引き波

慎二はブリッジへ急いだ。窓の外では突風が吹き、さらに荒波で外が見えなくなっていた。

ブリッジに着くと、慎二は声を荒らげた。

「どうしたんだ!」

当直中の船員は慌てた口調で答えた。

「いきなり船の平衡感覚が大きく損なわれてそのまま治らず、今スタビライザーを使って何とか保っているところです。原因はただいま調査中です!」

慎二は船内電話を手に取り、エンジンルームに繋いだ。

「機関長はいるか?すぐ変わってくれ!緊急事態だ!」

そう言うと電話に出た船員は返事をし、すぐに機関長を呼んだ。電話が変わると、機関長は落ち着いた口調で言った。

「状況は理解出来ている。こちらも最前の努力はしているつもりだ。しかしやはり詳しい原因が分からないんだ。私の見解では恐らく漂流物によってビルジキールが破損したのだと思う。だがこれは私の予想でしかない。1度どこかの港で見て見ないとどうも言えないのだが、1番近い港はどこだ?」

「ここから1番近いのは目的地の港だ。しかしそこまであと1時間ほど掛かる。持ちこたえられるか?」

少しの間が空いた。その間も慎二は口から心臓が出そうであった。

「1時間か…。なんとかなるだろう。だがなるべく早くしてくれ。」

「わかった。努力する。」

そう言って慎二は電話を切った。そして、集まった船員達に指示を出した。

「自動操縦をやめ、手動操縦に切り替える。そしてここから1番近く、目的地である港に入港する!各自仕事にうつってくれ!」

船員たちは大きく返事をすると駆け足で持ち場にうつり、慎二と川口がその場に残った。

「大丈夫ですか?この荒波の中手動で航行するなんて…。」

「今はそれしか方法がない。この状況下でコンピュータに操作を全て任せるのも不安が多い。とはいえ私だけでは無理だからコンピュータ運転を私がサポートするだけだ。しかし私一人では難しいから、お前もここで私を手伝ってくれ。」

「…わかりました!」

慎二達は準備にうつった。慎二がハンドルを握ると全身から冷や汗が流れた。

「川口!風向きと風速を教えてくれ!」

「風向きは北西、風速42mです!」

目の前のガラスではワイパーが動いているものの、雨のせいで前をほとんど見ることが出来なかった。

「目的地まではあとどれ位だ?」

「あと30分ほどです。しかしこの状況じゃあ目印の灯台なんて見つけられません。どうしますか?」

「レーダーは大丈夫か?」

「レーダーは何とか大丈夫ですが、やはり能力は落ちています。」

「そうか…。川口は見張りを続けろ。そしてなにか見つけたらすぐにいえ!」

慎二は何とか平常心を保っていたが、本当は内心怖くてたまらなかった。当たり前だ。慎二が船に乗り始めてからこんなこと経験したことがなかった。さらに今慎二は船長という立場。ひとつ間違えれば船員たちの命を失わせてしまう。責任という名の重圧で、今にも押しつぶされそうだった。しかしここで慎二が慌ててしまえば船員達も困ってしまう。慎二は何度も深呼吸をして、なんとか平常心を保っていた。ふらつく船を何とか動かしながら慎二はレーダーを見た。

「川口、目標は見つかったか?」

「いえ、雨が強すぎて全く見えません。」

レーダーではもう港が見えるところまで来ているはずだった。しかしどこを見ても見えるのは真っ暗な闇と白い雨粒だけだった。だがここでむやみに船を動かしどこかに座礁でもしたらそれこそ大事故である。慎二はハンドルを強く握りしめた。

その時だった。川口が声を上げた。

「船長!見えました!9時の方向、灯台です!」

慎二は窓の外を見た。そこには先程まで見えなかった真っ白な灯台が見えた。高くそびえ立つ灯台に強い安心感を覚えたことを覚えている。慎二はすぐにハンドルを握り直した。

「すぐに向かうぞ。川口は港に無線をとれ!」

「承知しました!」

慎二は、はやる気持ちを抑えて慎重に船を動かした。ゆっくりと梶をきり荒波を避けながら港にはいっていく。ここで事故っては元も子もない。岸壁に近づくと、大雨の中、港の人々が着岸を手伝いに来てくれた。船員たちは皆ロープを渡したり荷物の確認をするなど忙しく働いた。皆のおかげもあり進鯨丸は嵐の中、無事目的地の港に入港することが出来た。あまりの疲れからか、慎二はすぐに死んだように眠ってしまった。

次の日の朝、外は昨日の嵐が嘘だったかのように快晴であった。慎二はがベットから出てブリッジへ行くと船員達が騒いでいた。

「どうしたんだ。朝早くから。」

慎二が声をかけると、川口が不思議そうに灯台を指さして言った。

「いや、昨日の嵐の中見た灯台ってこんなんでしたっけ?」

慎二は灯台を見た。改めて見ると昨日の灯台とはなにか違った。嵐の中見た灯台よりも小さく、形も違う気がしたのだ。

「まあまあ、そんなこといいから荷降ろしの準備に入るぞ。」

慎二は手を叩いて皆を急かした。

荷降ろしのために慎二が陸へ上がると、港にはたくさんの人々が集まっていた。

「どうしたんですか?」

港にいた人に声をかけると、目をきらきらさせて答えた。

「朝から沖の方にクジラがいるんですよ。それもかなり大きいクジラがね!」

慎二が海を見た。その時、そのクジラは大きくしおを吹いた。真っ直ぐに空まで届くかのような真っ白の柱が海にたった。その瞬間、慎二は気がついた。

「昨日の灯台…もしかして…。」

慎二は記憶をたどった。改めて考えると不思議だった。あの暴雨のなか、港の灯台なんて見えるはずがない。ましてや、船は港よりかなり離れた所を走っていた。そこから見える灯台なんて余程大きなものしかありえないだろう。しかし港の灯台はそこまで大きくはなかった。となると、あの灯台はなんだったのか。その答えは目の前に見えていた。

「あのクジラが私たちを導いてくれたのか…。」

その時、ある言葉が掘り出された。


「クジラになりたい。」


その言葉が慎二の頭の中に響き渡った。

「渚さん…?」

その瞬間、クジラはもう一度大きくしおを吹いたのだ。まるで返事でもするかのように。

慎二は顔をおおった。そしてどこからともなく涙が溢れてくるのだ。渚が死んだと聞いた日から感じていた違和感がこの時どこかへ消えていった。

「やっぱりか...。」

慎二は涙を拭い前を向いた。そしてくじらに向かって笑顔で敬礼をし、そっと口を開いた。

「渚さん、お久しぶりです。助けてくれてありがとうございます。言った通り、なりましたよ。あなたが教えてくれた美しい海を私は今走っています。私はあなたを忘れません。またどこかで会いましょう。約束です。」

慎二が言うとクジラは手を振るかのように大きな胸びれを水面から出して、白波と共にどこかへ泳いで消えてしまった。


「おめでとう。」


心のどこかで渚がそう言ったように思えた。

慎二は帽子を深くかぶり船へ戻った。

広い海でまた会える確率なんて少ない。しかしあのクジラにはまた会える。慎二の心の中にはどこからか根拠の無い自信で満ち溢れていた。




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鯨の灯台 黒潮梶木 @kurosiokajiki

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