第五湯 西伊豆ドライブ

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  



 物事の捉え方というのは一辺倒では済まされない。人の数だけ考えが存在する。自分の常識が誰かの非常識にあたることは、現代において周知の事実である。そして、その逆も然り。

 だから「その生き方は間違っているよ」とか「これって常識じゃない?」なんて間違っても私は言わないし、もしそんなことを言う人が居たら悲しく思ってしまう。

 それでも私は「やはりウチの企業コンプラはまちがっている。」と思わずにはいられなかった。

 金曜日。案の定、上司が抱えていた問題が露わになり、それが私のタスクとして追加で積まれた。

「ごめん! 来週はじめにこの資料が必要なんだ。休日対応してもいいから、よろしくね!」じゃないんだよ。あんたのミスを、なんで私が休出してまで埋め合わせしなきゃならないんだよ。ひとに依頼するなら何かを代償として支払えよ。「おまえのバーコードみたいな毛髪引き抜いてやろうか?」という心を隠し、私は引きつった苦笑いを上司に見せつけてやった。

 絶対に休出するわけにはいかなかった私は、会社の門が閉まるまでの時間を資料作成に費やした。そして月曜の朝に軽い見直しと修正を行えば大丈夫という状況まで持っていき、明かりの消えゆく会社を後にした。車通勤だと終電を気にしなくて良いね! ……ホント涙でる。

 これって社会人にとって当たり前な生活なのだろうか。


 翌日。私が居るのは、湘南の海からの潮風が薫る西湘パーキングエリア。土曜日の今日は、行楽地に向かう家族連れや若者たちで賑わいを見せていた。

 ロードスターを駐車して休憩。鳶がピーヒョロロと上空を気持ち良さそうに飛んでいる。自販機で買った微糖コーヒーに口をつけながらスマホを取り出し、何気なく開いたのは夏帆の連絡先である。


「やっぱり悪いことしちゃったかな」


 気に病むほどのことではないけれど、先日、夏帆からのお誘いを断ってまで、ひとりで遊びに出掛けることにムズムズしていた。

 夏帆にオススメされた温泉。そのうちに行こうとは言ったものの、いつ誘えばいいのだろう? 忙しいみたいで、教えてもらったインスタのアカウントの方も先週末から更新されていなかった。

 ……まぁ、すぐにでなくてもいいか。夏休み前の試験とかで忙しいかもしれないし。

 日差しをキラキラと反射させている海原を眺めながらコーヒーを一気に飲み干す。カフェインを補給したことで頭がスッキリした。

 車に戻り、オープンカーにフォルムチェンジしてからドライブ再開。看板とナビアプリを頼りに向かう行き先は伊豆である。

 喫茶店で読んだ雑誌を参考にドライブスポットの目星を付け、昨晩、家に帰ってから最高のドライブルートを練り上げた。普段の休日、足を延ばしてもせいぜい箱根までだった私にとっては、ちょっとした遠出だ。


 西湘バイパスを後にし、小田原から箱根峠を越えて三島まで降りるルート。いわゆる箱根路。車の量は多めだけど、渋滞になることもなくストレスフリーで走れた。

 山に囲まれた緑色の景色は、静岡に入ってからだんだんと視界が開けていき、やがて平坦な道なりになって西伊豆海岸に出た。


「海だぁーー!」


 原付の旅なら間違いなく曲が流れる場面。1時間ぶりの海だけど、やっぱり何度見てもテンションが上がるね。

 西伊豆の海は、湘南と違って波がなく静かな印象を受けた。晴天も相まって対岸の静岡方面の景色が澄んでよく見える。海岸線を走るのって開放感があって気持ちいい。最高!

 走るのが気持ちよさそうな道を事前に調べておいて良かった。地図アプリで大まかな経路を検索して、その後ツーリングマップルで良さげな道を調べておいたのである。

 ツーリングマップルはその名の通り、ツーリングをする人向けの道路地図。眺望の良い道や名物が紹介されている。バイク乗りの人が主なターゲットだけど、小回りの良さやオープンカーの特性上、ロードスターでもツーリングと同じような楽しさを味わえる。と誰かが教えてくれた。……誰だったっけ?


 ダッシュボードの時計を見ると、時刻はお昼近くを示している。お腹も空いてきた頃合い。最初の目的地、えんじ色の屋根のお店が見えてきた。

 到着したのは「いけすや」。沼津の内浦、富士山からの恵みが流れる駿河湾で育った真アジが絶品。という評判を読んで、昨晩からヨダレが止まらなかった。

 漁船も停まる港に駐車。店先はすでに多くの人で賑わっていた。

 店内で注文を済ませ、案内されたのはテラスの席。穏やかな潮風に耳を澄ませながら待機。

 しばらくして優しそうな女性店員さんがやってきて私の前にお膳を配置した。


「おまたせしました。活あじ丼です」


 運ばれてきたのは、透明感のある光沢と血合いの鮮やかさが食欲をそそるアジの海鮮丼。添えられた青ネギと生姜が爽やかさを増幅させる。お膳には磯海苔の味噌汁と、ひじきの煮物、そして大根のお新香も添えてある。

 それでは、さっそく。いただきます。

 醤油を上から垂らし、アジとご飯をひとくち。プリプリとした弾力のあるアジ、噛みしめるほどに旨味が口いっぱいに広がる。おぉ、最高すぎる……。

 箸を止めることができず、パクパクと食がすすむ。でも、すぐに完食してはいけない。なぜなら、この後、お愉しみが待っているのだ!

