秘密の家族サービス

登崎萩子

全ての優しいお姉ちゃんに幸あれ

 教室の外は灰色の曇り空だった。

(天気予報では曇りだって言うけど、雪が降りそう)


 百合が天気の心配をしていると、前の席から用紙が配られてきた。

「進路の希望は提出日を守る様に。大学進学がほとんどだと思うが、もし就職を希望するなら早めに準備するように」

 先生の話が終わると席を立つ。公立校でスポーツも勉強もそこそこの高校で、進学する方が多かった。

「どうしても日曜日だめかな」

 隣の席の玲奈は、百合がすがるように言っても苦笑するだけだった。

「そりゃ、学年末のテストが近いから、テスト勉強するよ」

 そうだよねと言って百合は肩を落とした。一月末の休日に、遊園地へ行ってくれる友人は今のところ一人もいなかった。

「あの野球部の彼でも誘ってみたら」

 百合の眉間には皺が刻まれる。

「来月はバレンタインデーもあるんだし、好きな人でも誘ってみたら」

「だから、私と行って欲しいんじゃなくて、弟のために行ってくれる人を探してるの」

 マフラーを首に巻いて、手袋もする。

 制服の上にはちゃんとコートも着た。

「あの新聞、人気で会員が増えたんだって」

 つい不機嫌な声で、それが何と答える。

「弟思いの姉は苦労するね。誰でもいいから誘ってみるしかないんじゃない」

 

 玲奈は先に帰ってしまう。廊下に出ると溜息をつく。

(誰でもいいって言われても)

 百合がぼうっと立っていると視界に黒いものが写る。

「ごめん」

 隣の教室から出てきた人とぶつかる。

「あのさ、香川百合さん?」

「そうだけど」

 話しかけてきた男子の顔は見たことはあっても、名前は知らなかった。

(私に何の用かな)

「デートの相手を探してるって本当?遊園地に行きたいんだって?」

 百合は焦って誤解を解こうとする。

「全然違うの。私は弟と一緒に遊んでくれる人を探してただけで」

 彼はニヤッと笑った。

「じゃあ、俺が一緒に行ってもいいけど」

「え、本当」

 百合は信じられなくて聞き返そうとする。

「冗談に決まってんだろう」

 そう言ってゲラゲラ笑い始める。

(最低。人が困ってるのに。一瞬でも信じるなんて馬鹿みたい)

 さっきまで冷えていたのに、今はマフラーが暑く感じられた。

「鈴木、何がそんなに面白いんだ」

 低い声がしたので、鈴木の笑い声が止まる。

「あー、浅井、いやなんでもない。俺もう帰るわ」

 鈴木が走り出す。

「謝れよ」

 さっきよりも大きな声だった。百合は思わず両手で耳をふさいでしまう。

「香川さん、ほんとごめん」

 謝った声はすぐに遠ざかった。


 浅井は隣のクラスの野球部で有名だった。去年の夏は県大会で決勝まで行った。背も高くがっしりとしているので、かなり目立っていた。

 近くで見るとますます大きく見える。全体的に男らしい顔つきで、どのパーツもはっきりしている。眉も太く直線的で鼻筋も通っている。目はどちらかといえば切れ長だった。

 極めつけは短髪。

(助けてもらったけど男らしいタイプって苦手)

「ありがとう」

 お礼を言ってさっさと帰ろうとする。

「俺が一緒に行こうか?」

 立ち止まって相手の顔をじっと見る。

(今なんて言った)

 周りから「何だよ、浅井そういうことだったのか」と冷やかしの声が上がる。まだ周りに人がいるのに気付いて、百合は顔が火照る。

「全然平気、その、緑川遊園に行こうと思ってて、私寒いのも運動も苦手だからちょっと誰かに手伝ってもらえたら、楽できるかなあって思っただけだから」

 早口で一気に言い終える。

「弟さん元気?」

 浅井は百合よりも十センチは背が高いので少し見下ろすようになっていた。

「そんなに気遣わなくても大丈夫だから」

 浅井はそんな百合を無表情で見ていた。


 日曜日の朝、早起きしてお弁当を作る。

(涼太は好き嫌いないし、余ったら後で食べればいいや)

 平日も、百合がほとんど家事をしている。余りものをなんとかするのは百合が多かった。

(お母さん達、最近残業多いしちゃんとしたの作らないと)

