第32場 急転

「随分と大変みたいだねー」


 なぜかこの状況を楽しむように、若菜がニカっと笑った。


「勘弁してくれ。こっちは四六時中付き纏われて困っているんだからな」


 現在、俺と若菜は大型書店の戸棚の前で雑誌を開いて、横に並んで立ち読みしていた。

 もちろん、適当に開いたページの雑誌に興味なんてない。

 

 麻白とおいそれと接触できなくなった以上、こうしてまるでスパイのような体験をして、どうにか魔女の手がかりについて情報共有をしてもらっていた。


 あれから——麻白と芽実が喧嘩してから、数日が過ぎた。

 基本的には彼女らの間では何も起きなかったが、とりあえず、芽実の俺への当たりは強くなった。


 スマホのGPS機能すら勝手に設定されていることに気がついた時には、さすがに呆れてしまった。


「コホン」とわざとらしい咳が聞こえた。


 チラッと横を見ると、若菜は『早速、話したいんだけどー』とでも言いたげに小さく頷いた。


「それで、芽実ちゃんだっけ?その子は今大丈夫なの?」

「ああ、家に着替えとかを取りに帰っているところだ」

「そ、だったらいいけどー」と陽気な声で言った。

「それで、占星術だったか?とりあえず、それが発動する時には、宗吾を唆した魔女を直接とっ捕まえることができるチャンスがあるってことでいいんだよな?」


「まあ、上手くいけばの話だけどね」

「どう言うことだよ?」


「うーん」と少し若菜の視線が雑誌から天井へと向けられた。そして、チラッと俺へと向いてからまたすぐに手元の雑誌へと戻った。

「実際に大規模な魔法を完成させるためには、場所と時間が正確に一致しないとまず失敗するんだよねー」


「難易度が高いのはわかった」

「うん、そう。だからー、普通は慎重になるよねー?」

「ああ、つまり、現場に現れて少しでもズレてしまわないように、最後まで魔法が完成するところを見届けるはずだ、と言うことか?」

「うん、そう」


 なるほど、だからこそ来るべき日まで交代で見張っていると言うことか。

 マジでご苦労なことだ。

 

 どのみち今の俺では身動きできないから、こいつらに任せるしかない。


 そもそも月食とやらがちょうど魔力が自然と集まるのがピークなんだとか言っていたが、それも本当なのか俺には判断できないことだから、なおのこと、俺にできることはないのかもしれない。


 そうなると、結局のところ、まずは芽実の件を片付けるしかないか。


「それで、今日の質問コーナーはこれで終わりかなー?」

「いや、宗吾の様子はどうだ?」

「えっとー。ちょっと許せないかなー」

「いや、若菜の意見じゃなくて——」

「だって、私の親友——萌香ちゃんを泣かせたんだよー。簡単に許せるわけないじゃん?」


 わずかに低くなった声に驚き、俺は若菜をじっと見てしまった。

 若菜は一瞬でニコッと笑みを浮かべた。

 でも、明らかにその表情とは裏腹に、魔力——赤い粒子が舞った。

 風など全くないのに、茶色の髪はふわふわとその赤い粒子と共に揺れた。


 どうやら相当ご立腹なことは明らかだ。


「そうか。元々は俺と同じ一般人だったから、情状酌量の余地はあるのかと思ったが、お前たち魔法使いの間で決まった裁き方があるんだったら、俺からは何も言えないし、好きにしてくれ」


「非人道的なことはしないから安心してよー。それに、さすがに国家魔法師の優衣先生から、わざわざ譲ってもらったんだから、そんな簡単に手放すようなことするわけないでしょ?」


「そうか」


 やはり、優衣先生は、何かしらの条件付きで宗吾の身柄を魔法協会とやらに突きつけていたのか。当然、国家魔法師などという妙な立場からの指示だろう。

 何にしても、俺としても宗吾に死んでほしくない。

 

