第六湯 おんせんといちご大福


 西伊豆スカイラインのドライブと景色をしばらく堪能した後、そのまま県道の山道を南下していく。下り坂に入ると柵に囲まれた草原があった。

 そこに居るのは……牛!?

 突然の動物登場に驚きつつ、そこが牧場であることに気づく。牛たちが気持ちよさそうに尻尾をフリフリしていて可愛い。

 その先にえんじ色屋根のコテージと駐車場が見えた。

 休憩がてら寄ってみよう。


 牧場の家。レストランと宿泊用のコテージを併設した西天城高原にある施設だ。レストランではソフトクリームやカレーなどの軽食を提供しているらしい。コテージに入った私は迷わず濃厚ソフトクリームを注文した。

 駿河湾を一望できるコテージに出て、海を眺めながらペロペロといただく。

 高原で食べるソフトクリーム、ウマー! お馬さん、じゃなくて、お牛さん、おいしい牛乳をありがとう。


 こうしていると、子供の頃に家族と出掛けた牧場のことを思い出す。あの牧場で食べるソフトクリームもこんな風に美味しかったな。その牧場で乗馬体験もやったんだっけ?

 今でこそ私は消極的な人間に見えるかもしれないけど、小・中学生くらいの頃は色んなことに興味を持って挑戦するような積極的な女の子だった。

 その時はポニーの綺麗な瞳と目が合って、居ても立っても居られず父親に頼み込んだ覚えがある。乗ってみると自分の視線が高くなって、少し大人になれた気分を味わった。

 ポニーって大人になってからでも乗れるのかな? また乗馬してみたいなぁ。

 そういえば、あの頃から馬に興味を持ち始めて、よく父親に競馬場へ連れて行ってもらっていた。ポニーの可愛さとはまた違い、サラブレッドの大きくてしなやかな馬体と芝を飛ぶように走る迫力ある姿に魅了されたのだ。今では競馬場に行くこともなくなったけれど。

 そんなこともあり、次にハマったのが西部劇映画である。サラブレッドに乗ったカウボーイの姿に惚れた。なので小学校、中学校時代はそこら辺の男子たちに一切の関心を寄せなかった。なぜウチの学校にはアウトローや流れ者みたいな危険な香りのする男がいないのかと嘆いていた。いわゆるヤンキーは居たけど、私から見ればどれもガキだ。

 中学校を卒業する頃には「将来はアメリカに移住してダンディな男性と結婚してやる!」と心に決めていた。果たして、現代のアメリカに賞金稼ぎやカウボーイが居るのか非常に不安だけれど……。

 大人になるにつれ、そんな幼稚な夢の数々は忘れていった。いま久しぶりに思い出すと、どれも恥ずかしくて笑えるものばかり。

 大人になったらやってみたいことが沢山あった気がするんだけどな。

 ……今の私は、どれだけ叶えられたのだろう。


「いつの間にか大人になってたんだなぁ」


 いまの私にあるのは、多少の知恵と資産。そしてロードスター。

 ロードスターがあれば一人でどこへでも出かけられる。どんな夢だって叶えられるかもしれない。

 溶けかけたソフトクリームを口に放り込む。

 風は西から東へ。昔の思い出に別れを告げるように牧場を後にし、ロードスターと共に下山していった。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  



 海沿いの道に戻ってからはさらに南へ。

 西に落ちていく午後の太陽が海岸の岩肌を黄金色に輝かせる、黄金崎。岩肌のオレンジ色は、火山活動による地熱と温泉水で変色したものらしい。反り立った断崖は30メートルほどの高さがある。その光景は遠目から見るだけでも自然の迫力を感じることができる。

 さらに走らせると堂ヶ島。海に浮かぶ小さな島のような岩々が見えてくる。天窓洞やトンボロで有名な三四郎島がある。女の子たちがキャンプするアニメを見てから、人生で一度はトンボロに行ってみたいと思っていた。けれど今日は干潮時がないということで諦めた。泳ぎながら渡るわけにもいかないしね。いつかリベンジしてやるぞ、トンボロ!

