第26話 旧伯爵の使用人
旧伯爵の女秘書さんは全員を食堂へ案内し、料理長と料理人と思しき者たちが厨房まで鍋と食材を運んでいく。
食堂に着いたら私は上座へ案内され、一同がそれぞれの席に腰を下ろした。
護衛としてボルウィックが付いているが、もうひとり前伯爵付きの護衛はその対面に座る。全員が着席したのを確認する。
「われわれは旧イーベル伯爵様に奉仕しておりました者たちでございます。カイラム様の呼びかけにより、このたび伯爵号が復活するとお聞きし、皆で再び働かせていただきたいのですが、伯爵様は許可いただけるでしょうか?」
ちょっと困ったな。
確かに伯爵号はいただいたのだが、正式な収入つまり給与がどれほどもらえるのか判然としていない。
そしてこの人たちを養っていくのにどれだけの支出がかかるのかもわからない。
この状況で安易に彼らを雇うのは早計ではないか。
カイラムおじさんが末席に座っている。
「カイラムさん、ご存知ならでよいのですが、私の収入がこの方たちを雇うだけの支出に耐えられるのかわかりますか?」
右頬を引きつらせながら尋ねてみた。
「そうじゃな。難しい話をしてついてこられないと困るから、簡単に言ってしまおうかの。伯爵様の収入は国家予算の二分五厘です。つまり四十分の一ですな。ここにいる旧家臣たちを全員雇ってもなお
それってありえないほどの収入じゃないか。
ベルナー子爵夫人のときは子爵家の一室を借りていただけだから貴族の実感は湧かなかったのだが、伯爵になるとまるでスケールが違う。
いや子爵でもそれなりに莫大な収入があったはずなのだが、つい女子高校生の感覚で貯金に勤しんでいたので、今どのくらいの財産を築いているのか、想像もつかないほどだ。
「私たちは伯爵家を食いつぶすほどの高給取りではございません。ごく一般的な給与で働いておりました。新しい伯爵様がお気に召しまさなんだら、どうぞお好きなように処分なさってくださいませ」
「先ほど会ったばかりですので、気に召すもなにもよくわかりませんので……」
秘書さんがかけている眼鏡に左指を当てたのち話を続けていく。
「確かに私たちのことをまずご紹介しておくべきでございますね。それでは全員起立してください」
その声に席を立ってみたのだが──。
「伯爵様はお立ちにならなくてけっこうです。お座りになって皆の顔と名前を憶えていただけたらと存じます」
たしなめられてしまった。
やはり貴族ってガラじゃないよなあ。
元が女子高校生なんだから。
こちらの世界でもつい最近までは農家の娘だったわけだし。
「まず私、伯爵付きの秘書でエミリーアントと申します。通常はエミリとお呼びくださいませ」
「はい、エミリさんよろしくお願い致します」
「私たちに敬語は不要です。あなたがこの伯爵家の主なのですからね」
慣れないにも程があるなあ。
「それじゃあエミリさん、次は私の自己紹介をさせてください。あと護衛の者と魔術師も」
「かしこまりました。それでは新しいイーベル伯爵様、お願い致します。敬語は省略してくださいね」
それがプレッシャーになるのよ。
「えっと、私はラクタルと申します。伯爵家の名前だと、ラクタル・イーベル伯爵ということになります。趣味は“兵法”です。よろしくお願いします」
「ちょっとお待ちください。“兵法”とはなんですか?」
さっそくエミリさんの鋭いツッコミが! こんなことが毎日続くの?
「“兵法”とは戦の勝ち方を研究することを指します。このたびイーベル伯爵号を継いだのも、陛下から用兵の手並みを評価されてのことだと伺って──聞いています」
「やはりですか。前伯爵様は世継ぎに魔術師か“用兵に秀でた方”を望んでおられました。そして陛下に伯爵号をお預けになったのです。用兵の才能をお持ちの方を次期当主に、との条件で」
ちょっとしんみりしてしまったな。
そうか、前伯爵様は、私のような人が現れるのをずっと待っていたのね。
だから陛下もパイアル公爵もカイラムおじさんも、私に目をつけてどんどん難題を押し付けてきたってわけか。
下手をすれば戦死しかねないというのに。
「そしてこちらの背の高い男性は、副官と身辺警護を担当しているボルウィックです」
「ボルウィックです、よろしくお願い致します」
「やはりそうか! あんたどこかで見たことあると思ってたんだ。無敵の剣闘士ボルウィックか! これで伯爵様も安泰だな」
「ゲオルグ、茶々を入れない」
眼鏡の端から鋭い視線がゲオルグと呼ばれる男性に注がれる。
「すみません、エミリ姉さん」
エミリさん、怒らせると怖いタイプだなあ。
これでよく前の伯爵様が秘書としておそばに置いていたわよね。
「それでは今大声を挙げた人物を紹介します。前伯爵様の護衛を務めていたゲオルグです。護衛の腕前は帝国でも五指に入る逸材でもあります」
「まあ大陸一の剣闘士と言われたボルウィックくんには負けると思いますけどね」
「それでは護衛役を返上してこの館を去りますか?」
「姉さん、それは勘弁してくれ。俺はこの館が子供の頃から大好きだったんだから。ここで再び働けると聞いて跳んで喜んだっていうのに」
「では、以後も護衛役に徹するように」
そのままこの場にいる全員の名前と顔を憶えていくことになった。
これは毎日顔を合わせて積極的に話しかけないと忘れてしまいそうだ。
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