 若菜はまるで自分に言い聞かせるように返事をした。


「うん。大丈夫」


「とりあえず、今のところ俺の方から確認したいことはない」


「りょーかい。じゃあまたねー」

「ああ」


 若菜は雑誌を棚へと戻して、立ち去ろうとして止まった。

 突然、身体をひねるように振り向いた。

 そんなことをしたから、つまずいたようにバランスを崩した。


「——!?」 


 俺は咄嗟に支えるように、若菜の華奢な身体を受け止めた。

 囁くような声で、若菜は言った。


「最後に一つだけ。ほんのわずかだけど、さっきシンジくんの魔力とは違う魔力の波長をシンジくんの中から感じたんだよねー」

「どう言うことだよ?」

「まあ、気のせいかもだけどー。どこかで魔女と接触していないよねー?」

「いやさすがに一度襲われた魔女と出会していたら、逃げ出すだろ」

「まあ確かにそうかもだけどー」とまるで貧血の様子を演技して、俺の胸元から離れた。

若菜の猫目がニコッと細められた。

「ありがとうございますー」

「いえ、お気をつけて」

「はーい。ありがとうございますっ」


 若菜は最後にウィンクして、書店の入り口へと歩いて行った。


 全く、ふらふらとする貧血の設定を最後にぶち込んできた癖に、最後は意気揚々と歩く後ろ姿は滑稽だぞ。


 そんな情景が、脳裏に焼き付いた。



 今頃、芽実はまだ実家にいるはずだ。

 着替えを取りに帰っていると言う点だけでなく、おそらく、親——家族に対して、なぜ俺の家に泊まっているのかを説明しているはずだ。


 まあ真相は何しても、今のうちに月食について調べることができそうだ。

 俺にできそうなことが見えてくるかも知れない。


 大型書店で購入した数冊の天文学に関する本を抱えて帰宅した。


 明かりのついていない居間に、電気をともそうと手を伸ばしたところで——


「——!?」


 ゾッとする寒気を感じて、振り向くと電気の消えた居間の奥——ソファーからじっと俺の方の見る視線に気がついた。


「ねえ、今までどこに行っていたの?」

「……おどかすなよ。てか電気くらいつけてくれ」


 何とか平静を装って、照明のボタンを押した。

 一瞬で、白い光が室内を照らし、芽実——金色の髪が光を散逸させる。エメラルドグリーンの瞳がじっと、俺のことを観察するように細められた。

 口元を綻ばせた後、わずかに桜色の唇が動いた。


「うん、ごめん。それで、今日はどこに出掛けていたの?」

「書店で本を買ってきたんだ」

「へー。じゃあ証拠を見せてよ」


 そう言って、芽実は立ち上がった。金色の髪を靡かせて、ズカズカと歩いてきた。

 俺の抱えていた紙袋へと一瞬チラッと視線を向けた。それから、俺の顔を覗き込むように、上目遣いになった。


「ごめん……最近、私ヘンだよね……」

「……」

「自覚はあるの……でもね、自分でもコントロールできなくなるから……」

「……そうか」

「だから、ちょっとだけ——」

 

 そう言って、芽実はゆっくりと俺の胸元に顔を埋めた。

 華奢で細い腕をまわして、まるで木々に絡みつくツタのように思えた。少しギュッと力の込められた小さな手が俺のシャツを掴む。

 少し湿ったような吐息が胸元に伝わってくる。

 ドクドクと脈打つ心臓の鼓動がなぜか速まった気がする。


 しかしこんな甘いやりとりに飲み込まれてしまうほど馬鹿ではない。


 とにかく、藍香がなぜ魔法使いなどと関わらなければならなかったのか、その真相を突き止めなければならない。


「わかった。もう少しだけなら……」


 空虚な言葉が口から出た。


 芽実がこくりと首を縦に振ったような気がした。

 

 すでに俺の頭の中は、どのようにして芽実を遠ざけるべきか、ということを考えていた。

 はやく一人になりたいと、強く思った。


 

 今日、月食が見られると言うことで朝からテレビでは、仕切りに観光スポットのアピールとともに、月食に関する豆知識をリポートしている。


 さすがに飽きてきたのが、芽実はテレビから顔を上げて、スマホへと視線を落とした。


「ねえ、シンジー?」

「なんだ」

「この後、宗吾くんだっけ?会う約束しているんでしょ?」

「ああ、昨日説明した通りだ」


 昨夜、取り乱した芽実を説得するために、結局思いついたのは、嘘で塗り固めることだった。


 正直なところ、芽実を説得するつもりなんてこれっぽっちもなかった。


 ただ、学校の用事を理由にしても、普段からの俺の学校生活を知っているため、それらを理由にすることはできない。


 だから、かつてのサッカー関連の用事があることで嘘を突き通すことにした。


 それに、芽実は宗吾のことをあまり知らないはずだった。そのため、後から嘘がバレるようなこともないだろうと思った。


 もちろん、宗吾自身についても、魔法協会で身柄を拘束されているらしいので、その点でも芽実が確かめようのないことは明らかだった。


 とにかく、本日、あの魔法使い——俺を襲った魔女が、何かしらのアクションを取ることはっきりとしている以上、俺はなんとしても国立天神公園へと行かなければならない。


 すでに、窓から差し込む夜空の景色は、暗闇を運んできていた。

 時刻は19時を過ぎたところ。


 俺はスマホに視線を落として、麻白からのメールを開いた。


『20時に国立天神公園の噴水前に来て』


 そろそろ、ここを出なければならなかった。


 だから、芽実を遠ざける最後の手を先ほど打っていた。

 キッチンから居間のソファーに座る芽実を見ると、すでに、こくりこくりと頭が揺れていた。それに呼応するように、金色の髪がふわふわと左右に揺れていた。


「あれ……なんかすごく……眠い——」

「疲れでも溜まっているんだろ」

「うん……そうかも——」


 芽実は何かを言おうとして、最後まで言葉を続けることはなかった。

 すでに身体がソファーに沈んでいる。

 

 すまないが、お前に構っているほど今は暇じゃないんだ。


 俺は急いで、皿を片付けているフリをしていたキッチンから出た。

 

 さすがにこのままにするわけにも行かないから、芽実の身体に薄いダウンケットをかけた。その時に、赤い粒子のようなものが一瞬視界に映った気がした。


 何度か瞬きを繰り返すと、単に光によるものだったらしい。

 

 どうやら俺も疲れているようだ。


 急いで麻白との約束の場所——国立天神公園へと向かった。



 約束した時間になっても、麻白が一向に現れる気配がない。

 一瞬、時間と場所を間違えてしまったのかと、スマホを確認した。

 しかし、昨夜受け取ったメールには、『20時に国立天神公園の噴水前に来て』と書かれているだけだ。


 噴水が水を吐くようにして水しぶきを上げた。

 すでに何度目かわからなかった。


 普段であればライトアップされているはずの噴水を照らす色とりどりのライトも消されている。だから、静かに水が上がり、そしてバタバタと落ちる水滴の音が暗闇を支配していた。


 その時——何かが擦れるような音が背中越しに聞こえた。

 誰かがいるような気がして、振り向くと——エメラルドグリーンの瞳が真っ直ぐに俺へと向けられていた。

 

 金色に輝く長い髪が、月の光に照らされて、ギラギラと周囲に青白い光を散逸させている。

 

 まるで、何かしらの魔法を使っているかのように、身体からわずかに粒子がふわふわと舞っているように見えた。


「こんばんは、お兄様?」


 確かに、芽実の小さな唇がそう動いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る