 考え事をしながら、乾燥機から出来上がった服を取り出して、トイレ掃除も済ませる。

 父も母も出かける用意をしているのに、涼太はまだ起きてこない。

「お父さん、夜には帰って来るんだよね」

「遅くなるときは電話するよ」

 黒い礼服を着て、ネクタイを締めながら返事をする。

「もう出ないと電車の時間だから」

 母はスーツを着て、黒い鞄を玄関に持っていく。ようやく涼太が部屋から出てくる。

「お母さん、出張なんだよね」

 眠たそうに言う声はやっぱり元気がない。

 母はもうコートを着ていて、涼太の隣にしゃがみ込んで話しかる。

「本当に残念だけど、どうしようもないのよ」

 すまなそうに母が言う。

「本当に悪いな。今度は二人とも行けるようにするから。今日は百合と楽しんできて」

 行ってらっしゃいと姉弟で両親を送り出した。


 朝食を食べて百合たちも家を出る。

 近所のバス停まで歩いていく間も涼太が話しかけてきた。

「お父さん、次の休みはいっしょに行ってくれるかな」

「たぶんね。涼太が楽しみにしてたからきっと行ってくれるよ」

 同じことを何回か繰り返しているうちに疲れてくる。

「ねえ、涼太、ポニーに乗るのとジェットコースターに乗るの以外でやりたいことあるの?」

 百合がせっかく聞いても涼太は黙ったままだった。バス停に着くと時刻を確かめる。

「すぐ来るみたい」

「お姉ちゃんがキャッチボールとかできたらいいのに」

 何もしていないのに百合はむせそうになる。

(キャッチボールって)

「ごめんね運動が苦手で」

「いいよ、女の子は苦手な子多いし」

 今日は出かけるので、いつものように防寒対策を優先していた。マフラー、コート、手袋も地味な色で、靴も黒のスニーカーだった。

 あんまりというか全然可愛くない。

 バスの中で涼太は楽しそうに窓の外を見ていた。

「次の新聞では、僕もランキング入りできるようにテスト頑張るね」

 ファンクラブの新聞は百合が作っている。


 実は、涼太は浅井の「ファン」なのだ。以前、高校の野球の試合を見に行ったのがきっかけだった。

「浅井さん絶対打って」という涼太の声は良く響いた。涼太は自分も野球をやっているから、つい熱が入ったんだと思う。

 そして涼太は、試合後「応援ありがとう」と言いに来た浅井のファンになってしまった。

 そう「ファン」なのだ。

 だから、ファンクラブの新聞がある。 

 ひらがなを多くして、コンビニでコピーすることもあった。

 手書きの方がかっこいいとかで原稿記事は手書き。

 野球で頑張った人、テストの点がよかった人も書いてあった。成績が良かった人の名前をのせるコーナーもあった。

 玲奈の母は小学校の教師なので「噂」を聞いていたらしく、面白がっていた。一体どんな噂なのか聞いても教えてもらえなかった。

 

 遊園地に着くと、ポニーの乗馬体験のために入り口で受付をする。そして入場料を払って中に入る。

(わあ、懐かしい)

 百合も弟と同じくらいの時に両親と来たことがある。涼太が走り出す。

(最初っから走るってどういうこと?!)

「涼太、待ってよ」

 リュックにお弁当と水筒が入っているので重い。

 何とか追いつくと、遊園地の中央まで来ていた。屋外にテーブルとイスがあって、売店もあった。

「涼太どこにいるの?」

 早くも見失ってしまう。

(迷子になってるうちに何かあったらどうしよう)

 周りを見渡していると、売店の入り口で涼太が男と話している。

 男の後ろ姿しか見えないので、何を話しているのかまでは分からない。

(変質者だったらどうしよう)

 息が切れていたが、走って二人の所へ駆け寄る。

「弟がご迷惑をおかけしてすみません」

 すぐに弟の手を掴む。

「お姉ちゃんって浅井さんと知り合いなの?」

 男をよく見ると短髪にグレーのセーターだった。見知った顔に驚く。

(なんで浅井君がここにいるの)

