第十話 趣味の見え隠れする自室

 倒れ込んだ、僕を覗き込んだ彼は。

 僕が生きていたという安堵と、負った傷の多さと出血に対する戸惑いで、何とも言えない複雑な顔をしていた。

「良かった……いや、良くないか。待ってろ、今人を……痛ッ」

 助けを呼びに行こうと、体を動かした彼は、激痛に顔を歪めて肩の傷を押さえる。死にかけている僕よりはましだが、彼も先生に一撃食らっているのだ。

「こんな傷……何とも……」

 血の溢れる傷口を押さえて、それでもなお助けを呼びに行こうとする彼に。

 僕は仰向けに倒れたまま、精一杯の力で頭を動かし、拒否の意を示した。

「お願いだ……」

 僕の言葉に、何とかして立ち上がろうとしていた彼は振り向く。再び僕の顔を覗き込んだ彼に、僕は微笑みながら告げた。

「ここにいて欲しい……一緒に……最後の時まで……」

「さ、最後なんて―――」

「お願いだ、頼む」

 もう一度繰り返すと、彼は何かを言いたかったようだが、下唇を噛み溢れ出しそうな言葉を飲み込んで。

 地面に座り込むと、僕の頭をそっと抱え上げて、膝の上に載せた。

「ああ……」

 彼の気配が、感触がはっきりと感じられる。荒い息遣いも、流れる血も、顔に落ちてくる涙の粒も。

 森の中はびっくりするぐらい静かで。木の葉のざわめきや、時折聞こえる鳥の声さえ、今は消えてしまっているようだった。

 まるで彼と二人きりの。いや、実際今この世界には、僕と彼しか存在していないのだろう。

「これでいいんだ……」

 瀕死の僕を抱いて、何も言わない代わりに、ただひたすら涙を流し続ける彼に。僕はまだ残っている方の手を伸ばし、濡れた頬に触れて撫でた。

「先生がどれほどの外道、だとしても。僕は一人の、人間を殺したんだ……」

 近くに倒れて死んでいる先生のことを思い。達成感と罪悪感が入り混じった感情を込めて、僕はそっと目を閉じた。

「たとえこのまま生き残っても、僕はずっと人殺しの汚名を背負っていかなきゃいけない。覚悟をしたとしても、それが辛いことには変わりない……だから」

 再び僕は目を開いて、彼に笑って見せる。目から涙が滲みだし、頬についた血と混ざりながら落ちていくのが分かったが、もう我慢する必要はない。

「このまま死んだ方が、ずっといい。先生に襲われただけの君なら、罪に問われることはないだろうから。僕と今日のことはすべて忘れて、これからも、君の人生を生きいって欲しい」

「……」

 傷口が開くのも構わず、彼は涙を拭った。だが何度拭ったところで、彼の涙も僕の涙も止まってくれる気配はない。

 ただしそろそろ、別れの時だ。死がもうすぐそこまで、近づいてきているのが分かる。

 だから最期にちゃんと、さようならを言わなければ。

「ありがとう、さようなら。森、弓也くん」

 これでいい。ちゃんと別れも告げられたし、このまま逝こう。死後の世界があるかどうかは知らないが、地獄も案外悪いところではないかもしれない。

 なんて。薄れゆく意識の中で、僕がぼんやりと思っていると。彼、弓也くんがもう一度涙を拭うと、ぐっと顔を近づけてきた。

「え―――」

 戸惑う間もなく、抵抗することなんて当然できずに。僕は弓也くんに、唇を奪われる。

 柔らかい感触に、ぎこちなく絡む舌。唾液にはほんの少しだけ、血の味が混ざっていた。

 初めてのキスにして、最期のキス。レモンの味でも、初恋の味でもないくせに。逝きかけていた僕を引き戻すには、十分すぎるぐらい刺激的で。

 息が続かなくなってやっと、唇を離した弓也くんは。潤んだ瞳で僕のことを真っ直ぐ見つめながら、ようやく口を開いた。

「待てよ……」

「弓也、くん」

「そう簡単に逝くなよ、まだ、まだッ、お前に好きだって言えてないじゃないか……千早ぁ」

 ようやく。「好き」の一言を聞いて、ようやく合点がいった。

 何で弓也くんはずっと、僕の味方であり続けてくれたのか。それが好意、恋愛感情によるものだとしたら、全て納得がいく。

「……ずるいなあ」

 今度は僕の方が、目からぼろぼろと涙を流しながら、ぼやけて薄れた弓也くんを見上げる。

「ほんと、ずるい。もう手遅れだって分かってるくせに、僕にまだ死にたくないって思わせるんだから、さ」

 何度も救われてきた僕が、弓也くんに惚れないわけがないのに。愛していないはずがないのに。よりによってもう終わろうとしているこの瞬間に、お互いの想いが通じ合ってしまうなんて。