 七分ほど食べ終えたらここでストップ。丼ぶりを持って席を立ち、折りたたみテーブルの上に置かれた『まご茶用』と書かれたポットからお湯を注ぐ。すると透明なアジは、白と薄紅に色変わりしていく。

 まご茶は、内浦の漁師めしで『漁の合間に手軽に食べれる茶漬け』という意味らしい。

 では改めまして。実食。

 先ほどのプリプリ食感と違って締まりのある身を味わう。一度で2度おいしい。これは好みだけど、お新香と追い醤油を加えると、さらにイイ感じ。

 完食。ごちそうさまでした。


 おなかの虫を満足させて、いざ出発。

 再び海沿い、沼津土肥線。道は細くなり、さきほどよりも海の縁を征くことになる。海面との距離が近くて、まるで海の上を走っているみたいだ。

 しばらく走らせた後は、海に別れを告げて左折。道は上り坂になり、クネクネと登りながら徐々に山へ入っていく。箱根ドライブで取得した山登りテクニックが発揮されたので特に辛くはなかった。けれど、


「ふわぁ……」


 まどろみを感じる大きなあくび。昼食の後ということで心地よい眠気を感じる。眠いまま走るのは危険だし、どこかで休んだほうが良さそうだな。

 坂道を登った先で駐車場を発見したので、そこで少しお昼寝しておくことにする。

 シートを後方に下げてシートを倒す。これ、地面と平行になるまで倒れたら最高なんだけどな……。

 目を閉じて深く呼吸。本格的に寝るつもりはなかったけれど、意識はすぐに遠退いていった。


 ────

 ──────ちゃん

 ────────サヤちゃん!

 ぼんやりとした人影が浮かんでくる。

 え、……夏帆?


「なんで伊豆行くのに誘ってくれなかったの?」


 頬を膨らませたふくれっ面で夏帆が指摘してきた。

 え、いや、私の勝手な都合に巻き込むのも申し訳ないと思って……


「そんなの言い訳だよ。ただ、あたしと遊びたくなかったんでしょ。もう、サヤちゃんなんて知らないっ!」


 夏帆は後ろを振り向き、怒り肩でプンスカと地団駄を踏むように歩き出した。


 ち、違うって! 私はただ人を誘うのが苦手なだけ────。

 手を伸ばそうとするけれど腕が言うことを聞かない。遠退く夏帆を追いかけるために足を出そうとするけれど、身体が鉛のように重くて動けない。それにさっきから声を出せていない気が……。


 ────────

 ──────

 ────


「はっ!」


 眼を見開く。ロードスターの車内。日差しが眩しく顔を照らしていた。


「……夢か」


 完全覚醒。

 車内でも日差しって結構眩しいんだな。今度からはアイマスクを買っておこう。

 シートを戻してぐぐっと伸びをする。そこで眼前の眺望に気づいた。

 ここまでに登ってきた山々とふもとの駿河湾を見下ろすことのできる景色。随分と標高の高い所まで来ていたらしい。空に浮かぶ白い雲を近くに感じた。


「そっか、もうスカイラインに入ってたんだ」


 次の目的地は、ここ、西伊豆スカイライン。戸田峠から船柄峠までの稜線を走ることのできる山岳観光道路である。距離約11キロメートル、標高800メートル超えの道路で、交通量が少ない上に見晴らしが素晴らしい、とのこと。景色を展望できる駐車場がいくつか用意されていて、ゆっくり眺望を堪能できる。今居る場所がまさにそれだ。

 ここからもっと登ったらどんな景色が見えるんだろう。

 ワクワクした気持ちを抱きながら再び車を走らせる。

 道はだんだん緩やかになり、気持ちいいアップダウンのカーブが続く。道の両端に生える草木は低く、なだらかな丘の起伏が海のようにうねりを見せる。

 視界に広がるのは、ツートンカラーの青々とした空と海。そして風が泳ぐ山々の緑。澄明な空気のおかげだろうか、空と海の境目も分からないほど、どちらも綺麗な青色である。登り坂になると視線が上向きになり、まるで空を飛んでいるような感覚だ。

