第九話 イルミネーション輝く冬の街

 みんなのいるキャンプ場から少し離れた、森の中。

 木々のざわめきと鳥の声しか聞こえなかったところに、彼女の不快な声が響き渡る。

「う、おぇ……せ、先生」

 口から零れ落ちる吐瀉物を、己の手で受け止めながら。彼女は涙目で、隣に立つ先生を見上げる。

 先生はそんな彼女に、にっこりと微笑んだ。

「君は十分よくやったよ、背川さん」

「先生……げほっ……先生」

「だからもう、ゆっくりお休み」

 言葉が終わると同時に、先生は彼女の背中に蹴りを叩きこみ。倒れ込んだ彼女の背中を踏みつけるとしゃがみ、首筋に向かって素早く鉈を振り下ろした。

「ぁひゅ……ごほ……せ、ん……」

 彼女がはっきりと息絶えたことが分かると、先生は立ち上がって顔を上げ、目の前で拳を握り締める「彼」に向き直った。

「女の子を殴っちゃ駄目だって、教えなかったかな?」

 先程隠し持った包丁を使おうと、距離を詰めた彼女の腹に一発、彼が拳を叩きこんだのだ。容赦のない一発により、彼女が包丁を取り落とし、先程食べたばかりの昼食を嘔吐していたところに。他の児童たちを殺さんとしていた、先生がやってきたわけである。

「裏切り者は、女の子扱いしなくてもいいだろ」

 精一杯強がって見せる彼に対して、先生は楽しそうに笑う。

「悪い子だねえ、君は。そんなんじゃ、将来僕みたいになっちゃうよ」

「……将来、か」

「ああそうか。僕が今ここで殺しちゃうから、君に将来はないんだった。うっかりうっかり」

 鉈を揺らしながら笑って、先生は両手を広げて木々の隙間から見える小さな空を仰いだ。

「これもきっと、運命なんだろうね。君が、こうして僕の前に立ちはだかったのも、僕がこうして君を殺すのも。全部、全部全部全部、素敵な運命だと思わないか?」

「思わないな、全然。そんな運命なんて、くそくらえだ」

 唾を吐く彼に、先生はやや残念そうな顔をしてから、ため息をついて鉈をしっかりと握りなおす。

「残念。じゃあもう君に、用はないや」

 先生が鉈を持った手を動かすと同時に、彼は素早く身構える。逃げることは状況を悪化させるだけだと分かっているからこそ、真っ直ぐ先生に向かって警戒態勢をとる。

 そんな彼に対して、鉈を振り上げた先生は楽しそうに口笛を吹いた。

「いいね、最高だ。裏切り者は、やっぱりそうでなくちゃ」

 振り上げられた、鉈の刃が。彼に対して、一直線に振り下ろされる。

 それが「僕」の、待っていた瞬間だった。

 たとえ能書きを垂れている間でも、先生に隙は無い。下手に手を出せば、返り討ちに遭って目的を果たすどころでなくなるのは目に見えている。

 だから確実に、絶対に決められる瞬間を狙った。獲物に手を下すという、先生にとって至高にして唯一の隙を突くことにしたのだ。

 鉈の刃が、彼の肩口に食い込む直前。

 近くの茂みから飛び出した僕は、先生の背中に持っていた包丁の刃を突き刺した。

「なッ………」

「死ね、死ねえええぇぇぇッ」

 叫ぶと同時に、僕は包丁を引き抜き、さらなる追撃を加えようとする。林間学校で調理を行う為に用意された包丁を、彼女がくすねて凶器としたように。僕も密かに隠しておいた包丁で、彼女の愛する先生を殺させてもらうことにした。

