第2幕 舞台上で踊る者たち

第12場 旧校舎

 昼休みの鐘の音が鳴った。

 その瞬間、弛緩した空気がクラス内を覆い、授業が終わった。


 瞬く間に学食に移動する男子生徒や弁当を持って机を移動させ始める女性徒が、昨日同様今上の席に押し寄せた。


 今上がチラチラとこちらを見ている気がした。

 100%面倒ごとに違いなかったため、全力で無視して教室を出ようとした。


 そんな時、背中越しにどよめく声が聞こえた。

『ごめんね。今日は赤洲君に呼ばれているから』と今上はなぜかしたり顔で爆弾を落とした。一瞬、ぽかんとしたクラスメイトたちが『え?』など驚きの声を上げた。


『それじゃ、屋上に行こ?』


 クリーム色の髪をなびかせて、俺の手を引っ張るようにして歩き出した。

 騒がしいクラスメイト達の間から、芽実の視線を感じた。怒ったようにジッと目を細めて、『せつめいして』と口を動かすのが見えた。


 その時——今上に強く引っ張られた。


 言いたいことはたくさんあるが、今上は有無を言わさずに黙って歩き続けた。

 クリーム色の髪を左右に揺らしながら、何かを思案しているのだろう。廊下で声を掛けてきた生徒たちに『ごめんねーちょっと急いでいるから』と言って俺を見た。


 少し焦っているかのように、強張った笑みを浮かべていた。


 俺はとりあえず屋上に誰もいないことを目視してから口を切った。


「おい、ポンコツ魔法使い!」

「誰のことかな」

「ふざけるな、昨日の契約を忘れたのか」

「ふざけていないし、忘れてないから安心して。緊急事態が発生したから、仕方なく声を掛けたの」

「……だったら手短にしろ」

「できるだけ手短いにしたいけど……そのご要望は無理そうかな。だって——」


 今上は色白くて細い指を空中ーーいや、旧校舎の方角へと向けた。


 その指し示す先には——幾重もの細い赤い糸が旧校舎を覆っていた。まるで鎖のように旧校舎に巻き付けられているようだ。


 藍香の部屋のように何かの幾何学模様を現しているのかもしれない。


 例えば、フラクタル図形の一部のような何かの規則性を持っているように見える。

 今上は俺の思考を遮るように、少し掠れた声で言った。


「手短に済ませることは出来ないでしょ?だって、藍香さんの部屋で使用された魔法と同じ魔法が使用されたのだから」


 今上は腕を下ろして、俺へと振り返った。

 潤んだ瞳、強張った頬、少し紫色になった唇が、今上が動揺していることを表していた。


「いつの間に使用されたんだ……いや、それよりも妹さん——紫苑さんかどうかはわからないが、魔法使いがこの近くにいるということか?」

「魔法は昼休みのチャイムと同時に使用されたから、紫苑——いえ、魔法使いは……」と今上は一瞬目を閉じた。そしてすぐに、目を開けて「気配を感じない。でも、きっと近くにいたはず」


