第3場 転校生


赤洲あかすの妹、死んだらしいよー」

「うそ、まじで!?あの中等部の『高嶺の花』だよね……?美人薄明じゃん」

「心不全だってさー。ていうか、声押さえなさいよー」

「うわー、かわいそー」

「あ、それよりも転校生——」


 教室のドアを開けると、クラスメイトの女子がこそこそと話すのが聞こえてきた。


 いや、それだけではない。いくつもの好奇の視線が俺へと向けられるのがわかった。


 視線がぶつかった幾人かは、わざとらしく無理やり話題を変えるように俺から視線を外した。


 妹——藍香あいかが死んでから2か月以上が経った。


 クラスメイト達は、いつの間にか藍香の死を知っていた。


 いや違う。そんなことは当たり前なのかもしれない。クラスメイトの誰かが言ったように、藍香は中等部の『高嶺の花』なんて呼ばれていた。


 だからきっと、中等部の後輩から藍香の死について聞いたのかもしれない。


 そう考えると、夏休みを挟んでいたとはいえ、いささか遅すぎた気がしなくもない。


 そもそも俺が気付かなかっただけで、夏休み中すでに噂は広まっていたのかもしれない。普通に考えれば、高等部の生徒の誰かが葬式にいたと考えるのが妥当なのだろう。

 そういえば、生徒会あたりの役員が、参列者の一人として、あの場に出席していたような記憶がある……。


 しかし、そんなどうでもよい思考を止めてしまうほどに、今現在のクラスメイトたちからの好奇の視線は——不愉快だ。


 たいして仲良くもないクラスメイトからの好奇の視線を無視して、俺は机へと向かった。


 真新しい机が隣に置かれている。


 この時期に転校生が来るのか……


 先ほどまでの不快な視線は、いずれこの新しい話題にとって代わるのであろう。だったら、それまでの間、娯楽に飢えているクラスメイト達のえさになったとしても構わない。


 そう自分に言い聞かせて、俺はバックから教科書を取り出して、机へと入れる作業を始めた。最後の教科書を掴んだところで、後ろから肩をたたかれた。


「おはようー、シンジ?」


「……芽実」


 一瞬だけ視線を上げると、ニコニコと笑みを浮かべる芽実——青葉芽実あおばめみと視線が合った。派手な化粧をした芽実は、カールした金髪の毛先をくるくると遊ばせた。

 そして、俺の様子を見た後、眉をひそめて仏頂面になった。


「なによ、辛気臭いわね?」

「別に、そんなことないだろ」


 俺の返事に納得できなかったのか、芽実はそっと俺の耳元に口を近づけた。ふわっと毛先がカールした髪が舞って、柑橘系の甘い香りがした。芽実はさらに近づいて、小さな声で言った。


「まだ藍香ちゃんのこと納得できていない?」

「……まあな」


 歯切れ悪く答えてしまったからかもしれない。


 芽実はすっと離れて、俺の前方へと移動した。くりっとした芽実の瞳がすっと細められた。何かを思案するように数秒ほど、芽実の茶色い瞳がじっと俺を射抜くように固定された。


 その視線から逃れるように、俺は手を動かして教科書を机にしまった。

 そんな俺の誤魔化すような態度を咎めるように、芽実は口を開いた。


「何か、危険なことしてないよね?」

「『何か』とは、何だよ?」

「そ、それは、知らないけど……とにかく危険なことよ!」

「……」

「ちゃんと、答えてっ!」


 芽実の少し甲高い声が教室中にこだました。ざわついていた教室が一瞬にして静まった。クラスメイト達からの視線が、一斉に俺と芽実へ向けられたのがわかった。

 

 先ほどよりも不愉快な視線が増したからかもしれない。

 口から出た言葉は低くなってしまった。


「……何もしてない」

「ほんと……?」

「ああ、本当だ」

 出来るだけ明るい口調を心がけて答えた。


 そもそも実際、何もしていない。

 というよりもむしろ、何もできていないのが現状だった。


 なんせ手がかり一つもつかめていないのだから。


 腹立たしい無力感を押し殺して、もう一度念を押すように続けた。

「本当に何もしていないから、安心しろ」

 今はまだな、という言葉を飲み込んで、芽実の潤んだ瞳を見た。


 俺は絶対に妹を殺した犯人を見つける。

 そのためならば、なんだってする。

 たったの15歳で死ぬ運命だなんて理不尽だ。

 

 妥当ではない。

 

 『はじめから決められた運命だった』などというあいまいなもので片づけて良いわけがない。

 

 なぜ他の誰かではなく、藍香が死ぬ運命をたどる必要がある?

 なぜ俺が死なずに生きている?

 なぜ好き勝手に生きている俺が許されて、いつも我慢ばかりを強いられていた藍香が死ななければならない?

 

 理不尽だ。なんの因果だ?