 だが僕の追撃は先生の脇腹を抉ったものの、直後に振り向き振り下ろされた先生の鉈が、包丁を持った僕の腕を切り落とす。

「この、死ね、死ねッ」

 がむしゃらに、先生は僕に鉈を振り下ろすが。刺された痛みのせいで頭が回らなくなっているのか、数発は空ぶって当たったものも致命傷にならなかった。

 やがて先生の手から鉈が落ちた。がくがくと震えながら膝をつくと、抉られた脇腹から零れ落ちる内臓と血液に触れ、顔中にびっしりと脂汗を浮かべながら口走る。

「う、嘘だろ、ぼぼぼ、僕が死ぬ?こいつらごときに、殺される?なんでなんで何で、ごほっ」

 口から血を吐き、先生は地面に倒れ込む。同時に腹の傷から血液が一気に溢れ出し、顔から生気が消えていった。

「こ……これも……運命……だというのか」

 最後に擦れた声でそう呟いて。それっきり、先生が動くことはなかった。

「はぁ……はぁ……」

 先生を殺した。目的を果たした。

 だが僕も限界だった。致命傷は何とか受けずに済んだとはいえ、腕は切り落とされているし、胴体にも数発叩き込まれた。

 血の滴り落ちる腕を、残っている方で押さえたまま。僕は地面の上に、仰向けに倒れ込んだ。

 多分、僕はもうすぐ死ぬだろう。元凶の望みを果たした以上、また繰り返すかどうかは分からないが。別に繰り返すことなく、このまま死んでもいいと思った。

 生きたって、どうせ僕は人殺しだ。ここから先、ろくな人生を送ることは出来ないだろう。ならばこのまま、死んだ方が―――

「……おい」

 なんて、考えながら。遠のく意識に身をゆだねようとしていた、僕の耳に。

 馴染みのある、男の子の声が聞こえた。

「おい!生きてるか、おい!」

「う……」

 焦っている様子なその声に、僕がゆっくり目を開けると。

 頭上から彼が、僕の顔を覗き込んでいた。


 中間は勉強不足もあって平均ギリギリな点数だったものの。

 あれから定期的に千早に勉強を教えてもらっていたため、期末はかなりいい点数を叩き出すことが出来た。

 もっとも、さすがに千早には及ばなかったが。彼女の恋人として、恥ずかしくないぐらいには頑張ったと思う。

『いい点数を取ったら、何かご褒美をあげよう』

 勉強中に千早と交わした約束が果たされたのは、結果が出た翌日、冬休みの一歩手前である、十二月二十四日のことだった。

 十二月二十四日、すなわちクリスマス・イヴ。この国の恋人たちには本番のクリスマスよりも重要視される日であり、それは弓也と千早も例外ではない。

 非常に残念なことに平日だったのだが、放課後の予定は両方とも開けていて、授業が終わった後一度帰宅してから、住んでいる地区から一駅離れた駅前の広場で待ち合わせをした。

 まだ七時だというのに、すっかり暗くなった空を見上げながら。人の行きかう広場の片隅で、ダウンジャケット姿の弓也が待っていると。

「……済まない、遅くなった」

 背後からそんな声が聞こえて、振り向くと私服姿に着替えた千早が立っていた。

 紺のダッフルコートに、タータンチェックのマフラーを巻いて、ニット帽を被った千早は、弓也に対して笑って見せた。

「寒かっただろう、ほら」

「別に……」

 否定しつつも、千早の手を素直に握りしめて、弓也も笑顔を返してやる。

「じゃあ行こうか」

「ああ。楽しい夜にしようぜ」

 お互い中学生である以上、さすがに一線を越えることはしないが。

 クリスマスには二人でイルミネーションを見に行こうと、ずっと前から約束していたのだ。

 百貨店やホテルの立ち並ぶ大通りは、赤や青の輝く豆電球で飾り立てられ。弓也と千早の他にも、大勢のカップルが腕を組んで歩いていた。

 だが光り輝くアーチの下を、二人一緒に歩いていると。まるでこの世界にいるのは、自分たちだけのように思えてくる。

「綺麗だな、とても」

「うん」

 ここで「君の方が綺麗だよ」なんて言えたらいいのだろうが。さすがに恥ずかしくて、そこまでは言えなかった。

 なんて、思っていたら。千早がぐっと弓也に身を寄せて、頬に軽くキスしてきたせいで、思考が全て吹っ飛んでしまった。

「夢みたいだ。君と一緒にこうして、イルミネーションを見られるなんて」

 体を離した千早は、いたずらっぽく笑ってから。手を離して、アーチの外へと駆け出してゆく。

 途中一度振り向いて、千早は弓也に片手を差し出す。

「ほら、早く!」

「……言われなくても」

 千早を追って、弓也がアーチから出ると。頬に何か冷たいものが、落ちて触れる感触があった。

 触ってみると、それは溶けてゆき。空を見上げると、ぱらぱらとした白い粉雪が降り始めていた。

「雪、だな」

「ああ、雪だ。これってスノウクリスマス、ってやつじゃないかな」

 今日の千早はいつもより少し、テンションが高い気がする。普段のクールな彼女も好きだが、楽しそうな今日の千早も、可愛らしくて最高だ。

 二人で身を寄せ合って、しばらく空を眺めていたが。隣で千早が、小さくくしゃみをするのが聞こえた。

「はっくしゅん……」

「あ、寒いよな。そろそろ晩飯、食べに行こうぜ」

「うん……」

 頷きながら、千早は弓也の腕に自分の腕を絡め、自身の体をぐっと寄せてくる。寒いのだろうが、女の子らしい体の感触がはっきりと感じられて、息が止まりそうになってしまう。

