第二節 クローバー炭鉱のストライキ②

 選炭所の入り口に並んだピケラインの前に、ウィリアムを含めた炭労連の代表者が数人立っていた。

 ウィリアムの隣に立っているオヴェハという種族の男が口を開いた。

「炭労連のミシェル・ランドスケープだ。今日は皆に決めてほしいことがある」

 オヴェハは、柔らかな被毛に羊のような角を持つ種族だ。ランドスケープは黒い被毛のオヴェハで、金色の目をしている。

「先日私たちは、ヴァーブの代表たちと話をした。ストライキに関してだ。そこで彼らは、ある条件に我々が合意すれば食料の援助を約束すると言った。彼らは会社に対し、彼らが指定した山脈の一部分を彼ら自身が提示する値段で買い取るよう要求している。会社側がその条件に合意することをストライキ終了の条件に加えるなら、我々と協力関係を結ぶとのことだ」

 隣のウィリアムが口を開く。

「皆実感していることだろうが、ストライキを行うことによって我々は収入を絶たれ、日々の食事にも暖炉のための石炭を買うのにも困っている。組合がある程度金を出して支援してはいるが、それが十分ではないことを我々自身痛感している。ここでヴァーブからの支援があれば、ストライキをより長く継続させることができるはずだ」

 ピケラインがざわめきはじめた。

「山ン中に引きこもってるどもが、なぜ急に俺たちの味方をする?何か企んでいやがるんじゃないのか」

 誰かがそう叫んだ。

「これから協力しようって相手に対して野蛮人は無いだろ。考えてもみろよ、俺たちのことを貧乏人だとか異種族だとか馬鹿にしてくる奴と手を組めるか?できないからこうなってるんだろ」

「誰が協力するなんて言ったよ!」

「ヴァーブにとっては、私たちが会社に負けたほうが良いはずだ。会社が儲かっているうちは、自分たちの土地を無理やり奪われずに済むしね」

 労働者たちは口々に意見を出した。

「でもそれも永遠には続かないだろう。彼らはつかの間の平穏ではなく戦いの末に勝ち取る自由を選んだんじゃないか?私たちと同じでね」

 ヨルカが言った。

「だが、これ以上要求を増やすことは我々にとってもリスクになる。会社に条件を全て飲ませるのは困難だ」

 ランドスケープが反論する。

「でも、みんなが団結するためにはみんなの望みを叶えないといけない。自分たちの望みが達成されないと理解してしまったグループは、さっさと私たちに見切りをつけるよ。そうでしょう?」

 ヨルカはピケラインを見回した。

「数の力が無ければ、私たちはたった一つの要求さえ通すことができない。警官たちがライフルを手にしているのに、私たちには武器がない。だったら私たちは暴力ではなく数と忍耐の力で全員の望みを叶えるしかない!そうは思わない?」

 人々の間から同意の声がいくつか挙がった。一方で、腕を組み険しい顔をして沈黙する者も多い。

 ランドスケープが口を開いた。

「ヨルカ・フロントライン。君は誰も取りこぼさない戦いを望んでいるというのに、ここにいる大半の人々が取り残されていることに気づいていないのか?」

 ランドスケープの目には鋭い光があった。まるで原石の価値を見定めようとするような冷徹なまなざしだった。

「どういう意味?」

 ヨルカはランドスケープをまっすぐ見つめた。

「例えばそれは女たちだ。よく見てみなさい。ピケラインを見てみればたくさんの女がいるのが分かるだろう?当然だ。私たちの戦場はここ、選炭所前なのだから。だというのに、組合の代表である私たちの中に女が何人いる?一人もいないじゃないか!」

 ランドスケープは大きく息を吸った。

「家庭のことを思い出してみなさい。男たちはこの場所での戦いを終えて家に帰ると、大抵酒を飲むか友人と語らうかして自分の時間を持っている。だがその間女たちは何をしていた?全く思い出せないという男たちのために説明すれば、彼女らは子供たちの世話をし、料理を作り、その他家の中に関する細々とした労働をこなしていたのだ!私たちはこの炭鉱を変えるために共に戦っているというのに、なぜこんなにも異なる生活を送っているのだろうか?」

