第一章 ホムスビの娘【5】

「きさま、俺のことを馬鹿にしているだろう」

 ぽかっと頭を叩かれたので、マノトは瞼の上で切りそろえた鶸色ひわいろの前髪を揺らし顔を歪めて、上官にもかかわらずイワヒコを睨んだ。

「いてっ、ひどいじゃないですか! だって本当のことですよ。たったあれだけしか話せなかったじゃないですか」

 嘘偽りなく陰陽道を少しばかり齧った素人の術なのだから、何を怒ることがあるのかと抗議する。マノトは八重歯をむき出し、大仰に言う。

「……うっ、それは。仕方ないだろうが、俺は陰陽師ではない!」

 イワヒコは図星をつかれ、嫌そうな顔をした。マノトはふふんと鼻を鳴らす。数えで十七歳になるマノトは武人にしては細身で華奢で、祖先が白の国の血を引いており、肌の色もそこまで浅黒くない。

 武人らしくない見た目にかわり猿のように身軽なので、諜報活動や隠密行動に向いていた。故郷の八又門やまとは狩猟が盛んだったので、弓も得意だ。

「だから陰陽師を連れて行きましょうって申し上げたんですよ。そうしたら、イワヒコ殿は自信たっぷりに「俺でも何とかなる」って。そのお言葉を信じた俺が愚かでしたよ」

 八又門やまとが黒の国から奇襲を受けたと報せを受け、息那賀おきながからマノトたちが駆けつけた時はもうすでに時が遅かった。

 小さくのどかな里であったマノトの故郷は田畑を荒らされ、犯された末に殺された女たちの死体が路端に転がり、勇敢に戦った兵士たちの骸が積み上がっていた。それでも里の陰陽師が張った結界によって、民はだいぶ生き残っていたのだ。

 逃げおおせた民たちから話を聞けば、「アヤ姫様が行ってしまった」と嘆いている。アヤの母代わりのようであったマノトの母も顔を真っ青にしておのれにすがるので、本当に肝が冷える思いをした。

 アヤの性格を考えれば、首長の父と世継ぎの御子である兄を見捨てられるわけもなかったのだ。その後は必死で宮にたどり着いたけれど、黒の国の軍勢もアヤの影すら残っていなかった。きっと連れ去られたのだ、と陰陽師に気を追わせたが生存は半ば諦めており、わずかに気配がすると一報を受けたマノトの喜びと言ったらない。

 苦労してアヤの居場所を突き止め、言葉を交わせたのだ。もう少し情報を集めてから行動に移したいのが本音だった。

「もう言うな……アヤ姫が見つかっただけでも良かっただろうが」

「ええ、見つかっただけです。姫様は何かを言いかけていました。いくら小さな人形ひとがただって何度も飛ばしたら、さすがに星の巫女たちに気付かれます。玉の宮は呪術に長けた陰陽師だらけなんですよ」

「わかった、わかった、俺が悪かったよ! だが、隠密行動には少人数が基本なのだ。慣れぬ外つ国で、陰陽師には荷が重すぎるだろうが」

 マノトの文句は尽きないが、イワヒコの言い分にも一理あった。赤の国と黒の国は戦をしている状態であるが、国交を閉じているわけではない。国境を越えること自体は難しくはなく、市中の情報収集に苦労することはなかった。問題なのは宮中の情報を集めることや侵入経路だ。

 平民たちが普段生活の拠点にしている虎町ならば、赤の国の人間が出入りをしてもおかしくはないのだが、身分の高い者たちが住まう龍町や宮中では大変に目立つ。肌の色や骨格で正体がわかってしまうだろう。諜報活動をろくにしたことがない者には負担であることは確かだ。

 現に宮の近くに潜むことは危険であるからと、マノトたちは行商人の変装をし、虎町から人形ひとがたを飛ばした。距離が遠ければ遠いほど、人形ひとがたを操るにも時間が短くなる。長距離かつ長時間の人形ひとがたが操れるのは、霊力が高く熟練の陰陽師だけだ。

「お前は姫の付き人だったのだろう。焦る気持ちもわかるが、必ずお助け申し上げる。女王も大変に憂いておられた……姫は亡き姉君の忘れ形見だからな」

 分厚い手のひらで肩を力強く叩かれ、マノトは唇を噛んで頷く。

 アヤとマノトは幼い頃から共に育ち、身分を超えて良い遊び相手だった。マノトの方が一年早く生まれていたので、男勝りで野山を駆け回ることが好きだったアヤについて回って面倒を見ていたのだ。稀なるホムスビとしておのれの能力に苦しんでいたアヤの姿も知っているし、次期女王候補と担がれて思い悩む姿も見ている。銀朱女王ぎんしゅにょおうの元には女王候補の少女たちが幾人も息那賀おきながに呼び寄せられていたが、アヤには声がかからずにいた。霊力は強いが使いこなせず、ましてやアヤの場合は短命のホムスビなのだ。次期女王に即位するのは難しいという銀朱女王ぎんしゅにょおうの考えもあるのだろう。