 松崎に入った後は、街並みを抜けるように川を上りながら東へ。正面の山肌が近づいてきた辺りで目的地の看板が見えてきた。

 そこから左折し、閑静な住宅街を通る。小川を橋で渡ったら、濃緑の桜並木と並走しながら上流に進む。山景色になるにつれて道がだんだん細くなっていき不安になる。ロードスターでこんな狭い道を通るのは初めてだ。

 対向車こないでくれよ……。

 念じながら進むと願いは叶い、無事に目的地に到着した。


 大沢温泉。渓流に掛かる小さな橋を渡った先に、赤茶色に錆びたトタン屋根の小屋がある。山の家と呼ばれるその小屋は、静かにせせらぐ那賀川と覆いかぶさるような山間の木々に囲まれ、不気味さを感じるほどひっそりとしている。そこだけ時間が80年前で止まっているような感じだ。

 その景観を見た私は目をキラーンと輝かせ、


「ほう、シブいな……」


 顎に手をやって温泉通のような言葉をつぶやいた。

『エモい』がノスタルジックとか感動的とかを意味するのであれば、『シブい』はミステリアスとか神秘的を意味する。たった今、私が提唱した。

 川の涼やかな空気を感じながらゆっくりと橋を渡る。山の家に入ると8畳ほどの休憩所が出迎える。入浴券を購入し、それを受付のおばさまに手渡すと、


「自然の中の天然温泉なので、ゆっくりしていってくださいね」


 温かみのある声と表情で温泉について説明してくれた。250年前から湧いている源泉は『化粧の湯』や『美人の湯』と呼ばれ、しっとりモチモチのお肌になるのだとか。これ以上綺麗になるのも困りものだな、と男っ気のない私は薄ら笑いを浮かべた。

 案内されて外に出ると石畳の階段の先に、これまた小さな小屋が佇んでいる。青と赤の暖簾が男湯と女湯の入り口を示している。

 暖簾をくぐるとお世辞にも広いとは言えない素朴な脱衣所。けれど隠れ家屋のような小屋の雰囲気は心を落ち着かせるものだった。板を挟んですぐ隣が男湯だと思うと、ちょっとだけ緊張するけれど。

 浴場にひょっこりと顔を出す。正面の岩肌と木の板に囲まれており、プライベートが保たれていることが分かる。洗い場にある亀の甲羅のような湯溜めの器が特徴的だ。シャワーで身体を流した後、そこからケロリン桶でかけ湯をする。

 湯船は4、5人が入れるくらいの大きさで、いまは誰も居ない。下半身から徐々に湯船へ浸かる。温泉がゆっくりと身体を包んでいった。


「ふぅ~~。しみるなぁ」


 はじめての伊豆の旅路で気疲れもあったのだろう。溜まった疲れが温泉に溶けていくような感覚をおぼえた。

 湯口は湯船の底にあるようで、そこからゴボゴボと大きな音を立てながら温泉が噴き出している。熱々の温泉は電気でもガスでもなく、地熱によって熱せされたものである。今まさに自然から作られた新鮮な温泉。当然のことのように思えるけれど、私は地球の神秘さを感じていた。

 眼前の岩肌には苔が広がっており、そこから目線を上げると緑桜の葉が折り重なって天然の天井を作りあげている。長い年月を掛けて作られたであろう、その景観は自然の育みを感じさせる。

 清流のせせらぎをBGMにしながら入る自然のなかの温泉。非日常的な癒しの空間である。


 今日一日、伊豆をドライブして沢山の自然の恵みに出会えた気がする。

 西伊豆スカイラインでは山と海と空が作り出す壮大な景色に圧倒された。その風景の主役とも言える富士山が、この土地と私を見守っているような安心感を与えてくれた。

 その富士山から恵みを受ける駿河湾の海、そこで育ったアジを美味しく食させていただいた。

 絶品ソフトクリームは、あの牛さん達とのびのびと過ごせる広大な西天城高原のおかげ。

 海岸線のドライブでは、穏やかな潮の流れが太平な世を感じさせ、それと対象的に、迫力のある岸壁が自然の驚異を印象づけた。

 そして今、地熱で温められた地下水が私の元で湧き上がって、癒やしを与えてくれている。

 そんな自然と隣り合わせで私は生きている。普段の生活では気づけない、忘れてしまった”あたりまえ”がここにあった。そんな気がする。


「地球に感謝だねぇ」


「そうだねぇ」


 ビックリして横を見ると、いつの間にか知らないお婆ちゃんが私と肩を並べて浸かっていた。お婆ちゃんの顔に刻まれたシワが幾重の歳月を感じさせた。

 そのシワをくしゃくしゃにさせた優しい笑顔と目が合ったので、私は微笑を浮かべながら軽く会釈した。

 ……のぼせてきたかも。

 私は顔が熱くなるのを感じて、湯船から上がることにした。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  



 陽は傾き、ロードスターが走る伊豆中央道は家路に向かう車たちが行き交う。西伊豆ドライブの満足感と夕食時が近づく空腹感を感じながら、私はシートに身体を預けていた。

 そんな私の目に飛び込んできたのは『いちごプラザ』という看板。

 その瞬間、活力が戻ってきた。

 目を輝かせながら左折して広々とした駐車場に入る。なぜって? その看板には美味しそうな『いちご大福』の写真が載ってたから! 