 彼が話し終えると、沈黙が露わになった。

「なあヨルカ・フロントライン。私たちはバラバラだ、てんでバラバラなんだ!それなのに、私たちが本当の意味で一つになり、共に戦うことは可能だと、君は本気で信じているのかね?いや、君がそう信じているかどうかさえどうでも良い。結局のところ、ここにいる私たちがそれを受け入れ信じるかどうかにかかっているのだから!君は私たちに信じさせることができるのかい?」

 ヨルカは自分の身体に数多の視線が突き刺さるのを感じた。彼女は誰とも目を合わせず自分の足元を見ていた。しかし目を閉じて一つ深い呼吸をすると、顔をあげて、ランドスケープを目で射貫いた。

「まったくもってあんたの言う通りだ」

 彼女はピケの列を見た。そこには男も女もいた。

「男も女も同じ目的のために戦っているのに対等じゃないのは間違っている!会社を相手にして戦うのと同時に、私たち自身が抱えてる問題とも戦わなくちゃいけない!誰かを犠牲にしなければ達成できない目標なんてくそくらえだ!」

「それで良いのか?君が今話していることは、今まで私たち全員が不問にすることによって保たれていた調和を破壊する行為だ。君がやっていることこそが、私たちの間に亀裂を生み、団結を破壊する」

 ランドスケープは反論した。

「亀裂?そんなもの昔からあったさ。気づかなかった?前にわたしに石を投げた女のことを思い出しなよ。あの女は夫がストライキに出るから自分が働かないと子供を死なせてしまうと言っていた。彼女の家が調和を保っていたと思うか?いいや、あの女の家庭は分断されていた。わたしの家の話をしようか。わたしの親父はわたしが物心ついたときにはろくでなしになっていた。子供には少しも関心が無いどころか、ちょっと騒いだだけでうるさいと叩くんだ。そのくせろくに働きもしないから、わたしの母さんは坑道で働かなきゃいけなくなった。不思議なもんだね、わたしたちは家庭ってやつを想像するとき、優しい母親と勤勉な父親がいて、二人は愛し合っていて、子供たちが幸せに暮らしてる様子を思い浮かべるのに、実際にはそうなってない家が山ほどあるんだ。つまり私が今からやることが初めて家というものを分断するんじゃなくて、もうすでに家は分断されているんだよ」

「だが実際には亀裂が生じていても、それを見ないことにしてうまくやってきた家もある。私たちは今労働環境のために戦うべきであって、不要な対立を煽るべきではない。皆、そうは思わないか?」

 ランドスケープは冷たく言い放ったが、その目には好奇心が浮かんでいるようにも見える。

「今苦しんでるあんたたちが、もっと苦しんでる人間の苦しみを犠牲にして利益を得るのか?全ての人間に人間らしい生活を送る権利があると信じることが、私たちの戦いの根拠だ。自分のそれは肯定して、他人のそれを否定しようとするなら、私たちの正義は無くなってしまう!」

 ヨルカは人々に目を向けた。人々もヨルカを見ていた。

「さあ、今こそ決めよう!誰かを犠牲にして全てを曖昧なままにしておくのか、それとも誰も犠牲にしないために自分たちの中の見るのも嫌な醜い部分を光の元に晒し続けるのか!それができないというのなら、自分たちの中の問題さえ直視できない私たちにヴァーブと団結する能力なんて無いだろう!」

 沈黙の帳が降りた。

「お前みたいな何にも知らねえ若い女の言うことなんか、誰が聞くかよ」

 初めに冷たい声をあげたのは男だった。人々の群れの中からそれに同意する声がいくつか挙がった。多くは低い男の声だったが、中には年配の女の落ち着いた声もあったし、若い女の声もいくつかあった。

