序章 『アインウルフの帰還』 その4


 夜明け前の暗がりのなか、農夫たちは動き始めている。羊の群れの最後尾にいるモコモコした尻を、枝で叩きながら柵から出すヤツもいたな。クワを肩に担いで、大あくびしているドワーフもいた。


「……あのドワーフは奴隷かよ?」


 眠っていたと思っていたギュスターブは、いつの間にか目を覚ましていたようだ。さすがは友だな、オレと同じようなことを訊きたがる。


「そうだ。書類上はね」


「……書類上。グラーセス王国人には、よく分からない言葉だ」


「建前だ。私の奴隷とすることで、平穏な日々を暮らしていける。私は彼らを奴隷だとは思っていないが……今の帝国では、そうする必要があった」


「曲げちまったのか」


「実利を取るためにね。でも、そうだな、ギュスターブ。私も曲げてしまったのだろう。『正義』というものは、貫かねば鈍るものだということぐらい、分かっていたはずだがな」


「……分かっていても、曲げさせられるってことかい」


「曲げない者もいるさ……だが、私の知る最も強い『正義』は……ガンジスという最強の戦士は、自ら奴隷になることを選んだ」


 ガンジス。その名前を無視することはできないな。顔の広いマルケス・アインウルフに『最強の戦士』と言わしめる男であり―――オレの副官一号、ガンダラの『兄貴』。


「……ガンジスは『秩序派』の巨人族というハナシだったな」


「そうだ」


「なあ。それって何だい、サー・ストラウス?」


「……巨人族の中には、秩序を重んじる者たちがいる。彼らは、自ら奴隷の役割を選ぶことで、この世界に秩序と安定がもたらされると信じている」


「ヘタレどもだ!!」


 グラーセス王国のドワーフ剣士の魂は、『秩序派』の巨人族たちの選択をそう断じていた。オレも同意見ではあるんだが、彼らがどうしてそう考え込んでしまったのかは気になる。


 とくに。


 『世界最強の戦士』であるガンジスさまが、そんなヘタレた考えなんかに至ったことが不思議でね。


「マルケス。ガンジスについて教えてくれるか?」


「ガンダラくんから色々と聞いているんじゃないのかね?」


「ガンダラは戦闘用の奴隷として売り買いされていた。『家族』そろって一緒の軍隊には置かないさ。反乱されると厄介だろうからな。ガンダラが『バルモア連邦』の軍隊に買われたときに、バラバラにされたそうだ」


 悲しい奴隷の生き方だ。自分自身や『家族』を道具のように売り買いされる。それほど屈辱的な行いはない。


「……なるほど。ガンジスは、あまり兄弟のことを話したがらなかったな」


「少なくとも政治的な信条は真逆を向いているからな」


 ガンダラは『自由』を求めていた。オレと最初に会った日から、今でもずっとだ。奴隷であったことを屈辱と断じ、『自由』を求めて生き抜いている。


 『秩序派』のガンジスとは、あまりにも真逆だ。そもそも、ガンジスは、ガンダラの人生を知っているのだろうか?……ガンダラがつぶらな瞳の少年―――いや、無かったんだろうな。そういうヤツじゃないもん。


 ……まちがいなく、ふてぶてしい面したガキだったはずだが、そんな小さな頃に分かれたまま大人になった。ずいぶん長い時間が会ってなければ、『家族』でも想像できないほどに変わってしまうものだ。


 うちの姉貴。マーリア・アンジューは、想像通りの烈女のままだったけどな。オレの腕にサーベル突き刺しやがった。こっちは手加減が抜けないのにな。姉貴ってズルい。しかし、オレは兄貴どもにも姉貴にも、あんまりいい思い出がないぜ。


「ガンジスってのは、どういう男だ?」


「物静かだな。常に、武術の腕を磨くため、槍と共に踊る。ストイックなのさ。奴隷の戦士として『第一師団』に仕えることを義務だか、あるいは運命だと信じた。あの槍で、彼は帝国に大陸を統一させたいと考えているのかもしれない」