 死にたくない。心から愛する森弓也という少年と、このままずっと一緒に、永遠に―――

「愛してる、僕も愛してるよ、弓也くん」

 だけど、それは叶わないことだから。残った力を振り絞って、僕は告白の返事を告げて。

「千早、千早……」

 ひたすら名前を叫ぶ、弓也くんの声を聞きながら。後悔と満足の相反する感情の中で。

 愛する少年の、膝の上で死ねるなんて、悪くないなってちょっとだけ思ってしまいながら。

 僕は、繰り返しの因果に囚われた果ての、最後の死に迎えられていった。


 弓也の自室は、家の二階にある。

 内部には特に目立ったものはないものの。本棚に並べられたお気に入りのライトノベルや、ベッドの下の収納ボックスに入れられたゲームソフト、クローゼットの中のお気に入りの服など、中学生男子らしい趣味がところどころに見え隠れしている。

 そんな自室の中で、弓也は学習机の上に置かれた、ノートパソコンの電源を入れたところだった。

 普段は普通に勉強に使っているが、何か調べ物をするときや友広たちとボイスチャットやオンラインゲームのマルチプレイをやるときなど、この学習机にパソコンを置いて使っているのだ。

 要するに、気合を入れて何かに取り組む時には、ちゃんと座って向き合える学習机を使うわけだが。今回の場合、前者の「調べ物」をするために、学習机でパソコンに向き合っているのだ。

 今の時代、パソコンどころかスマートフォン一台あれば大抵のことは調べられるのだから、便利な世の中になったものだ。もっともそれが良いことか悪いことかは、人それぞれになるだろうが。

 パソコンが起動すると、弓也はブラウザを開いて、デフォルトで入っている検索エンジンを表示する。

 調べたいことは、一つ。小学六年生の時に、林間学校で起こった事件。自分たちのクラスの担任教師、「霜口八樹しもぐちやつき」が山の中で死体となって発見された事件について。

 キーボードを叩き、検索エンジンの窓に「折干山 教師 死体」と入力し。弓也は虫眼鏡アイコンが付いた検索ボタンをクリックした。

 数秒もせずに、検索結果が表示され。一番上には数年前のニュース記事のリンクが表示されていた。

 迷わずクリックすると、ページが開き、森の写真が付いた記事が表示される。

『行方不明の小学校教諭、山中で発見される―林間学校の悲劇

 本日未明、Y県樽見市にある折干山の山中で、霜口八樹さん(三十六歳、男性)の遺体が見つかった。

 霜口さんは地元の樽見第四小学校で六年三組の担任を務める小学校教諭であり、林間学校のレクリエーションで折干山を訪れていた。

 昨日の正午ごろ、姿が見えないと担当していた児童から通報があり、警察を含めた捜索隊が捜索に当たっていた。

 そして本日午前四時過ぎ、捜索隊の一人が山中で霜口さんを発見。霜口さんは既に死亡しており、気温などにより遺体の損傷は酷く現場は凄惨を極めた様子だった。

 検死は難航しているようだが、警察は発見された状況などから山中で足を滑らせて転倒した事故とみており、事件性はない模様。

 また霜口さんは天涯孤独であったらしく、葬儀はひっそりと執り行われ、林間学校に参加していた児童たちには、心理的影響も懸念して詳しい事情は伏せることになったようだ』

 記事は筆者の個人的な締めの言葉で締めくくられていたが、適当な批判と陳腐な道徳の入り混じったそれを読む気にはならず、弓也はブラウザの戻るボタンを押した。

 事件の概要は大体分かった。だが知りたいことはもっと深いところにある。あの時に何があったのか、先生はどうして死んだのか。

 琴峰千早は、何を知っているのか。自分、森弓也との間に、何があったというのか。

 時折検索ワードを変えたりしながら、弓也は事件の記事を追っていく。事件に隠されたことを、千早が隠していたことを、見つけるために。

 一つは案外、すぐに見つかった。検索ワードから「教師」を抜いただけで、すぐにヒットしたからだ。

 それは最初に見たニュースサイトよりも、幾分かマイナーなサイトに掲載された記事だった。

『女児行方不明事件、十年越しの進展

 本日未明、Y県樽見市にある折干山の山中で、十年前に行方不明になった未成年女児の遺骨が発見された。

 別の行方不明事件の為に、山の捜索を行っていた捜索隊により偶然発見され、歯型の一致などから行方不明になっていた女児のものであると特定された。

 しかし女児の親族は自殺や病などで既に他界していたため、遺骨は無縁墓地に埋葬されることとなった。

 当時事件を担当した刑事、朝倉当麻氏(五十二歳)は、「あの事件に関しては、まだ悔いが残ることだらけだが、あの子の骨が見つかっただけでも少しは救われたんじゃないだろうか」と、記者の取材に回答した』