「反論はそれだけ?わたしが若い女だってこと以外におかしいところは無かったっての?なら誰が言ったって同じだろ」

「少し前まで俺たちのことを馬鹿にしてた奴に、そんなこと言われても説得力無ぇよ」

 組合に所属しているらしい男が呟いた。

「悪かったと思ってる。わたしが間違っていた。でも今は、組合とも一緒に戦いたいと思ってるんだ。許してくれとは言わない、ただ今のわたしが本気でこの街を変えたいと思ってることだけは分かってくれ!そうじゃなかったらわたしはここにはいない。ここにいるみんな、考え方は違ってもそれだけは共通してるだろう?」

 しばし沈黙が降りた。

「俺は君に賛成するよ」

 若い男の声が響いた。誰が声を上げたのかと、人々は自分の周りを見回した。人の群れの中から一人の若い男が飛び出して、ヨルカの前に立った。彼はヨルカに手を差し伸べた。

「君の言う通り、俺たちには団結が必要だ!そして、団結するためには俺たちみんなが平等な関係を築かなくてはならない、そうだろう?」

 ヨルカは男の手を握り返した。暖かい手だった。

「……私も賛成するよ!」

 人の群れから女の声が一つ上がった。一瞬の沈黙の後、別の声が僕も、と言った。そしてまた別の声があたしも、と声を上げ、俺も、と叫ぶ者が続いた。声はどんどん増えて行った。それはいつしか彼ら全体を声の波が飲み込まんとするほどになった。



◇◇◇



 門から街へと続く坂道を、ヨルカとランドスケープは共に歩いていた。夕日が彼らの身体を温いオレンジ色に照らし出していた。

「あそこまで啖呵を切ったからには、君、本気で私たちの内包する問題の全てに向き合う覚悟はできているんだろうね」

「わたしがその場の空気に飲まれてあんな大それたことを言う馬鹿者だってことですか?いいや、違いますね。わたしは大馬鹿者ですよ。本気で言ったんですから」

 ヨルカは肩をすくめた。

「その大馬鹿者にしかできない仕事を頼みたい」

 ヨルカは彼の顔を見た。

「我々炭労連は労働組合として、労働者の団結を促すことを最も重要な責務の一つであると捉えている。にもかかわらず、組合に参加していない労働者たちに対するサポート体制は不十分だ。それはある意味では当然だ、組合に加入していない者にまで親切に手を差し伸べてやるほどの余裕は私たちには無いし、以前の君のように組合を良く思わない者も多いのだから」彼は一区切り置いて、「だがこのような現状は私たちの本来目指している理想とはほど遠い。私たちが見落とし続けてきた彼らを助ける役目を、君に頼みたい」と続けた。

「言われなくてもやりましたよ」

「言っておくがあまり支援はできないぞ。そんな余裕があったら既にこちらで動いているからね」

「どうにかします」

「随分と楽観的だ」

「楽観的に考えるのは得意なんでね」

 ふとランドスケープが立ち止まったので、ヨルカも足をとめた。彼女は怪訝そうにランドスケープを見た。彼もまたヨルカを見つめていた。夕日が彼の顔を真横から照らし出している。顔の半分に張り付いた濃い青色の影のせいで、彼は老人のように見えた。

「フロントライン、君の選んだ道は途方もなく永いぞ。君一人の人生では、目的地にはとてもたどり着けない。君はその運命を受け入れられるのか?」



◇◇◇



 星空の下、焚火の赤い光がヴァーブの人々の顔を照らしていた。

 彼らは長老の家の前に集まっていた。柔らかな火の揺らめきとは裏腹に、彼らの顔に浮かぶ表情は険しい。

「山を売るなんてどうかしている!ここは俺たちの故郷だぞ!いくら金を貰ったって、割に合わない!」

 若い男の声。

「私らの故郷なんて、とっくの昔にユーゴニア人の農場になってるよ」

 しわがれた女の声がつぶやく。

「年寄りにとっちゃただの逃亡先でも、俺たちにとっては生まれ育った場所だ!」

「だがこの条件でなら合意に至れそうだと、前回の首長たちの話し合いで分かっただろう。炭鉱労働者に提供する食料も各村から3割ずつ出してもらえることになった。皆自分の身を切ってでもやってやると決意してくれたのさ。さんざん揉めてようやくここに来たんじゃないか」

