第45話 決着

 こちらから仕掛けるような陣形を構築して、敵の判断を誤らせる手に打って出た。

 パイアル公爵への治癒魔法は成功して、傷口は徐々に塞がり始めているという。

 できればこちらが動くまで、アルマータ共和国軍には動いてもらいたくないところだ。


 アンジェント公爵、アイネ子爵は健在だが、オサイン伯爵は混戦のさなかに命を落としたようである。

 この危機で指揮官をひとり欠いたのは痛い。

 あと少し持ちこたえてくれたら、戦いようはあったかもしれない。

 だが今は退却戦を演出しなければならない。


 アンジェント公爵、アイネ子爵が負傷したパイアル公爵を見舞っている。

 公爵は彼らに私の指揮下へ入るよう要請しているようだ。


 敵軍からは異世界転生者タイラ・キミヒコの罵声だ。

「おら! イーベル! てめえは必ず俺様が倒してやる! そして裸にひん剥いて、俺様のモノでひいひい言わしてやるぞごるあ!」

「タイラ様、アルマータ共和国の品位を貶めるような言葉は吐かないでいただけないか」

「いいじゃねえか。俺様は異世界転生者様だぞ。いわゆる勇者様なんだよ。他の誰よりも偉いんだ。てめえらも俺様がいるから勝って領土を広げてきたんじゃねえか!」


 あの男はなにもかも履き違えている。

 なぜ神は彼を異世界転生させたのだろうか。

 あんなに増長してしまっては、この世界のためにはならないというのに。

 前イーベル伯爵は、ただ強い国を作るのにふさわしい人材を見繕ったはずだ。

 それなのに、転生してきたのはチャラくて自分本位で視野の狭い人物だったとは。


 タイラの挑発には乗らない。

 パイアル閣下の命を受けたアンジェント侯爵とアイネ子爵がやってくると、治癒魔術を使う以外の魔術師とボルウィック、ゲオルグさんを呼んだ。


「これから私が伝える策に従っていただきます。全員がこれから私が話す策に賛同いただかなければ必ず失敗してしまいます」

 皆の顔を見ていく。皆覚悟を決めた引き締まった表情をしている。

 アンジェント侯爵ですら嫌み面ひとつ浮かべていない。

「それではこれから退却戦の説明を致します」


 ◇◇◇


 あいかわらずタイラ・キミヒコの下品な言葉が戦場を飛び交っている。

 私たちは全軍で陣形を保ったまま、少しずつ兵を退いていく。次の交戦にふさわしい戦場へ下がるかのような動きである。

 これに気づいたアルマータ共和国も少しずつ前進を始めて、両軍が離れない距離を保っている。


 まずはお膳立てができた。

 夜になると陣を開いてかまどで食事を作り、野営するとともに、リベロさんたちの空間魔術で足の遅い歩兵を負傷したパイアル公爵とともにある地点まで先に送り出した。そうして翌朝を迎える。


 またゆっくりと後退し、次の夜になればまたかまどで食事を作った。しかし前日よりもかまどの数を減らし、少ないかまどを分け合う。

 そうしてからまた足の遅い歩兵を空間魔術で先発させていった。


 次の日も同様である。

 さらにかまどの数を減らしていく。

 そして足の遅い歩兵を夜のうちに後方のある地点まで送り出す。


 そうして残りが騎兵だけになった翌日、全力でアルマータ共和国軍から逃亡を図った。

 虚を突かれたアルマータ軍は、足の速い騎兵を集めて猛烈なスピードで追いすがってくる。

 こちらも私が騎兵を率いて追いつかれないように逃げを打つ。


 日が落ちる前に目標としていた木の前にやってきた。

 短剣で樹皮を剥がして幹を露出させ、そこに日本語で“タイラ・キミヒコ、ここに眠る”と彫り、近くに金目のものを落としておいた。

 そして弓弩を構えた兵たちに「この木に近づいて火をつけた者を、声が途切れた瞬間に撃て」と命じた。


 まもなくアルマータ軍の騎兵がやってくると、まず金目のものに気がつき、そして幹に書かれた謎の文字を見つけてくれた。

 しかし日本語で書いてあるので、この世界の兵には読めるはずもない。


「タイラ殿、この字が読めますか?」


 敵の指揮官と思しき男の声がして、それに答える気だるげでだらしない口調の男がやってきた。

 そしてその男は字を読もうとするが、あたりはすでに薄暗くて文字が読めない。


「おい、誰か火をくれ。こんな暗いんじゃ読めやしねえよ」

 タイラが松明を持ってお付きの兵がそれに火をつける。

「えっと、なになに。“タイラ・キミヒコ、ここに眠る”だと? しかも日本語じゃねえか」


 それを機に一斉に矢が放たれた。

 タイラとその周囲にいた者たちはおびただしい数の矢を受け、そして全員その場に倒れて動かなくなった。


 異世界転生者の成れの果てを見たアルマータ共和国軍は、急いで来た道を引き返していく。


 そう、もうひとりの「孫子」。

 斉の孫ピンが用いた、敵を誘い込んで狙撃する策を用いたのである。


 同じく異世界転生者でありながら、なぜタイラは道を踏み外してしまったのだろうか。

 もしかしたら、私が彼のように道を踏み外した可能性もあるのかもしれない。

 でも私は必死に生きてきた。生き抜いてきた。

 他人の迷惑にならぬよう、精いっぱい誠意をもって接してきたつもりだ。


 今でも日本の夢を見る。

 ああ、私は夢の中で異世界へ行って大陸を統一しに行ったんだ。

 そして少しずつ足場を固めて、いよいよ決戦の日を迎えることになった。

 今日は夢の中で異世界を統一したんだって飛び跳ねているかもしれない。


 神様、前イーベル伯爵、私はあなた方が思い描いた未来を実現できたのでしょうか。

 私がこの世界に転生する際にお約束したことを達成できたのでしょうか。

 それがどんな約束だったのか。今の私にはまったくわからない。

 ただ、哀れな日本人、タイラ・キミヒコの亡骸がハリネズミのように矢まみれになって動かない。


 私は設営道具の中からスコップを取り出して、例の幹の下に穴を掘り始めた。

 元農家の娘ではあるものの、長く戦乱に身を置いたせいですっかり手のまめは小さくなっていた。

 だからか手のひらがとても痛んだが、かまわず穴を掘り続ける。


 いつしかボルウィックとゲオルグさんがそれに加わった。

 人ひとり入れるだけの穴を掘り終わったら、そこにタイラ・キミヒコの遺骸を丁重に置いて、その上から土をかぶせていく。

 ここがタイラにとっての墓となる。

 その後、彼はいったいどうなるのか。

 また神様のもとへ行って新たな異世界に転生していくのだろうか。

 それとも日本へ戻れるのだろうか。

 このまま異国の地でその魂の生を閉じるのだろうか。


 答えてくれるのは、ただ冷たい夜風だけだった。



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