 驚きのあまり声が出せないでいると、浅井がなぜかしゃがみこむ。

「お姉さんは隣のクラスなんだよ」

 笑顔ではなかったけれど、優しそうな表情を浮かべる。

「香川さん」

「はい」

 涼太がぴっと気を付けの姿勢をとると、浅井が一瞬驚いてから大きな声で笑う。

「そっか、二人とも香川さんなんだよな。なんて呼べばいい?」

 百合の方を見上げてくる。困っていると弟も見てくる。

「お姉ちゃんは浅井さんの事なんて呼んでるの」

 ほとんど知らない相手でも同級生だった。

「浅井君」

「そうなんだ。でもさ、俺のことは涼太で、姉ちゃんが香川さんなのはちょっと納得いかないな」

 急に大人びた言い方をする。

「じゃあ呼び捨てでいいよ」

「それなら俺のことも下の名前でいいよ」

 兄弟の会話を黙って聞いていた浅井の声は少し笑っていた。

「そういわれても困るよ。浅井君は今日誰と来たの?誰か待ってるんじゃない?」

 何とか最初の驚きから立ち直って、浅井に話しかける。

「今日は俺一人で来たから大丈夫」

(え、何が大丈夫なの?)

「部活は?」

「今日は休み」

 立ち上がるとやっぱり背が高い。

「浅井さんは休みの日に自主練とかしないんですか?」

「涼太、今私が浅井君と話してるから待ってて」

 でもと言いつつ涼太が口を閉じる。

「昨日のことは気にしないで。せっかくの休みなんだから」

 何とか断ろうと思う。

「俺も遊園地に久しぶりに来たかったんだけど、百合は俺がいたら迷惑?」

 その言い方は呼び慣れているように自然だった。

(自分で言っておきながら、名前で呼ばれるとものすごく恥ずかしい。言われ慣れてないからかな)

「そんなことないんだけど」

「あんなにお弁当だっていっぱい作ってたんだから、三人で食べようよ」

 涼太が、百合のコートの袖を軽く引いた。

「弁当持って来たの?」

 浅井が驚いたように百合の顔を見る。

「普通の定番メニューしかないよ」

 小声で答えるしかなかった。

「荷物持つよ。涼太は何に乗りたいんだ」

 浅井が手を伸ばしてきたので断ろうとする。

「このくらい自分で持つよ」

「えー、姉ちゃん帰りのバス停から歩くんだよ」

 小学一年生の弟に心配されて情けなくなる。

(でも一日中遊園地にいたら、確かに疲れるよね)

「俺のことは荷物持ちだと思って、二人で何かに乗ったら」

 百合は諦めて、正直に話す。

「十一時にはポニーの乗馬体験に申し込んだの」

「あと二時間くらいあるけど」

 朝が早かったので着くのも早かった。

「あの、浅井さんキャッチボールしてもらえませんか」

 涼太は心なしか緊張していても、野球が好きな男の子らしく、はきはきと喋った。

「いいけど、ボール持ってきてる?」

「いえ、持ってきてません」

「私売店で売ってないか見てくる」

 百合が歩き出すと浅井がついてきて荷物を受け取る。

 

 売店は開いたばかりのようだった。入って正面に食べ物を渡すカウンター、左に券売機、右奥に少しおもちゃを置いていた。

 シールやキャラクターのハンカチが並んでいる。棚の隅に白いゴムボールが一つあった。

(これで大丈夫かな)

 脇から手が伸びてきて、浅井が手に取る。

「これでいいか」

 そう言うと一人で会計を済ませに行く。

「俺が言い出したんで、払います」

 浅井が振り返って、涼太の頭に手を置く。

「俺の方が先輩だし、気にすんなよ」

 さっきと同じように涼太に笑いかけた。

(浅井君て子供好きなのかな)

 思ったより優しそうだ。百合がぼうっとしている間に二人は外に出ていた。

「姉ちゃん、先行ってるからね」

 涼太は浅井と手をつないで歩いていく。


  園内はドーナツのような形をしていた。ドーナツの穴の所にメリーゴウランドと売店があって、ドーナツの所に乗り物が並んでいた。

 南側の入り口と反対側の北口には芝生やベンチがある。

 東側にポニーやうさぎがいる広場があった。芝生はサッカーのコートくらいあった。

 弟たちは準備体操をしているようだった。

それが終わると、キャッチボールが始まる。

(なんだか本当の兄弟みたい)

 百合は荷物が置いてあるベンチまで歩いていく。少しずつ、二人の距離が離れた。

(浅井君って決勝に行くくらいだから、野球上手なんだよね。どのくらい上手なのか見当もつかないけど)


 涼太は今年の夏も見に行くと宣言していた。百合は試合を一度しか見に行っていなかった。

 涼太と浅井がベンチまで戻って来る。

「姉ちゃん、お茶持ってきてたよね」

 すぐに水筒と紙コップを取り出す。

(心配性もたまには役に立つじゃない)