 ハウルが静かに言った。

「待ってよ、土地を売るってことはそれだけ住む場所も無くなるということでしょう?まさか、私たちのことを自治州に追い払うつもりじゃありませんよね」

 一人の女が白く濁った眼をした老婆――彼女が長老である――に問うた。皆の視線が彼女に集まった。

「大飢饉で人口が激減したことで、土地はむしろ余っていると言ってもいい。山脈の三割を売っても皆が住むための土地も食料も十分確保できる計算だ」

 長老はそう答えた。

「わざわざ移民たちに手を貸してやる必要が、本当にあるのか?下手に関わっておいて奴らが失敗したりしたら、俺たちは土地を奪われるどころか殺されてもおかしくはない。利益よりも不利益のほうが多いんじゃないか。それに、交渉の段階になって、奴らが俺たちの要求を切り捨てて会社に譲歩したりなんかしたらどうする?最後に仇で返されないという保障はない」

 中年の男の男の指摘に、長老は再び口を開いた。

「いずれにせよ私たちは再び土地を失う。その結末を避けることはできないだろう。であるならば、黙って奪われるのを待っているより、危険をおかしてでも奴らから金を毟りとってやるほうが良い。そうは思わないか?それに、移民たちを疑うよりは、同じく炭鉱会社に苦しめられている身として手を結んでおいたほうが良いだろう。この戦いが終わったらそこで終わりではない。向こうだって、何もかも終わった後に対立が残るような結末は望まないはずだと信じようじゃないか」

 長老が言った。

「だからって、土地を売るなんて……。そんなの、私たちは自分の住んでる場所が無くなっても平気だと言っているようなものだ。無理やり奪われるほうが、こっちは何も納得してないということをを証明できるんじゃないの」

 バークが言う。

「私たちに石炭は必要ない。あれを掘り出して売るための資金も何も無いからな。奴らだって、石炭さえ採掘できるようになれば、しばらくは大人しくなるだろう。理想論でならどんなことだって言えるさ。だが私たちは現実に向き合わないと」

 ハウルはため息をついた。

「それで納得しろって?冗談じゃないよ」

 バークが絞りだすように言った。

「私だって、納得したわけじゃないさ」

 ハウルは苦い顔をした。



◇◇◇



 雪の混じった風が吹いた。

 とあるヴァーブの村の入り口には馬車が何台か止められていて、荷台には食料が詰め込まれていた。炭鉱街から最も近いこの村に、労働者たちに分配するための一日分の食料が集められていた。

 村を訪れた労働者らに、村人たちがそれらを分配していく。ヨルカはその列の中にいた。

 食料を分けてもらうといっても、農耕がほとんどできなくなったヴァーブに余剰食料はあまり無い。炭鉱労働者たちに分配していくとかろうじて一回分の食事程度の量になる。しかしながら、この手の援助は少しあるだけでも有難かった。