 感情が制御できず身体から炎が出るたび、増える火傷の痕も痛々しい。マノトはそんなアヤに間近で接していたからこそ、これからもアヤを守る存在であるために、息那賀おきながで武官となったのだ。たとえアヤが女王にならなかったとしても、この身が役に立てばと思っている。

「姫様はやっと生きながらえたんです……こんなところで死んじゃならない」

八又門やまとの民はアヤ姫を神懐姫かむなつひめと呼んでいたな。みなから、まことに好かれていた」

「はい。姫様は民たちにも分け隔てなく、他の姫のように着飾って宮の奥にいるような方じゃないんです。田植えの季節は泥だらけになって稲の苗を植えるし、畑仕事だってお好きでした。狩りの獲物を民に分け与えることもあった。首長とハネヒコ皇子にとっても自慢の姫だったんです……お助けしないと命がけで里を守って死んだお二人に顔向けができませんぜ」

「────首長も人徳者で名を馳せていたし、世継ぎのハネヒコ皇子は勇猛果敢な武人でもあった。女王も目をかけていた御仁だ……無念でならんよ」

 マノトは小さく頷くと、唇を噛む。アヤと言葉を交わせたことに安堵したが、今はまだ動くべきではない。悔しさで右目にある泣きぼくろが、かすかにひくついた。

「……姫様は何を言いかけていたんだろう」

「わからん。接触できた折にお聞きすればよかろう。しかしマノトよ、お前は本当にあれをやるつもりなのか?」

「当たり前じゃないですか、他に良い策がありますか?」

 イワヒコは即答したマノトを凝視し、鳶色の瞳がわずかに狼狽している。その名にふさわしい岩のような焦げ茶色の硬い髪を短く切り揃え、見た目こそ威圧感のある人物であるが、案外肝が小さいのだ。その慎重さが諜報部隊を率いている所以でもあった。

「使えるもんは余さず使うってのが俺たちの仕事でしょう。任せてください!」

「……俺はちょっと心配だなあ」

「じゃあ、イワヒコ殿がやってくれるんで?」

「馬鹿を申せ! 無理に決まっているだろう」

 じゃあ文句を言うな、とマノトは腕組みをした。陰陽師がいないので呪術には頼れないのだ。マノトが提案した手段がいちばん適切であろうと思っている。

「ミノがもっと身軽に動けていたら良かったんだが」

 歎息を吐いたイワヒコに、マノトは答える。

「仕方ありませんて。もともと宮仕えをしていたとは言え、ミノさんは素人ですよ。姫様のためにも、あんまり怪しい行動は避けた方がいいでしょうし」

 ミノとはイワヒコの妹の一人で、随分と昔から黒の国へ出稼ぎに出て下女として鈴の宮に仕えている。恰幅の良いイワヒコにまったく似ておらず、背の高いすらりとした姿で明朗な性格だった。

 アヤが捕えられたことで内偵を買って出てくれたものの、下女の得られる情報は限られている。しかも両国間の戦が激化している最中だ。あまり怪しい行動はできない。

「まあ、あいつは器用な方じゃないし……鈴の宮の内情を知ることができて助かってはいるんだがな。しかし、策は他にもあった方が良いだろう。考えていることがあるのだ」

 にっと笑ったイワヒコに、マノトは身を乗り出した。

「さすがですよ、イワヒコ殿! 俺の上官殿は優秀だ!」

「お前、調子がいいなあ……」

 いいからいいから、とマノトは軽口を叩き、編んだ後ろ髪を揺らす。自分の立てた作戦には自信があるが、失敗はできないのだ。策はいくらでも欲しい。

「姫様を助けるために胸くそ悪い敵国まで来たんですよ。絶対に成功させましょう」

「……まったくだな」

 黒の国ほど豊かではない赤の国も、長い治世を保つ所以がある。さまざまな血が混ざり発展をして来た黒の国とは違い、赤の国はおのれが火の女神の子らであることに誇りを抱いていた。そのカグチの恩恵を受けたホムスビであるアヤのことは必ず守らねばならない。

 人よりも鼻が利くホムスビは百年に一度ほどの頻度で生まれるが、アヤのような特異体質は伝承の中でしか知られていない。それほど貴重な少女なのだ。

「アヤ姫を他国で死なせては、カグチが怒り狂って佐久良さくら山が噴火してしまう」

 心底恐ろしそうにイワヒコが言ったので、「違いないですね」と、マノトも同意した。

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