 いつも外出のすると、荷物が多すぎて家族に笑われていた。涼太を真ん中にして三人で座る。

「涼太は野球好きなのか」

「はい、俺浅井さんみたいになりたいんです」

「俺みたいに?」

 意外そうな言い方だ。キャッチボールをして嬉しそうにしてるんだから、気づきそうなものなのに。

「二年で投げてたの、浅井さんだけだったから」

 涼太は頬を赤くして、目を輝かせていた。

「姉ちゃんも来ればよかったのに」

「涼太は一人で来たのか?」

 お茶を飲んで紙コップを置くと、記憶を探る様に腕を組む。

「お父さんと二人で行きました」

「私は祖母のお見舞いに行ったりしてたから。うち、親が共働きだから家のことを手伝ったりしてるの」

「そっか」

浅井はうつむく。余計なことを言ったと思い気まずくなって涼太を見る。

「もっとお茶飲む?」

 ありがとうと言って二人ともお代わりをした。

 

 冬の日差しが差してきて、まぶしさに目を瞬く。

「今年は兵庫のおばさんの家に行きたいなあ」

「親戚?」

 浅井も景色を眺めたままだ。来園者も多くなってきた。

「母の妹なの。泊めてもらったりするんだけど」

「けど?」

「高三の夏に旅行なんてできるかな」

「大丈夫だよ、甲子園に試合見に行こう。浅井さんが投げるとこ見ようよ」

 小学生の気楽さに、高校生がそれぞれ苦笑する。

「まだ出るって決まってない」

「浅井さんなら絶対いけますよ」

 すっかり信じ切っている様子で言う。

 浅井はベンチの背もたれに寄りかかって、空を見上げる。涼太は座ったまま足をぶらぶらさせていた。

「そろそろポニーのいる広場まで行こうか」

 浅井の一言で涼太が先に歩き出す。座っていたせいで体が冷えていた。

 

 なぜか浅井は百合たちに優しい。涼太は浅井と手をつないでいた。

 冬なので人が少ないかと思ったが、乗馬を待っていた子供は十人以上いた。

「これが終わったらお昼ご飯食べよう」

 涼太に笑顔で言う。小柄なので前がよく見えないのか体を百合の方に傾けていた。

 すぐ後ろに涼太と同年代の女の子が走ってきた。百合は何となくその子を見ていると、ずいぶん遠くから祖父母らしき人が歩いてくる。

「早く来てよ」

 涼太が百合の手を取る。元気で礼儀正しいところもあったが、実は人見知りだ。それなのに、浅井に対しては遠慮する様子はなかった。

(変なやつ)

「そんなにあわてなくてもまだよ」

祖母がおっとりとした言い方をすると、女の子は頷く。

「ちゃんと並んでるから」

 女の子と目があったので、百合は思わずにっこりとする。涼太とは十歳も離れているので百合が世話をしたり、遊んでやることが多かった。

(女の子はかわいいなあ)

「いいな、さーやもママとパパと来たかったな」

「本当、いいわねえ。若いお母さんなら一日中遊んでもつかれないものね」

 浅井は口に手を当てていた。見知らぬ人とはいえこんな間違いをされるとは。

 百合は赤面を通り越して変な汗をかいてしまう。

「私は母親じゃなくて姉なんです」

「あらごめんなさい。お姉さん夫婦と甥っ子さんでお出かけしてたのね」

 さらにおかしな話になってしまって焦る。

「だから、涼太と私が兄弟なんです」

「申し訳なかったわ。つい、ご夫婦かと思って」

 浅井は耐え切れなくなって、腹を抱えて笑い始める。

「ねえ、列進んでるよ」

 女の子はポニーの方が気になるらしい。

 

 列が進む間も、浅井は笑い続けていた。おさまったかと思うと、百合と涼太をちらっと見てまた笑うのだった。

「そんなに笑わなくてもいいんじゃない」

 だんだん馬鹿にされているような気持になってくる。そんなに自分と夫婦に間違われるのがおかしいのか。

「でもさ、姉ちゃんと二人で出かけると、時々親子に間違われるよね」

 確かにそうだった。

(この服装がいけなかったのかも。全然十代の女の子らしくないから)