 しばらく列に並んでいると、ヨルカの番が来た。馬車の荷台に腰掛けている女性に麻袋を渡そうとしたとき、女性が彼女の左腕を見ているのに気づいた。

「一人で持って帰れる?」

 女性は言った。ヨルカは左腕に包帯を巻いていた。

「いや、もう痛みはないから」

 ヨルカがそういうと、彼女は袋を受け取って中身を詰め始めた。ヨルカは手元を見つめる女性の顔を見た。

「ありがとう」

 ヨルカの声に、女性は顔をあげた。

「別に」

 ぶっきらぼうな言い方だったが、ヨルカは微笑みを浮かべた。女性は底の浅い籠をほんの少し傾けて、袋の中に乾燥させたベリーの一種を少量落とし入れた。

「わたしはあなたたちヴァーブのことをもっと知りたい。もし面倒じゃなかったら教えてくれないかな。例えば普段の生活のこととか、なんでも……」

 袋に入りそこねた実がひとつ、馬車の荷台に転げ落ちた。女性はそれを拾い上げて、ヨルカの袋の中に入れた。

「そんなのは見ての通りだ。私のほうこそ、かつてヴァーブがどんな生活をしていたのか知りたいね。私たちを殺したり迫害しようとする人間がいなかった時代の生活を」

「無神経な質問だったね。ごめんなさい。でもあなたたちの助けになりたいのは本当だよ。その食糧がタダじゃないって分かってるから」

 女性はヨルカをじっと見つめた。少し青みがかった灰色の瞳は澄んだ氷みたいだった。

「それだけ覚えててくれたら良いよ。あなたたちがこれに報いるまで、信用する気はない」

「じゃああなたの名前を教えて。ヴァーブが困ってるときは、あなたを窓口にして手を貸すから」

 女性はしばらくの間食糧を詰め込んだ袋をじっと見つめていたが、やがてそれをヨルカに差し出した。

「……バークだ」



◇◇◇



 星を浮かべた黒く美しい夜が窓を塗りつぶしている。黄昏時にランドスケープと言葉を交わした後家に帰ったヨルカは、居間で酒を飲んでいる父親の背中をじっと見つめたまま黙っていた。

 母親や兄弟たちは既に別室に逃げ込んでいるようだった。彼女はずっと口を開いては閉じてを繰り返していた。彼女が父親とまともに話をしたのは数年も前のことだった。いや、そのときだってろくに会話はできなかった。

 そのうち耐えかねた男が苛立ちまぎれに酒瓶の底をテーブルに叩きつけた。

「何見てんだ。文句があるなら言えよ。どうせお前も俺を役立たずだと思ってるんだろ」

「話があるんだけど」

「金はどうした」

「ないよそんなの」

 父親はガタンと大きく音を立てながら立ち上がった。椅子が倒れた。男は大股でヨルカの前まで歩き、彼女の胸倉を掴んだ。

「この役立たずが!ボケっと突っ立ってる暇があったら働け!」

「それはこっちの台詞だよろくでなし!酒飲んでる暇あったらガキの面倒見て働け!母さんんはどっちもやってんだぞ!」

 彼女は恐怖心からか声を荒げた。父親はヨルカの頬をぶん殴った。ヨルカは床に背中を打ち付けた。

「何手ェ出してんだクソ親父が!反論もできねぇ馬鹿のくせによ!」

 彼女は咄嗟に身を起こして叫んだ。顔が強張り呼吸が荒くなっている。父親は足でヨルカを蹴りつけ始めた。

「痛い!痛い!やめろよこのクソ野郎がァッ!」

 彼女は両腕で身体を庇いながら叫んだ。別の部屋から大きな足音が聞こえてきて、ドアが勢いよく開けられた。

「何やってんだ馬鹿!」

 母親が父親の肩に両手をかけ、ヨルカから引きはがした。父親は唸りながら母親を振り払った。彼女はテーブルに腰を打ち付けた。父親はテーブルから酒瓶をひったくると、狭い廊下につながる扉を勢いよく開いて居間から出て行った。それでようやくヨルカは、赤ん坊の泣き声が響いていることに気づいた。


「話して分かる相手じゃないってこと、忘れちまったのか?」

 血が滲んでいたヨルカの左腕に包帯を巻き終えた母親がつぶやいた。

「わたしが悪いみたいに言わないでくれよ」

 ヨルカは俯いたまま言った。両手は彼女自身の意思とは無関係にぶるぶる震えていた。母親は何も言わなかった。ヨルカは喉を震わせながら深く呼吸をした。

「そうだよ。忘れてたんだよ。でも……そんなに悪いことなのか?今度は違うかもしれないって思うのは……」



◇◇◇



 ヨルカはバークから食料を詰め込んだ袋を受け取り、帰路についた。誰かが彼女の名を呼んだので振り返ると、数人の若いペラ――犬のような長いマズルと耳を持った種族――の男女がいた。男が二人と、女が二人。

