序章 『アインウルフの帰還』 その3


 空の面白さを宣伝したあとで、オレとゼファーは集中する。初めての風の交差路だ。予想は及ぶものだが、それでも初見の挑戦というものは鍛錬になる。最良の選択をすることでも自信を得られるし、少しぐらい失敗したら、そいつも経験値だ。


 自分たちの失敗を得られるかもしれないチャンス。オレもゼファーも、竜騎士と竜としてのコンビネーションが完成しつつあるんだ。より高みを求めるためにも、この挑戦を楽しみたい。


『……っ!』


 ゼファーの鼻が、ピクピクしている。北海で潮風を知ったゼファーには、その香りを嗅ぎ分けられる。だが、潮の香りは海によっても違うものさ。


『……あれ?……『どーじぇ』、このかぜ、かれーのにおいがする……?』


「ああ。カレーっていうか、香辛料の香りだな」


「んー!?そんなにおいするのか!?」


 眠りかけていたギュスターブが、クンクンと犬みたいにガサツに鼻を鳴らしてカレーを探す。


「……しないぞ、サー・ストラウス……」


「内海の船乗りたちは、潮風にスパイスを嗅ぎ分けて旅をしたというが……ソルジェくんもやれるわけだ」


「そうだ。嗅覚を磨けば、こんな芸当も出来る」


「犬みてーだな!?」


「火薬のにおいを嗅げれば、地雷も怖くなくなるぞ」


「それは……そうだな。オレも、特訓しよう。サー・ストラウス、コツはあるのか?」


「静かに嗅ぐことだな。風に融ける香りはほんのわずかだ」


「そうか……もしかして、サー・ストラウスが女みたいに料理作るのが好きなのは、この特訓のためなのか?」


「男の料理人は多いだろ?」


「そうかもしれないが……ふむ。じゃあ、ただの趣味?」


「あらゆる行いが修行にもなる。それは日々の心がけ次第ということだ」


「……深いよーな。誤魔化されたよーな気もする言葉だ……ふむ。だけど、サー・ストラウスは一つの目標だ。カレーのにおいを探してみるか」


 スンスンと小さく酔っぱらった鼻を鳴らしながら、ドワーフの戦士は新たな力の開眼に励んだ。根は本当にマジメな男だからな、ギュスターブ・リコッドは。


「……ゼファー。潮風の放つ香りは、海によっても大きく変わる。これが内海の香りだ。覚えておくといい。頭の中にある空の地図に、知識を描いておけ」


『うん!そーするね!!うみのにおいは、それぞれちがう……なんだか、ふしぎだねっ!!』


「ああ。世界には不思議なことがいっぱいだよ」


 それを体感できることは、一つの幸せのように思えるね。


 さあて、風に融けて舞うにおいで潮風との交差路にたどり着いたことは知れた。耳も使うぞ、ゼファー。北と南から吹き込んでくる風がぶつかり合う乱雑な歌が、ここにはあふれているな。


 最良の風を見つけよう。ぶつかり合った風が、わずかに熱を帯びる……微量ではあるが、竜騎士と竜なら気づく。牙を使うぜ、舌も使う。視覚、聴覚、嗅覚、肌の感覚も、熱と冷たさも……あらゆる感覚を総動員して、知識と経験値に混ぜるんだよ。


 冷たい北風が落ちる場所がある。そこには、温かくて地上から浮き上がって来る南の風があるな。乱れた渦のように見えるが、そこが最良だ。


 ぶつかり合う風の方向性が崩れて、東へと流れるように落ちていく、熱いが、すぐに冷え切ることになる風の道があった。


『……っ!!』


 ゼファーとオレの読みは一致したよ。だから、唇を歪めて、ニヤリと白い牙を剥く。選択に文句はない。全くの同意が出来るが―――オレたちの選択は、この初めての課題を正解することが出来るのか。そいつは、また別のハナシさ。


『かぜのみちに、はいるね!!』


「おう!」


 漆黒の翼が空を叩いて、左下へとゼファーの首は動いた。重心の傾きに合わせて、右の翼は星に向けて伸ばす。左の翼は少しばかりたたむのさ。竜騎士さんの重心はゼファーの傾きが過大にならないように、中庸のバランスを保つ。


 もしも、オレたちの判断が間違ったときの対策だ。プロフェッショナルは失敗しないわけではない。失敗したとき、すぐに挽回することが出来る手段を構築しておける者のことを言うのだからな。


 翼がもう一度羽ばたいて―――その直後、一瞬だけ風の空白地帯を通る。


 問題はない。


 予想のとおりだ。


 風が絡み合うと、こういう空白が生まれることもある。


 ……ゼファーの体がゆっくりと落下していき、その落下から3秒―――いや、4秒か。強い西風が吹き荒れて、そいつをゼファーの翼が受け止める!!


 ヒュゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!


 かなり速さのある風の道だったよ。だが……な。


「くくく!……75点というところだったな、ゼファー!!」


『うん。ちょっと、さがりすぎちゃった!……りそうは……もっと、てまえ……』


「100メートルぐらい手前だったようだ。ああ、いい失敗をしたなあ。これで、また課題と向き合えたぞ!!」


 オレとゼファーにとっては、初めての空だ。そいつを味わえたことは、本当に楽しい思い出だ。


 赤ワインをぐびぐびと呑む。そして、鉄靴の内側を使って、いつものようにゼファーへ指示を出した。最速の風の道に向けて、ゼファーは翼を一度羽ばたかせて、移動する……。


『……おっけー!』


「ああ。よくやった、ゼファー。さてと、マルケス。最良の風を捕まえた。あとは、このまま乗り続ければ、朝が来る前にはお前の地元にたどり着く」


「そうか、ありがとう。風を選ぶ……じつに興味ぶかいものを見せてもらった。馬術に活かせるものを探すとしよう……」


 ギュスターブ以上に根がマジメな男がいたよ。


 ……ギュスターブは、カレーのにおいを探しすぎて、眠たくなっちまったらしい。ぐー、ぐー、とドワーフらしい低い唸り声に似たいびきをかき始めていた。サボテン酒なんて呑んだ直後だからな、感覚も鈍っていた。


 無理してトレーニングを行うときでもない。それに、何かを学んだときは睡眠を取ったほうがいいらしいと、ガンダラが教えてくれたこともあるからな。ワイン一本とサボテン酒一本、それだけ呑めば、体はしばらく温かい。朝陽を浴びるころまでに、凍死することはないな。


 オレとマルケスは、チビチビと赤ワインを呑みながら、明るくなっていく東の空を見つめていたよ。豊かな穀倉地帯が始まり……やがて、大きく穏やかな丘陵がいくつも続く場所へと辿りつく。


 いい牧草たちの海原だ。風が運んでくれる夏の牧草の青い香り。


「馬が喜びそうな場所だな」


「ああ。私が知る限り、最高の放牧地の一つだ。ここが、私の地元……『オールド・レイ』だ!!」


 ……オレたちは、マルケス・アインウルフの領地にやって来たよ。さてと、奥方とお子さんか……すぐに会えれば、楽な仕事になるんだがな。




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