「夢や目標は語らないタイプの男というわけかい」


「語らないね。あまり自分の野心を語ることはない。彼は、じつに理知的でもある」


「静かな武人か」


「『秩序の巨人』と呼ばれているよ、本人は、そういった大げさな言葉は好きではないだろうが」


 ……最強の『第一師団』を支える、『最強の奴隷戦士』か。あとは、『最強の将軍/カーゼル』までそろっているわけだ。ああ、殺し合うのが楽しみだな。


「……ガンジスは、自分のことを語らぬ無口な男。オレとは対極にいるね」


「そうだよ。だから、ソルジェくんが知りたがっているだろう、『秩序派』を選んだ理由も語ることはなかったのさ」


「やっぱりか」


「ああ。奴隷であり、我が親友であり……そして、自分のことについてを徹底して語らない寡黙な男でね」


「それでもよー。一応は友だちってんなら、なんかピンと来ることぐらいあったんじゃないかよ、アインウルフ?」


 『最強の戦士』については、どうしても興味を引かれてしまうのが戦士の宿命だな。ギュスターブはゴキゴキと首の骨を鳴らしながら、ガンジスについて訊いた。


「……きっと。『それ』が合理的だと、よりヒトが死なない道だと、ガンジスは思っていたからじゃないかな」


「……帝国が勝利した方が、死なない?……詭弁ってヤツだぜ、そいつはきっとな!」


「そうだろうか。世界は、それほど甘くないかもしれない。そうだろう、ソルジェくん」


「……沈黙ってのは、おしゃべりだな」


「なんだよ、サー・ストラウスまで、帝国が勝った方が、死人が少なくすむっていうのかよ?」


「かもしれんな」


「……っ!!」


「だが、どれだけ死んだとしてもあきらめん。オレたちは、オレたちの『正義』のために勝利する。そいつが、オレたちの戦い方だ。どれだけ血塗られようとも、ガンジスの考えは拒絶する」


「……そうだな。オレたちは、えらくデカい相手を敵に回しているんだった。ゼファーに乗って飛んで来た場所の全部が……帝国の領土ってわけだもんな」


 夜明け前の暗がりを、ギュスターブの瞳は見ていたのだろう。亜人種奴隷の農夫たちは、かりそめの平穏を始めている。殺し合いから解放された奴隷……それが、死ななければ、支配されて、軽んじられても……生きていけるなら、それでいい。


 ガンジスは、そんなことを考えているのか。『正義』ではなく、そいつの反対にある概念の一つ、『平和』。あきらめと服従により作られる、平穏な時間。そいつの価値を、ガンジスだけじゃなく、『秩序派』の巨人族たちは評価しているのかもしれない。


 マルケス・アインウルフが作り出した、かりそめの奴隷たちが生きる平和な畑を見下ろしていると、ガンジスたちの考えが、全く魅力を持っていないとは言えない。


 しかしだ、ガンジス。ヒトはお前たちが考えるほど、虚弱な憎しみか持たないものか?服従したぐらいで、許せるのか?それだけで、認めてもらえるのかね……。


 オレはその考え方は甘いと思う。マルケスも、カーゼルも、亜人種の戦士に対してフェアな人物なのかもしれないが、帝国人の全体がそうだと思っているのか?……オレが見て来た、世界の現実とは、あまりにも異なっているぞ。


 見なかったわけではあるまい、ガンジス。罪と言えない罪のせいで、腐り果てるまで木に吊るされた、亜人種や『狭間』の子供たちの死体をな。


 それが、憎しみの激しさだ。どこの土地にもある、全くもって珍しくもない普遍的な差別の形態だぞ。お前は……自分やガンダラの子が、いつかあんな姿となって吊るされることを考えた夜はないというのか?


 あるはずだぞ。世界最強の男よ。


 ああ。


 世界に夜明けがやってくる。太陽はいつも、ちょっとだけズレながら精確だ。暗がりを焼き払いながら、光が地上を走り抜けて、空を燃やしている。


『……ねえねえ、『どーじぇ』っ』


「ああ。分かっているよ……なあ、マルケス。ゼファーが隠れておける、いい森か林を知らないか?」


「ん。そうだね、ゼファーくんで飛び回っては、目立ちすぎるか……ふむ。右手の方を見てくれ……あそこに森がある……一応、私の別荘がある森だ。まあ、小さな別荘さ。今の時期は誰も使っていないはずの『小屋』しかない」


「そうか。その小屋の前あたりに、ゼファーが降りられそうな『空き地』はあるか?」


「私の感性では、『空き地』ではなく、『庭』というものがあるが……かまわない。潰してくれてもいいぞ」


「くくく、最小限の被害にしてやるよ」


『してやるよー』


 蛮族だってね、友人の別荘の庭を竜でぶっ潰すことを楽しめるヤツばかりじゃないんでな。


 オレは鉄靴の内側をゼファーのウロコに当てながら、右に向けて体を倒す。ゼファーも一緒に右に傾く。左の翼と脇腹を、太陽の光に晒して、ゼファーは南に見えた、そこそこ広い森にむかって降下していく。


 濃い緑の葉の枝先に蹴爪を当てて揺らしながら、ゼファーは森に触れた。




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