「あんたのところに来たら助けてくれるって聞いて」

 女のうち、背の高いほうが言った。彼らはストライキの参加者のようだった。

「そうだよ。何があったの?」

「最近ぱったり見なくなった友だちがいるんだ。こないだまでは殆ど毎日来てたはずなんだけど……」

「名前は?いつから来てないの?」

「アンナだよ。選炭所で働いてた」「ヴァーブと協力するかどうか話し合ってた日はいたね」

 彼らは口々にそう話した。

「その数日後くらいから見てないな。君の話にすごく感激してたんだよ。でも急に来なくなって、変だと思ったんだ」


 ヨルカは彼らとともにアンナという女性の家へ向かった。家のポーチに上がり扉を叩くと、母親らしい女性がでてきた。アンナと話がしたいという旨を伝えると、胡乱な目をしながら家の中に引っ込んだ。

 少しすると若い女性が扉の陰に姿を隠すようにして顔をのぞかせた。顔の片側が見えなかった。

「あんたが急に姿を見せなくなったって聞いて来たの。この通り、友だちも心配してるよ」

 彼女は後ろに控えている男女を示して言った。

「ごめんなさい。最近ちょっと風邪っぽくて」

 ヨルカはほんの僅かに眉根に皺を寄せた。実際彼女の声音は抑揚が低く、元気がないように見えた。ヨルカは顔の半分しか見えない彼女をじっと見つめた。

「顔を見せて」

 ヨルカは優しく言った。アンナは逡巡する様子を見せた。ヨルカは後ろで控えているアンナの友人たちが彼女を説得しようと口を開くのを手で遮って、彼女が決心するのを待った。

 アンナは観念したようにゆっくりと扉を開いて家の外側へ出てきた。彼女の片目の上は腫れており、被毛に覆われていない目の縁は赤黒く腫れているのが見えた。

 恐らく怪我をしているのは顔だけではないのだろう。

「それが理由で来れなくなったんだね」

 ヨルカは言った。アンナは静かに頷き、俯いた。

「あなたの話を聞いて、これ以上辛い目に遭うくらいなら抵抗して死んだほうが良いって思った。でもこれ以上痛い目に遭って、それでも立っていられる自信が無いの。ごめんなさい……」

「話してくれてありがとう。医者には行った?」

「行ってない……」

「分かった。じゃあ金をみんなから集めてみるよ。それで診てもらいな。他にも何か困ったことがあったら言って。わたしはこれからもアンタの味方だからね」


 アンナの家を少し離れたところで、ヨルカは彼女の友人たちから話を聞くことにした。

「彼女が誰に殴られたのか分かる?」

「……あの子の兄貴だと思う」

 一瞬の沈黙の後、背が低いほうの女が小さい声で言った。ヨルカは彼女の家のほうを見て、再びその友人たちを見回した。

「あんたら、アンナのことを良く見てあげてくれ。友だちなら」

「助けてあげられないのか?せめてあいつの兄貴と話すとか……」

 男のうちの一人が焦燥を露わにした。

「話して分かるのなら、きっとアンナが殴られることは無かったよ。別の方法を考えないといけない……。でも分からないんだ。どうすれば良いのか……」

 ヨルカは沈んだ声を出した。

「あなたなら助けられるんじゃないの?どうして……」

「ごめん」

「あんたの言ったことは間違いだったっていうのか?」

 責めるような言葉が投げかけられた。ヨルカは顔をあげた。

「違うよ。わたしは自分が言ったことが間違いだとは思わない。でも今のわたしにはアンナを助けられるような力が無いことは分かった。だから、彼女の友だちであるあんたたちの力が必要なんだよ。みんなでどうしたら彼女のことを助けられるのか、考えよう」

「貴女がリエブレで、私たちはペラだからそんなことを言うの?やっぱり自分たち以外の種族のことなんてどうでも良いって思ってるんじゃないの?」

 背の高いほうの女がヨルカに疑いの目を向けた。もう一人の女が「やめてよ、疑うのは良くない」とたしなめた。

「わたしが本当にそう思ってるなら、今日わたしがあんたらと一緒にアンナの家まで来ることは無かったよ」

「どうだか。口では何とでも言えるからね……」

「ごめんなさい。貴女に頼りすぎるのも良くないよね。私たちも自分でアンナのためにできることを考えるよ」

 ヨルカは俯いて唇を噛んでいたが、毅然とした態度で顔をあげた。

「とにかく、治療費を集めよう。金を届けるときにまた様子を見に行くよ」

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