「そうか。それで、これからどうするのが良いんだ?俺はこのまま旧校舎へ行けばいいのか?」

「ダメ。それはダメ……もしもこれ以上犠牲者が出てしまったら……」

「じゃあ、どうすればいいんだ?」

「……『導きの阻害』」


 今上がそう言った瞬間、青白い光が視界を覆った。

 揚羽蝶のような3匹の蝶が現れ、羽を動かすたびに青い粉を空中に舞い散らせた。蝶はひらひらと舞うように旧校舎へと羽ばたいていった。


 俺は蝶の姿が小さくなるのを見届けてから言った。

「あの蝶を使って何をしようとしているんだ?」

「生徒が立ち入らないように妨害魔法を張ったの」


 なるほど、無用な犠牲は払いたくないというのは本心のようだ。

 心優しい魔法使いのようだが、実際は何か別の目的があるのかもしれない。

 いずれにしても今の俺には判断できない。


 そうなると、もう一つの問題——俺自身の変化が厄介かもしれない。

 昨日、今上が魔法を使用した時、どこの言語か分からず聞き取れなかった……いや違うな。言語であるかさえ聞き取れなかった。


 しかし、今日——確かに今、魔法の呪文みたいな言葉が認識できた。


 この変化は何を意味するのか。


 それに今上が魔法を使う前から、旧校舎の赤い糸——魔法の存在を認識できていた。


 案外、俺の身体は、面倒なことになっているのかもしれない。


 この変化を今上へと伝えるべきかどうか、判断に迷う。


 昨日交わした契約——あれを信じるならば、隠すのはデメリットだろう。

 それこそ本当に契約通り身体的な罰則が科されるのだとしたら厄介だ。


 仮に契約通り以上の罰が課されているのだとしたら、それこそ別の罰則が科されている可能性が否定できない以上、ここで黙っていることは不利になる可能性が高い。


 そうなると、やはりそれとなくほのめかすしかないか……

 先ほど、今上は何と言っていたのか。

 確か——


「『導きの阻害』……」

「ええ、そう……えっと、今魔法を使った?」

「ああ、呟いた言葉をまねただけだがな……」


 小さな青い光が発生し、その光源から一匹の蝶の姿が現れた。

 その小さな蝶は羽を動かすたびに、それに呼応するように青い粉を周囲へと散布している。


 なんだ?俺の身体から『何か』がほんの少しずつ抜けていくような感覚がする。


 とりあえずこの後どのように対処するべきか判然としない。

 今上へと視線を戻したが、今上はわずかに目を細めてつぶやいた。


「赤洲君……やっぱりあなた……」


 今上が口を開いた瞬間——屋上のドアが『バタン』という音とともに閉まった。

 数人の男子生徒と女性徒たちが来たようだ。


「あーすまないが、この蝶どうすればいい?」

「『風よ』」と今上が言った。


 その瞬間、強い風が俺の周囲を襲い、蝶を吹き飛ばした。蝶の姿は風によって跡形もなくかき消された。少し青い粉が周囲を漂ったが、それもすぐに消えてしまった。



 それに、俺の身体から『何か』が抜けてゆく感覚もなくなった。

「あれーましろんとシンジだー」ととぼけたような芽実の声が聞こえた。

「ましろんここにいたー」

「あれ、俺ら邪魔した感じ???」


 よく見るとクラス内で陽気な集団——男2人、女3人がこちらへと近づいてきた。

 俺は小さく今上に目礼し、横を通り過ぎようとして——制服の裾が引張られた。


「……?」

「放課後、18時に化学準備室」

「……わかった」


 俺は一度旧校舎へと視線を動かし、屋上から校舎内へと戻った。


 背中越しに今上の少し上ずった声が届いた気がしたが、立て付けの悪いドアを閉めた。


 昼飯はどうしようか。

 すでに売店は人でごった返していた。

 


 化学準備室の扉は、立て付けが悪かった。

 ガラガラという音を無視して、足を踏み入れると、放課後の準備室は、窓から射し込むオレンジ色の夕日によって満たされていた。


 おそらく前の授業で誰かが忘れていたのだろう。

 少し開けられたままの窓から心地よい風が吹き込み、パタパタと白いカーテンを揺らしていた。黒い壁には、骨董品のように古めかしい時計が掛けられている。その時計は小さな音を立て長針がわずかに動いた。


 ちょうど、今上の指定した18時になったところだった。

 しかし、一向に今上の気配がない。


「あいつ……」


 愚痴っても仕方がないが、自分から指定したくせに時間通りに来ないとは、あの天然魔法使い様はいささか傲慢なようだ。


 灰色の長机に、模造紙が大きく広げられている。

 模造紙には、何かの実験結果をまとめている途中のようだ。回帰線が書かれているが、書きかけのため判然としない。


 模造紙の四方の隅には、動かないように小さな石の置物が乗せられている。

 その不揃いの大きさの石が動いてしまわないに気を付けて、机に立てかけられていたパイプ椅子を広げた。


 腰を下ろすと、制服の内ポケットでスマホが振動した。


「もしもし」

「——ごめんなさい、クラスメイトのみんなとカラオケ行くことになりました」

「言いたいことは色々あるが……その口調はなんだ?気持ちわるいな……」

「な、何をいっているのいつものことですよね?」と今上の若干上擦った声が返ってきた。


「……なるほど、近くにクラスメイトがいるんだな……聴き耳でも立てられているのか。だから擬態しているということか」

「……」

「じゃあ、ボロを出す前にとっとと話を切り上げたいが、その前に確認だ。調査するんじゃなかったのか?」

「明日でお願いします……」

「……」

「し、しかたないじゃないですか。転入して二日目ですから、無下にも出来ませんよ……」と言い訳がましく口ごもった。そしてすぐに「そ、そうです。今回は交流会なのですから、必要不可欠なことです!」


「ああ、そうか。お前が、押しに弱いことはよくわかったよ」

「ぜんぜん、そんなことないから!?ただ、芽実ちゃんがどうしてもって言うから……ね?」


「芽実のせいか……というか口調戻っているが、いいのか」


「う、こほん。何と言いますか……」と歯切れの悪い言葉が続いた時に、横から声が遮った。『なになに、ましろんー。私の話かなー?誰に電話してるのー?もしかして彼氏に連絡?』と芽実の陽気な声が聞こえた。今上は、焦ったように「ち、違いますよ!?えっと、お、お兄様です」と答えた。『へー『お兄様』がいたんだー。一人っ子かと思ったーじゃあ、兄妹水入らずの時間を邪魔してごめんねー。先に下駄箱に向かってから!』「は、はい」と言うようなやり取りを終えた。