「ごめん、未成年に見えないとはよく言われるんだけど、父親に間違われたのは初めてだったから」

 笑いすぎて涙目になっていた。

「進路希望、もう提出した?」

 急に話題が変わって戸惑う。

「私は、まだ考え中」

「将来の事なんて全然考えてなかったんだ」

 浅井は前を向いたままで話す。

「でも大人になって自分が父親になるかもしれないって考えたら、面白くなってさ」

「なんで面白いの?そんなに私と夫婦に間違われたのが変だった?」

 自分でも分かるくらい声が不機嫌になる。

 浅井は百合を見て一瞬目を見開いた。

「百合は嫌だったかもしれないけど、俺は嬉しかったよ」

 表情は真剣で、お世辞や冗談を言っているようには見えなかった。

「浅井さんは姉ちゃんのこと好きなんですか?」

「涼太!」

 周りの人が驚いて百合を見た。もう少し遠まわしに言うとか、本人のいないところで聞いてほしい。

 百合が固まっていると涼太の順番になった。

 浅井が涼太を連れて馬に近寄る。係りの人にのせてもらう。百合はスマホで写真を撮った。記憶をたどっても浅井とは接点がない。

 本人は何事もなかったかのような顔をしていた。

 


 雨の日に移動するときだった。昨日の練習試合で引き分けたので、反省会とミーティングのため借りた教室に向かうところだった。

「痛、ごめんなさい」

「急いでるからって走ってんなよ。怪我でもしたらどうするんだ」

 先輩の言ってることは正論だけど、言い方ってもんがあるだろう。列が長いので、先輩の姿は見えなかった。

「本当にすみませんでした」

 謝っているのは女子のようだった。声しか聞こえないので、何年生かも分からない。

「何持ってるんだ」

「やめてください。これは弟に頼まれたんです」

「浅井選手ファンクラブだって。かがわりょうた君が書いてくれたってよ」

 思いがけず自分の名前が出てきて驚く。しかもファンクラブって何のことだ?

「弟は応援した自分の所まで、わざわざ来てくれた浅井君のファンになったんです。おかしいですか?」

「あいつは全然だめだよ。くだらないことばっかしやがって」

 先輩は強い口調で言う。

「私と弟はそう思いませんでした。一年生で代打ってすごいんじゃないですか?」

「それは練習試合だから出れたんだろう」

 隣の山口が小声で話しかけてくる。

「気にするな。先輩はお前が天狗になったら困るから、ああ言ってるだけだ」

「先輩こそひがんでる暇があったら、練習したらどうですか」

「お前一年だろう。口の利き方には気を付けろよ」

「弟が憧れている人をけなされて黙ってるくらいなら、殴られた方がましです」

 女子生徒が大声で言い返してくる。

「馬鹿じゃねえの。んなことしたら試合にでられなくなるだろう」

 先輩たちが歩き出して、俺達が通り過ぎる頃には、その女子生徒はいなくなっていた。 


 その後、部活でしばらくその話題があがった。いくらなんでも「ファンクラブ」はないだろう、いやどんな形でも注目されるなんてうらやましいとか。

 特に嫌がらせはなかったが、練習がきつくなったような気はした。


 二年になって、隣のクラスにずいぶん背が高い女子がいて、何気なくクラスメイトに聞いてみたら「香川百合」と言われた。

 どこかで聞いたことがあると思っていたが、ファンクラブの少年も「香川」だったことを思い出した。

 それ以来香川さんは気になる人だった。

 

 ポニーに乗った後は三人でお昼を食べることなった。

 おにぎりに、卵焼き、かぼちゃのサラダ、アスパラのベーコン巻。百合にキャラ弁を作るという発想はなかったし、二人分にしては多かった。

 椅子に座って食べている間も、涼太は浅井に話しかける。百合は黙って二人を見ていた。どうして浅井が休日に自分たちと遊園地にいるのか分からない。

「おいしいよ、食べないの?」

 浅井がお弁当を見ながら言う。

「私あんまりお腹が空いてなくて」

 それを聞いた浅井はそのまま口を閉ざす。食べ終えると、二人はまたキャッチボールを始めた。

 

 一月の日が暮れるのは早い。三時頃になると百合は帰りの心配をして園内の時計を見た。

 二人がお茶を飲んでしまったので、荷物は軽くなっていた。

「浅井君、今日は本当にありがとう」

「いや、俺の方こそ助かったよ」

 意外な言葉に百合は驚いてしまう。

「そんなに遊園地に来たかったの?」

また明るくて気持ちのいい笑い声が響く。

「ほんとに自分達がしたことが分かってないな」

(キャッチボールしかしてないけど) 