「そうだ、弓也くん」

 腕を組んで、体を押し付けたまま。千早はダッフルコートのポケットに空いている方の手を滑り込ませると、ラッピングされた小箱を取り出した。

「テストのご褒美、兼クリスマスプレゼントだ。気に入ってくれると、いいんだけど……」

 弓也が空いている方の手で小箱を受け取ると、中でからからと何かが転がる音がした。

「……何か、聞いていいか?」

「サイコロのセットだ。十面と六面が二つずつと、八面と四面が一つずつ。この前勉強の合間に、友達とアナログゲームをやると話していたからな」

「マジか。ありがとう、千早」

 オンラインツールを使うことが多いとはいえ、リアルダイスがあると何かと便利なことも多い。特に六面以外のものはなかなか手に入りづらいため、欲しいと思いながらもなかなか買いあぐねていたのだ。

 今度友広と恭二を家に呼んで、遊びがてら自慢してやろう。小気味のよい音が鳴る小箱を、弓也はダウンジャケットのポケットに仕舞った。

 仕舞うと同時に。長方形の包みを取り出すと、弓也はそれを千早の目の前に差し出す。

「ほらこれ、俺からだ」

「え……」

「クリスマスプレゼント。俺ばっかりもらっちゃ、申し訳ないから」

 千早は目の前の包みをまじまじと見つめてから、手を伸ばして受け取った。

「中身は文房具のセットだから。勉強するときにでも、使ってくれ」

「……ありがとう」

 てっきり、プレゼントを受け取った千早は、喜んで笑ってくれると思っていたのだが。

「ありがとう……うぅ……ありがとう……」

 渡された包みを握りしめたまま。千早は立ち止まると、突然泣き始めたのだ。

「ど、どうしたんだ、一体」

 目からぼろぼろと涙を流しながら、包みを絶対離さないように握りしめる千早に。弓也は戸惑い、どうしていいか分からず千早を見つめる。

 もしかして、文房具セットが嫌だったのだろうか。でもだとしても、泣くほどのことではない気がするが。

 おろおろする弓也に対して、千早は腕を離すと溢れ出す涙を拭って、やっと笑ってくれた。

「違うんだ……これは、その。君からプレゼントを貰えたことが、あまりにも嬉しすぎて」

「……つい、泣いちゃったのか」

「うん。ごめん、紛らわしくて」

 紛らわしくなんかない。口でそう言う代わりに、弓也は千早を抱きしめていた。溢れんばかりの愛おしさを感じながら、千早が落ち着くまで待って。

 やがて千早が泣き止むと、弓也は体を離して、先程千早がやったように、彼女の頬に軽くキスをした。

「……本当に。君はいつだって私の欲しいものをくれる」

「そうか?」

「ああ。君は忘れているかもしれないけど、私は君に数えきれないほどのものを貰っているんだ」

 微かに涙の痕が残る顔でにっこり笑うと。千早は弓也からのプレゼントを仕舞って、再度腕を組みなおす。

「実は最近、趣味で小説を書いていてね。文房具はいくらあっても足りないぐらいなんだ」

「小説、書いてるのか」

「あくまで趣味だけどね。君のプレゼントは、大切に使わせてもらうよ。そして書きあがったら、ぜひとも読んでみてくれないか」

「もちろん。琴峰千早がどんな物語を書くか、気にならない人間はいないからな」

「あはは、なにそれ。ちょっと大げさじゃないかな」

 二人で笑い合って、見つめ合って。

「じゃ、ご飯食べに行こうか」

「そうだな。俺はステーキが食べたい」

 粉雪の降る街中を、予め行くと決めていたファミリーレストランへ向かって。弓也と千早は、一緒に歩き出した。

 千早は、数えきれないほどのものを貰っていると言った。忘れているだけかもしれない、とも。

 もし千早との間に過去に何かあって、それを自分が忘れているのだとしたら。大して親しくもなかった彼女が、やたら距離を詰めてきたことにも説明が付く、かもしれない。

 何かあったとしたら、千早がやたら反応する林間学校が怪しいが……どれだけ思い返しても、「山の中で先生の遺体が見つかった」ということ以外、目立ったことはなかった気がする。

 ……もしかして先生の遺体が見つかったことに、何か関係があったのだろうか。だが、あの一件は子供たちに対する心理的配慮によって、多くの情報が伏せられている。当時はニュースもほとんど見なかったし、親に聞くのもさすがに憚られる。

 調べてみても、いいかもしれない。千早に内緒で、あの事件のことを。

「弓也くん」

 なんて、考えていたら。いつの間にか、千早が顔を覗き込んでいた。

「どうしたの」

「いや、何でもない」

 千早のことが好きだ、愛している。この想いが、変わることはない。

 だが愛しているからこそ、知りたいことというのもあるのだ。

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