「それで……いつから俺はお前の兄になったんだ」

「それ以上、何も言わないで。軽く後悔しているところなんだから……」

「まあいい。口調戻っているがいいのか」

「ええ、もう近くにだれもいないからね」

「そうか……それで、調査は明日に持ち越しでいいんだよな?」

「そうね。ごめんなさい。明日の放課後こそ必ず」

「わかった」


「あと……旧校舎には絶対に近づいちゃダメですよ!私の専門は魔法の解析じゃないからまだはっきりとは言えないけど……あかす——お兄様のような魔法の素人が結界内に入ったら何かトラップがあっても対処できませんから、大人しくしていてくださいねっ!これはあかす——お兄様の命にも関係することなのだから——」とまた今上の口調が丁寧に戻ったのは、どうやらクラスメイトが近づいてきたかららしい。『なになに、魔法?』とクラスメイトである黒田蓮のチャラチャラした声が聞こえた。「あ、はい、ゲームのお話ですが」と今上が答えた。すると『へーましろんゲーマー?』とクラスメイトの黄野結の間延びした声が聞こえた。今上は「あはは……じゃ、お兄様また」と手短に言った。


「ああ、楽しんで来い、妹」

「——っ!?」


 俺は返事をきかずに電話を切った。

 これくらいの仕返しは、許されるだろう。


 スマホを制服にしまい窓の外を覗く。


 ここからでは屋上よりもの旧校舎全体を見渡すことは出来ない。


 ただ、旧校舎に展開されている魔法とやらの赤い糸のようなものは、捉えることができる。


 見れば見る程に、藍香の部屋と同じ魔法なのか判然としない。

 何を意味しているのか。


 ……このまま大人しく帰宅するわけがない。

 悪いな今上?


 お前の監視がない絶好の機会を見逃すはずがないだろ。

 俺はバックパックを背負て、早々に化学準備室を後にした。



 旧校舎の前には赤いペンキのような塗料で『危険、立ち入り禁止』と看板が立てられていた。


 そういえば、在校生の誰かが勝手に入ったんだっけ?

 もろいコンクリートが崩れて命を落としそうになったと聞いたことがある。

 それに、地元の市議会長だかの卒業生が旧校舎を残す残さないでもめていることも入学式で言っていたような気がする。


 まあ、そのような変な噂はどうでもいいか。


 それにしても、意外ときれいな状態だな。

 すでに使われなくなって、10年は経っているはずだが、いささか綺麗すぎないか?


 見てくれだけは、手入れされているのか。どこにでもある少し年季の入った校舎のようだ。


 ただ一つ——青い蝶がひらひらと舞っていることを除いてだが。


 青い蝶が舞っているところを見ると、ちゃんと旧校舎付近には誰一人と近づけないように人払いの魔法の効果を発揮しているのだろう。


 理屈はどうであれ、いつもならば、どこかの部活が新校舎と旧校舎を結ぶ舗装されたコンクリートを走り込んでいる姿を見るが、今はそのような姿がない。


 並木が風に揺れて、葉と枝がバサバサとあたる音だけが支配していた。

 どこからか旧校舎内に入ることができないか、旧校舎を一周してみるか。


 古い建物のはずだが、壁にはひび一つ入っていない。噂通りならば、校舎内で崩落があったはずだが、外から伺う限りではそのような痕跡は見つからない。


 やはり単なる噂か。

 どうせ教師の誰かが、生徒が旧校舎に勝手に入って問題を起こさないように手を打ったのだろう。


 校舎自体は『コ』の字になっている。

 外側から右回りに歩いてきたから、今は『コ』の縦棒の外側にいることになるはずだ。


 昇降口の前にはやはり『危険、立ち入り禁止』の看板がある。加えて、工事現場のように鉄の板とロープでドアに近づけないように慎重深く配置されているようだ。


 その時、隙間風のような『フュー』という音が聞こえた。

 どこかに校舎に侵入できる隙間があるかもしれない。


 俺はバックパックを下ろそうとして——背中越しに声が聞こえた。


「ここで何をしているのですか——赤洲さん?」

「——!?」


 いつの間にいた?

 振り返ると、山田優衣先生が両腕を胸の前で組んで立っていた。

 できるだけ冷静を装って、言葉を捻り出した。


「……お疲れ様です」

「お疲れ様です……それで、質問には答えていただけますか?」

「特に理由はありませんよ。ただ放課後の学校の散歩を楽しんでいて、疲れたから休憩でもしようとしただけですよ」

「そうですか。ですがこの旧校舎は老朽化しており、近づかないようにと入学式の時にはお伝えしましたよね?」

「あーそうでしたか?入学式の時は緊張していて、頭から抜け落ちてしまっていたのかもしれません。すみません」

「いえ、これから気を付けて頂ければ問題ありませんから、ここから離れましょうか」

「はい……わかりました」


 俺は渋々バックパックを背負い、旧校舎から離れた。すると山田優衣先生は少し安堵したように息を吐いた。


 本当に崩落事故があったのだろうか。

 よほど俺いや——生徒をこの旧校舎に近づけたくないのだろう。


「放課後、私が見回り担当になっています。これ以降、注意されることがないように気を付けてくださいね?」


 山田先生は有無を言わさず、くぎを刺した。

 俺は首を縦に振り、黙ってその場を後にした。

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