第4場 邂逅

 それは夏休みも終わる8月31日のことだった。


 その日は、まだ蒸し暑い日が続き、セミの鳴き声もどこからか聞こえてきた。

 太陽から照らされる直射日光とアスファルトから跳ね返ってくる熱が、歩道を歩く人々を容赦なく襲っていた。


 そんなクソ暑い中、俺は国立図書館から帰宅途中だった。

 

 だらだらと汗がとめどなく額から流れ落ちて、イライラとする。

 いや、イラつく根本的な原因は、異常気象の暑さ何かではない。


 それは——藍香の死んだ理由について、全くと言っていいほど手がかりがないことだ。


 警察の調査によると、藍香の死因は心不全だった。


 自然死。


 特段変哲も事件性もないありふれた死因。


 単なる不幸な事件。


 そんな結論が、警察の捜査によってとっくに出されていた。


 しかし、そのことに納得がいかない。いや、納得も何もない。

 俺は真実を知っているのだから。


 あの日——藍香が死ぬ前日に、誰かが藍香の部屋に泊まりに来ていた。


 その事実をはっきりと覚えている。


 だからこそ、俺は警察に伝えた。


 ところが、誰かが出入りしたという事実は確認できなかった。


 警察によると、藍香のクラスメイトを含めて、部活動の後輩までくまなく交友関係を洗い出しても、その日藍香の部屋を訪れた人はいないということだった。


 まるで初めから姿形がないかのように、誰一人と藍香以外の人物が部屋にいた痕跡を発見できなかった。


 それ以上は、手がかりがなかったことと俺の勘違いということで捜査されなかった。


 誰も捜査をしない、だったら俺が真相を調べれば良い。

 それだけのことだ。


 俺は一から調べ始めた。


 そもそも心不全に見せかけることによって、人を殺すことができるのかどうか。


 この日、それを調べるために、俺は図書館へと足を運んだ。


 今日の収穫といえば、『心不全に見せかけて殺すこと』は可能であるという結論を得たことだ。藍香を殺した具体的な方法はわからないが、この世の中には心不全を引き起こす方法があることに変わりないことからも、きっと手がかりがあるはずだ。


 それに……あの日存在していたはずの犯人がどのようにして、痕跡を残さずに立ち去ったのかもわからない。まるで初めから存在していなかったのかのように跡形もなく消え去った。


 姿形を消せるような透明人間や魔法使いとでも言うのか。


 いや馬鹿らしい。そんな非科学的なことはあり得ないはずだ。


 そもそも根本的なことさえ分かっていない。


 なぜ藍香が殺されなければならなかったのか。


 その理由が全くわからない。


 もちろん、警察は俺が今日まで調べたようなことはすでに把握しているに違いない。そして、身辺調査も含めて、事件性がないと判断した。だからこそ、藍香の死は、心不全という自然死で片づけられた。


 あの日、あの場所。存在した誰か。


 その誰かが藍香を殺したに違いない。


 それにもかかわらず、なにも情報を掴めていない。


 おかしい……。


 俺の記憶違いなのか。よくできた夢でも見ていたとでも言うのか。


 何かが……だめだ。


 冷静になろうと心掛けようとすればするほど、頭の中が余計複雑になって行く気がする。


 一度、頭の中を空っぽにした方がいいのかもしれない。


 先ほどまで青信号のままだったが、俺が横断歩道へと足を踏み出そうとした瞬間、目の前の信号は点滅し始めた。俺は踏み出しかけた右足を引っ込めた。


 立ち止まった俺とは正反対に、手をつないだ兄妹が走り抜けて行った。


 首元に流れる汗を拭って、俺は走り去った兄妹の背中を見た。段々と遠ざかる小さな背中から、信号機に視線を戻した。


 信号が赤から青に変わるのをじっと待ち続けることしかできなかった。

 


