないというのが普通の反応だ。繰り返しのことも、結局は千早ただ一人しか、真相は知らないのだから。

 まだ全て彼女の妄想だと思ってしまった方が、筋が通っているというものだろう。

 だが。弓也は千早に顔を向けると、愛する恋人に微笑みかける。

「……信じる」

「え……」

「信じるさ。俺は何も覚えていないし、これが本当にあったことかどうかも分からないけど。これが千早の答えだっていうのなら、俺はこれを信じるよ」

 たとえ嘘でも真実でも。これが千早の答えだというのなら、自分はそれを信じようと思う。たとえどんなことでも、信じたいと思うのが、恋人というものではないだろうか。

 それに。この物語の出来事が真実だというのも、案外悪くない気がするのだ。ただあの勇気を出した告白の前に、小学校時代のガキに過ぎなかった自分が、何百倍もドラマチックな告白とキスをしていたというのは、ちょっとだけむかつくが。

 弓也の返答に、千早は安堵したようにため息を吐きだすと。顔を傾け、弓也のことを真っ直ぐ見つめる。その瞳にはまだ、微かな寂しさが残っていた。

「ありがとう、信じてくれて」

「どういたしまして」

 千早の寂しさの原因は理解できる。自分の書いた小説を読むことで、弓也が繰り返しの記憶を思い出せばいいと、淡い期待を抱いていたのだろう。

 彼女自身、無理だと分かっていただろうが。小説を読んでも弓也が何も思い出せなかったことが、やはりどうしても心に響いてしまったのだろう。

 だから。弓也は千早の肩にそっと手を回すと、彼女の体を抱き寄せた。

 何も思い出せなかったのは、事実だが。だからって千早に寂しい思いはさせたくない。

 顔を上げた千早の額に、弓也は軽く柔らかくキスをして。

「……俺は何も思い出せなかったさ、何にも」

 再び俯く千早の髪に触れて微笑み。肩に回した方の手にそっと力を込めて。

「でも、そんなこと。もう、関係ないじゃないか」

 泣きそうな顔をする千早に、満面の笑みを見せつけながら。

「たとえどんな形にせよ、俺が千早を愛していることには変わりないだろ。だからそんな、哀しそうな顔するなよ」

 たとえ何度繰り返そうと、何があろうと。自分は琴峰千早と出会って、彼女のことを愛してやる。

 声に出して、そう言うつもりだったのだが。言葉は口から、出てこなかった。

 少しだけ背伸びした千早の唇に、自分の唇を塞がれて。言葉の続きは煙のように消え去ってしまう。

 長いキスの後、唇を話した千早は、弓也に対してやっと笑顔を見せた。目には涙が浮かんでいたが、決して悲しいものではない。

「ありがとう、弓也くん」

 涙を拭って、千早は繰り返す。半分は確かめるように、もう半分は口に出すことで、永遠になる呪いのように。

「愛してる、愛してるよ、弓也くん。これからも、この先も、ずっと」

 返事は返さなかった。返す必要もなかった。

 もたれかかっていたフェンスから、静かに体を離し。弓也は両手で千早の体を抱きしめる。千早もそんな弓也の体に手を回し、胸に顔を埋めてくる。

 体の距離と同じだけ、心の距離も近づいて。

 ひとつになった二人の間に、言葉は何も必要なかった。

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琴峰千早の距離が近い 錠月栞 @MOONLOCK

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