 百合には見当もつかなかった。

 閉園まで時間があったが、涼太が疲れすぎないうちに帰りたかった。

「送っていくよ。バスってどこまで乗るの?」

「そこまでしてもらったら悪いよ」

「本当ですか?市立図書館の方まで行くんです」

「本当に?俺も高砂町の方なんだ」

「じゃあ、歩いていけるくらい近いかも」

「そんなに近いかな?」

 楽しそうに会話していたが、百合は黙っていた。

 バスに乗ると、涼太は口を閉じて大人しく座る。車内は半分くらい埋まっていた。

「そういえば両親はどうしたの?」

 浅井の声は低く、涼太は眠そうに眼をこすってあくびをした。

「母はもともと出張で、父は急に法事で外出」

「俺が代打で出た試合って一年の時?でも、ピッチャーになったのは二年からなんだけど」

 急に話題が変わって、百合は何度か瞬きをする。

「だから、涼太のファン歴って意外と長いんだよね」

 隣で眠ってしまった顔は、満足そうだ。かっこいい選手とキャッチボールしたのだから。

「もしかして、何回か試合観に来てる?」

「うん。涼太は多いよ。私も少し行ったかな。」

「ファンクラブ新聞の会員って何人くらい?」

 不意打ちに、百合はただ固まって暗い車内でも分かるくらい赤くなった。

「ごめん、勝手にやって。なんで、その事知ってるの?誰に言われたの?」

「さあ、忘れた。今度見せてくれる?」

 どうすればいいのか、考えるしかなかった。会話が途切れた。

「俺は野球の事しか考えてなかったけど、百合はえらいよ。弟のためにやってるんだろう」

 百合は褒められたことにどう応えればいいか分からず、涼太を軽くゆする。

「涼太、夕飯何がいいかな」

「百合が作るの?」

 浅井は心配そうに首を傾げた。

「姉ちゃんが好きなやつでいいよ」

 眠そうな声で答えが返ってきた。

「なんか疲れちゃったから、簡単なのにしよう」

 独り言のつもりだった。いつも家に帰るころに、家事が待っていると思うと気が重くなった。

 視線を感じて目を上げると、浅井の表情が硬くなっていた、

「ごめんね。浅井君のことじゃなくて。家のこと私がやってるからちょっと辛くなっちゃって」

「あのさ、それ、ご両親は知ってるの?」

「なんのこと?」

 百合には分からなかった。浅井は考え込むように黙ってしまった。

 そしてバスを降りても浅井はついてきた。

「本当に大丈夫」

「家、知られるの嫌だから言ってる?」

 三人が歩いていくと、両親が家の方から歩いてくる。父が手を振った。

「急いで帰ってきたんだ」

「初めまして、浅井と言います」

 深々とお辞儀をすると、父もすぐに頭を下げる。

「初めてじゃないよ。君、野球部でピッチャーだろう」

 父は涼太と同じく野球が好きだった。

「ちょっといい?」

 浅井が百合を道の端に連れていく。

 不思議そうに見る両親と弟が目に入った。

「ちゃんと言わないと分からないだろう」

「何を言うの?」

 両親が心配そうにして、涼太も聞き耳を立てているようだった。

「俺なら百合にちゃんと言うから。弟のために新聞作って偉いよ。家事をやってくれて助かってる。いつもありがとうって」

 浅井は当然のことのように言う。

「何それ?」

「言わないと分からないことってあるよ。百合はつらいって言えばいいと思う」

 あくまでも言い方は優しかった。目元を手で覆って言葉をつづける。

「今日、父親に間違われたとき思ったんだ。大げさな言い方だけど、野球で負けても、人生終わるわけじゃないんだなって思ったんだ。プロになってもなれなくても、人生は続くんだなって」

 百合はただ次の言葉をじっと待った。

「百合達がいたから、気づけたんだ。ありがとう。だから俺も百合のために何かしたいんだ」

(私は好きで家族のためにやってるから気にしないで)

 それでも、その思いは声にならなかった。

「試合観に来て。百合のために勝つから」

「人のせいにしないでよ。自分のために勝ってよ」

 百合の声は震えていて、浅井はまた笑った。

「結局は自分のためだよ。もし勝ったら俺のこと篤史って呼んでくれる?」

百合は笑おうとして口の端を上げようとして失敗した。

「今年の夏は大変そう」

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