 

 とめどなく溢れてくる気持ちをなんとか浅い呼吸で整えて、俺は誤魔化した。


「そう。だったらいいんだけど……」と芽実は呟くのが聞こえた。そしてすぐに暗い話題を打ち消すように、芽実はぱっと大きく瞳を開いた。

 少し大げさそうに、明るい口調で言った。


「そういえば、『魔法使いの噂』知っている?」


「確かなんでも一つ言うことをきいてくれるんだったか?」


「そうそう。何でも一つだよ!?私だったら、何をお願い知ろうかな……?やっぱり、満漢全席とかかなー?」


 うーんと考え込むようにして、芽実はくるくると髪を右手で触った。数秒して、ぱっと顔を上げた。不貞腐れるように少し頬を膨らませた。


「ちょっと……何よ、その視線?」

「いや、女子高生が食い気を第一に考えるとは……」


 いろいろと終わっているだろ、という言葉は何とか飲み込んだ。しかし、俺の言動が気に食わなかったようだ。芽実は先ほどよりも細められた鋭利な視線を俺へと向けた。


「何か文句でもあるの?」

「ないよ」

「そういうあんたこそどうなの、シンジ?」

「俺は……」


 バックを机の横へと避けて、俺は考えた。

 何を願うのか。何を懇願するのか。そんなことは決まっている。

 どうして藍香は死んだのか、それだけだ。


 真実を知りたい。


 理不尽な藍香の死。不可解な妹の死の真相を知りたい。


 あの日確かに部屋には誰かがいた。前日に、藍香は友だちを部屋へとあげていた。

 

 あの時、藍香は言ったんだ。


『今日はお泊り会なんですから、お兄様は絶対に藍香の部屋に来ないでくださいね?』


『わかった……男か?』


『は、はい!?お兄様は何をおっしゃっているのですか!?藍香がそのような不埒なことをするように見えるというのですか!?』


 ティーセットを両手で持ったまま、薄暗い廊下で藍香は俺を叱った。


 そして——


「ねえ、シンジ?」

 芽実は明らかに振る話題を間違えたことを申し訳なさそうにつぶやいた。

 俺は思考を切り替えて、適当に答えようとした。


「俺ならば——」


「はーい、着席してねー」


 担任教師の山田優衣やまだゆい先生が教室へと入ってきた。


「もう……じゃあ、お昼休みに」

 芽実は渋々といった表情でそう言って、自席へと向かう。

 俺は「ああ」と首肯して、教卓へと視線を向けた。


 いつもは山田先生が口を切るのだが、黒縁の眼鏡は、入って来たばかりのドアを見ていた。山田先生は何かを確認するようにして首肯した。すると、一人の生徒がお辞儀して、ドアをくぐった。


 その生徒の姿を見て、クラス中が湧いた。


 ガヤガヤとする声を遮るようにして、山田先生は声を上げた。


「はーい、静かにしなさい。見てわかると思うけど、転校生です」


「おおー」「かわいい」


 男子の歓声や女子の感嘆といった様々な声が上がった。


 すると、山田先生は、若干いらついた声色になった。


「静かにしなさい!まったく……はい、今上さん、手短に自己紹介をお願いします」


「はい……今上麻白いまがみましろです。両親の転勤をきっかけに、天南市から来ました。2学期からのクラスメイトになるということで、みなさんも戸惑っているとは思いますが、仲良くしてもらえると嬉しいです。よろしくお願いします」


 おっとりとしたたれ目は教室内を見渡した。そしてちょこんとお辞儀をした。ふわっと、クリーム色の髪が舞った。

 顔を上げた時、少し頬の引きつった笑顔を浮かべた。


「はい、じゃあ、みんな今上さんのフォローよろしくね。席は……赤洲くんの隣だから……赤洲くん、手を上げてください」


 俺は数秒間右手を挙げた。


 今上は俺を確認して、ぎこちなく微笑んで教卓から机へと移動した。

 着席してからすぐに今上から視線を向けられるのがわかった。


「今上です。よろしくお願いしますね……えっと——」

赤洲神冶あかすしんじ。こちらこそよろしく」


 今上の方を向くと、まぶしくて、視界が霞んだ。だから今上の表情を直視できなかった。

 

 窓から差し込む日の光が、今上のクリーム色の髪をきらきらと散逸させた。


 ただ、何かを呟くように口元がわずかに動いた気がした。


 ——独り言か……それとも俺に何か伝えたかったのか?


 その後、浮ついた空気を壊すように、山田先生による厳粛なホームルームが進んだ。

 結局、今上が何か俺に言ったのかを聞く前に、ホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴った。


 その音を待ち構えていたかのように、数人の生徒たちが今上の元へとどっと集まった。瞬く間に、今上を囲うクラスメイト達で溢れかえった。


 まあ、気のせいだったのだろう。


 それよりも、移動教室の準備を始めなければならない。

 

 一限目は、選択科目の芸術だ。

 

 クラスメイトの喧騒を背にして、早々に教室を後にした。

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