 あとは「折干山 女児行方不明」「折干山、女児失踪」で検索するだけで、事件の概要はあっさりと出てきた。

 行方不明になった女児の名前は、古い事件だったこともあり分からなかったが。かろうじて見つかった捜索のための写真を見た時、弓也は一瞬だけどきりとしたものだ。

 写真の中で笑う彼女が、小学生時代の千早によく似ていて。よく見れば別人だとすぐにわかるし、年代的に千早ではありえないことも分かっていたが。それでも千早は姿を消した女児の生まれ変わりなのでは、と一瞬思ってしまったぐらいだ。

 行方不明事件の概要は簡単で、折干山の麓で見知らぬ青年と一緒にいたのを最後に、彼女は姿を消した。

 両親は必死で娘を探したが、母親は心を病んで自殺、父親もその翌年病で死亡したらしい。

 行方不明になる直前、一緒にいた青年ということが気にかかった。二十代ということは、先生の年齢と一致する。

 その、先生が死んだのと。女児の遺体が同じ山で同じ日に見つかったというのは、偶然のことだろうか?

 知りたい。遺体が見つかったときの、詳しい状況が知りたい。

 さらに検索を続けていくと、弓也は「元・自衛官」という男のブログに辿り着いた。

 ブログの記事のほとんどは、当たり障りのない日常を書いたものだったが。中に一つ、気になる見出しがあったのだ。

『行方不明事件の捜索に当たった時の話』

 弓也が記事を開くと、雑なレイアウトの文章がすぐに表示された。

『これはまだ俺が現役だった時の話なんだけど。

 Y県にある折干山ってところで、教師が行方不明になったって通報があって、最寄りの基地に駐在していた俺たちが駆り出されて捜索に当たったんだよ。

 で、遺体は割とすぐに見つかったんだけどね。一つ、不思議なことがあったのよ。

 教師が行方不明になったのは数日前で、それまで生きてぴんぴんしてたのをガキどもが見ていたにも関わらず。

 遺体、白骨化して見つかったのよ。まるで十年以上前からそこで死んでたみたいに。

 警察は微生物だの気温だのいろいろ言ってたけど、あれは絶対科学じゃ説明がつかないやつだったね。

 しかもその直後、教師の遺体が見つかった場所のすぐ下から、十年ぐらい前に行方不明になった女の子の骨が見つかったっていうんだから、100%呪いとか祟りとかの類だよ、あれは』

 背筋に、冷たいものが走るのを感じた。

 この記事に信憑性があるかどうかは分からないが。もし、ここに書いてあることが本当だとしたら、先生と女児の関係が繋がる気がする。

 呪いや祟りというのは、俄かに信じがたいことがあり。何故白骨化した状態で見つかったのかも、弓也にはさっぱり分からないが。

「彼女が死んだ山だからこそ、霜口先生はここで死んだのか?」

 マウスを操作しながら、ぽつりとつぶやいたその一言が。不思議と的を射ているように思えたのだ。

 だが。あと一つ、あと一つだけピースが足りない。

 これらの一連の事件に、琴峰千早がどうかかわっているのか。それだけが分からない。

 先生の行方不明を通報したのが千早なのかと思ったが、さすがに名前は分からなかったし、弓也の記憶が違うと訴えていた。

 確か、あの時最初に先生がいないと騒ぎだしたのは、同じクラスの田中という男子だったはずだ。

 強いて言えば、行方不明になった女児と、あの頃の千早が似ているぐらいだが。それだけでは、関わったというには薄すぎる。

 一体、あの林間学校で千早の身に何が起こったというのか。自分は千早に、何をしたというのか。

 しばらく収穫のない検索と巡回を続けてから。弓也はため息を吐いてブラウザを閉じ、パソコンをシャットダウンして閉じた。

「……やっぱり、肝心なところは。直接聞くしかないってことか」

 微かな不安と好奇心を感じながら、弓也は机から離れるとベッドの上に横になった。

 千早はきっと、答えてくれるだろう。弓也が、求めさえすれば。

 それが怖くもあり、楽しみでもあった。愛と同じぐらい、真実を知りたいという気持ちは抑えられないものであると。

 はっきりと実感しながら、弓也は両手で顔を覆った。

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