 いちごプラザ。伊豆のお土産を購入したり、伊豆の料理を食べることができるドライブインである。そして、ここの『大福や』で売っている名物こそ、その『いちご大福』なのだ。

 日本瓦屋根の白黒を基調とした和風な外観をしたお店。その店の入口には、お土産を買おうとたくさんのお客さんが行列を作っていた。私は急いでその最後尾に並ぶことにした。

 前に並ぶおじさん達は、どうやら家族にお土産を買っていこうとしているらしく「6個入りを2つ買うか」「おい、バナナ大福とかキウイ大福もあるらしいぞ。全種類買っていくか! ガハハハッ!」と笑い合っていた。

 お土産か……。せっかくだし、夏帆にも買っていこうかな。自己満足に過ぎないだろうけど、今回の罪滅ぼしくらいにはなるよね。

 と、そこまで考えて頭をブンブンと振る。そして小さな声でつぶやいた。


「……違う。たぶん、私は夏帆の喜ぶ顔を見たいから──」


 列は進み、私の前にショーケースが現れる。バナナやキウイ以外にも、季節ごとに様々なフルーツの大福が置かれている。

 まず自分が食べる用にいちご大福を1個。そして夏帆には4個……いや6個入りを買っていこう。

 レジまで進みお会計。そこで店員さんから、


「こちら生のフルーツで出来ていますので、4時間までを目安にお召し上がりください」


 加えて「冷蔵庫保存でも消費期限は翌日まで」ということも伝えられた。


「分かりました」


 応じてから気づく。

 あれ? ということは、今日中に夏帆に渡さないといけないということ!?

 会計を済ませて急いで車に戻る。そして夏帆にメッセージを送った。


 沙耶: まだバイト中?


 早めにメッセージ返してくれると嬉しいけれど……。

 と思っていると、ピコンッと返事が返ってきた。


 夏帆: うん!

    あと2時間くらいしたら上がるよ!


 よかった。というか仕事中にスマホいじって大丈夫なのか? いくらお客さん少ないからって────おっと、これは失言。ごめんなさいマスター。


 沙耶: 了解

    ちょっと寄るから待ってて


 夏帆: おっけー!

    気をつけて帰ってきてね


 よし、これで渡すための手はずは整った。

 それでは、いちご大福を堪能させていただきましょうか。夕飯前にスイーツを食べていいのかって? 大丈夫。和菓子は、洋菓子よりも食物繊維があるから血糖値を抑えてくれたり、満腹感を与えてくれるから夕食の食べ過ぎを抑えてくれる。と風のうわさで聞いたことがある。

 それに大福みたいな「白いものにはカロリーがない」ってサンドウィッチマンが言ってた。カロリーには色が付いてるという『カロリーゼロ理論』を私は信仰している。

 では一口、いただきます。

 口当たりはふわふわの柔らかいお餅、それを噛みちぎると苺のジューシーな酸味が溢れ出す。そこに白餡の甘味がベストマッチ! こんなの、おいしいに決まってる。はぁ幸せ……。

 いちご大福を別のものに例えるなら、凝縮したショートケーキだろうか。私にとってショートケーキの魅力とは、上に載った苺を最後に生クリームと一緒に頬張ったときの絶頂的な幸せ感である。それを、いちご大福ならこの一つで味わうことができる。

 ごちそうさまでした。

 よし、急いで夏帆のもとにたどり着かなければ。タイムリミットは4時間。


「さて、いつもの時間に追われる生活に戻りますか」


 乾いた笑みをこぼし、私はハンドルを握った。

 日常の世界に戻ることに一抹の寂しさを感じながら、横浜に向けて帰路を急ぐ────


「……と、その前に」


 ロードスターのドアを勢いよく開いて、大福やへダッシュ。


「自分用にもう一箱買わねば!!」



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  

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