 さらに進むと、


「うぉー、開けた!」


 空に一番近いのではないかと思える場所。360度、遮るものもない見晴らしの良い全景。

 路肩には人が集まり海側に向けて写真を撮っている。有名な撮影スポットなのだろうか。

 安全な路肩に寄って停車。車を降りて群衆の方を振り返る。


「わぁ……。たしかに、これは絶景だ」


 眼下に広がる広大な山々と海。北側には緑の小さな丘、その奥にそびえ立つのは碧色の富士山。そこから左に延びるなだらかな斜面を降りていくと静岡の街並みがある。対岸には南アルプスの山々が連なり、その最南に位置する御前埼までを一望できる。静岡の全域をここから見渡せるのではないか、そう思えるほど広大で鮮やかな景色である。

 パノラマのように自転しながらパシャパシャと写真を撮ってみる。ダメだ。全然写真に収まりきらない。見渡す限りの絶景。これは是非ロードスターと一緒に撮っておきたい。

 ロードスターの正面に立ってパシャリ。ちょっと左に回ってからパシャリ。

 ……うーん。


「こっちの方が良いかな? いや、あっちか?」


 構図を変えながら写真を撮りまくる。ロードスターと海と富士山の組み合わせがカッコ良すぎる。というか、うちのロードスターがイケメン過ぎる! 動き回りながらハァハァと息を切らして夢中で写真を取りまくった。……完全に変態じゃないか。

 そんなこんなで、だいぶ時間と体力を使ってしまった。しかし実際に撮った写真をパラパラめくってみると、どれも似たりよったりなものばかりに思えてしまう。写真の出来栄えもイマイチかな。


「そういえば、夏帆は綺麗に写真撮ってたよなぁ……」


 喫茶店で夏帆が撮った写真を思い出す。構図もしっかりと考えて撮っていたに違いない。ロードスターと消えゆく夕陽のコントラストが美しかった。インスタでもそれなりにバズっていたようだ。

 もし夏帆がこの景色を見たなら、どんなふうに撮るんだろう。

 しゃがんでロードスターをローアングルから富士山が写るようにパシャリ。それを確認してうなづく。


「うん。さっきよりは良いのが撮れた」


 ロードスターと駿河湾と富士山の素晴らしき3点セット。

 ……せっかく良い写真撮れたわけだし、夏帆にも見せてあげようかな。

 夏帆の連絡先を開くと「トランク空いてたっぽいけど大丈夫?」の後に「ありがとう」という私から短いメッセージが書かれているだけだった。おかげでランプ問題は解決でき、本当に助かった。

 メッセージ内容に悩ませながら書いては消してを繰り返す。こちらから送るメッセージってなぜか緊張するな。……って夏帆相手になんで緊張するんだ。

 悪戦苦闘しながら写真とメッセージを送信。


 沙耶: 西伊豆からの富士山。おっそわけ。


 いや、もう少しなんかあっただろ私!

 というか、夏帆の誘い断って遊びに行ってるのバレたじゃないか!?


「これ見たら、夏帆、落ち込んだりするのかな……」


 送ったことを後悔し始めた。

 メッセージ削除するか……。

 と思った矢先。

 既読がついた。

 はやっ! まずいまずい何か言い訳を考えなきゃ!

 思考回路をフル回転させてワタワタしていると、ピコンッとメッセージが届いた。


 夏帆: おぉーー! すごくいい景色だね!

    富士山も湖も空もすっごくキレイ!


 機嫌の良さそうなメッセージだった。

 おい、私のロードスターが抜けてるぞ。……まぁ、いいけどさ。


 沙耶: これ、湖じゃなくて海だよ


 夏帆: え、そうなの? 山に囲まれてるから湖に見えた

    ……海と湖の違いってなんだろうね?


 沙耶: たしか、陸にできる大きな水たまりが湖で、陸地よりも大きかったら海

    だったかな……


 夏帆: そっかー地球規模で考えればいいのかぁ

    宇宙から見ればただの青い星────

    国境なんてないんだね


 いや、何が言いたいんだよ……。

 返答に困っていると次のメッセージ。


 夏帆: 今日は伊豆におでかけ?


 やっぱりそこ聞かれるよね……。

 正直に答えよう。


 沙耶: うん

    ……一緒に行きたかった?


 夏帆: そりゃ行きたかったよ~

    けどね。今日バイトの人が急にお休みになっちゃって……

    これから代理で出ることになったんだよぉ(ToT)

 

 沙耶: そうだったんだ……

    仕事の日にごめんね


 夏帆: 全然っ! 問題ナシだよ~

    そんなことより!

    これ、この間あたしが撮った写真と同じ構図だねっ!


 ……ロードスターの角度と背景のバランス。たしかに喫茶で夏帆が撮った写真に似ているかも。

 けれど真似したとは思われたくない。


 沙耶: たまたまじゃない?

    というか、こんなのよくある構図だよ


 夏帆: いやいやいや! パクリだよっ

    著作権で100万円いただきますぞぉ


 沙耶: いや、高すぎるだろ……

    それに、もし似たような構図だったとしてもパクリにはならない

    オマージュというやつだ


 夏帆: ぬ? それってどう違うの?


 ………………。

 目の前の景色をじっと眺めてから、メッセージを送信した。


 沙耶: 海と湖くらい違うかな


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る