『ねえ、お兄様?今日もあの公園に?』

『ああ、今日こそはリフティング1000回を目指す』

『お兄様……最近ボールをけってばかりで、藍香と遊んでくれません』


 ふぐのようにほっぺたを膨らませて、藍香はそっぽを向いた。


 確かに、最近藍香と一緒に過ごす時間がなかった。

 さっさと夏休みの宿題を終わらせて、サッカーの練習ばかりしていた。それに、3か月前に入ったサッカークラブが忙しくて、土曜日も日曜日も一緒に遊ぶことがなくなった。

 お父さんもお母さんも仕事で忙しいから、藍香にはさみしい思いをさせてしまっていたのかもしれない。


 そんなことを子どもながらに考えて、申し訳なく感じたのかもしれない。

 その時の俺は、自然と口から言葉が零れていた。


『だったら一緒に行くか?』

『ふーん』

『じゃあ、ひとりで行くけど?』と言って、ボールを抱えた。

『えっ……』と藍香の大きな瞳が向けられた。


 おろおろとした視線は、『まさかこんなはずでは』と困ったような焦るような表情だった。藍香は素直に『一緒について行きたい』という言葉を言えずにもごもごと口ごもった。


 その姿がおかしくて、なんとか笑みを堪えながら、俺はいたずらにせかした。


『一人で行くけど、いい?』

『あっ、え……』


 みるみるうちに藍香の瞳には涙が溜まってきた。

 …………さすがにやりすぎたかもしれない。

 そう思って、とっさに言葉を考えた。


『その……俺だけだと心細いから、誰か一緒に居てくれるとありがたいなー』


『え?』


『俺だけだともし日射病になったときに、大変だなー。誰か一緒について来てくれる人はいないかなー』


『……し、仕方ないので、藍香が一緒に付いて行きますっ!』


 背伸びをするようにして、藍香が俺の前に立った。先ほどのおろおろとした表情は嘘であったかのように胸を張った。


『うん、そうです。藍香はお兄様をかんとくしますっ!』


 藍香は一人納得するようにうなずいて、俺の方へと駆け寄った。

 俺と藍香は一緒に公園へと向った。



 境内を通りぬけると、強い風が吹き抜けた。


 あまりの強さに、一瞬、目を閉じてしまった。


 それがいけなかったのかもしれない。


 いつの間にか、境内をくぐった先に女性が立っていた。まるではじめからそこにいるのが当たり前のように存在していた。


 明らかに——不自然だ。


 黒いロングケープを羽織り、目元まで隠れるフードを被っている。どのような顔か判然としていない。気味の悪い居心地の悪さを感じる。それにしても、このクソ暑い中、真っ黒なコスプレをしているとは、センスを疑う。


 いや、俺に人の趣味をとやかく言う資格などない。


 ただイタイ人間などとは関わりたくないだけだ。


 だからこそ、その女性の存在に気付かないふりをすることに決めて、横を通り過ぎようとして——


「こんにちは」


 抑揚のない声だった。

 一瞬、誰に言っているのかわからなかったが、俺に向けられた言葉だと気が付いた。

 フードの奥から、俺へと視線が向けられているような気がした。


「……こんにちは」

「赤洲さんは、どうしてこの神社へ来たのですか?」


 俺の挨拶に対して、女性は間髪入れずに言葉を放った。


 まるではじめから俺の答えなんてどうでもいいかのような機械的な反応に思えた。

 だからかもしれない。

 この自己中心的な言動が、すこし腹立たしい。


「すみません、どこかでお会いしたことありましたか……?それに、質問の意図がわかりませんが?」


「お気を悪くさせてしまったのでしたら、すみません……」

「いいえ、こちらこそ買い言葉に売り言葉で、すみません」


「ふふ……」となぜか女性は小さく笑った。


 意味がわからない。面白いことなどなかっただろうに、なぜ笑ったんだ。

 何にしても、関わらない方が吉だろう。


「……では、俺は失礼——」と早々に会話を切り上げようとしたが、言葉が遮られた。「あなたは、ここ最近の失踪事件について何かご存知ですか?」と女性が疑問を呈した。


 自分の質問に答えることが当然であるというような上から目線で接するというスタンスは崩さないようだ。


「確か……中高生が失踪していると、今朝のニュースで見ましたが、それ以上のことは存じません」


「ふふ、そうですか」

「……それがどうかしましたか?」

「いいえ、何でもありません。あなたのようではないみたいですね」


 女性は、少し落胆したような口調で呟いた。


「どういう意味でしょうか……?」


「いいえ、お気になさらず」と女性は、すでに俺の存在に興味を示していないかのように視線が、手元に握りしめている紙切れに落とした。そして、それこそ仕方なく形式的に言葉を付け加えた。


「すみませんが、最後に——魔法使いの噂はご存知ですか」


 この非常識な女性は、一体全体なんだ。普通、何も説明のないまま、複数の質問を立て続けにするものなのか。


 それに——質問をしたかと思ったら、俺の回答を聞くやいなや『もう興味ない』というような態度をとる。


 終始自分勝手な言動を繰り返しており——不愉快な女だ。


「その様子ですと、ご存じないみたいですね……」

「……」

「なんでも願いを一つ叶えてくれるらしいですよ。もちろん、それなりの代償と等価交換らしいですけどね」


 女性は一人勝手に喋った。俺の反応を見ることなく、すぐに境内の外へと足を踏み出した。最後に俺に振り返った。


 口もとがわずかに動いた気がした。


 その瞬間——


 先ほどよりも強い風が、あたり一面に吹き抜けた。

 反射的に目を閉じてしまった。


「——!?」


 いつの間にか、女性の姿は見当たらなかった。


 それこそ、瞬間移動をしたように忽然と消えた。


 ただ、木々のがさがさと揺れる音が境内に響いた。

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