第4話「音がありません」

 学生たちと食事に行ったときのこと。あのときは確か大学の敷地から出た食堂で食べたはず。

 このお店、立地は大学の目の前で、私がU県に住んでいる間はほぼ毎日通っていた行きつけの店だった。料理を作るおじさんと配膳係のおばさんで回す小さな店で、テーブルは6人掛けが3つとか4つくらいだったかな。いや、自信ないな。あれだけ通ってた店なのに記憶からかなり消えている。これを書きながら驚いた。

 大学では私がここで働く前にも日本人が働いていて、数年ごとに入れ替わりで日本人教師が滞在していた。他にもフィリピン人や西洋人の英語の先生を見たことがある。

 そんな大学の目の前のお店だから向こうも外国人の教師に慣れたものだ。私のたどたどしいタイ語の注文もしっかり拾ってくれる素敵な店だった。


 そんなお店で1年生と食事をしたある日のこと。かなりうろ覚えだけど、4.5人くらいの学生がいた記憶がある。順々に料理が運ばれてきて私の注文したものも運ばれてきた。

 私が注文したもの、これは今でも覚えている。というか今回の話のメインキャラなわけだが。私はこの日「クィティアォ」を注文したのだが、これを読んでいる人には「なんじゃい、それは?」だろう。要は米粉の麺、つまりベトナムのフォーと同じもの。

 

 蛇足だが、私が思うにフォーより先にクィティアォが日本に紹介されていたとしたら、確実に名前を変えられていただろうなと思う。フォーは覚えやすいし発話しやすい。クィティアォは一回じゃ覚えられないだろう。「米ラーメン」なんてテキトーな名前が付けられたに違いない。

『白鯨』の主人公の親友「クィークェグ」もすぐ覚えられる人はあまりいないでしょ?

 あ、わかりにくいかしら?失敬。「クィ」という古くからの日本語にない音を頭で再生していたら浮かんでしまった。わかりにくいボケはやめよう。


 そんなこんなで私はおばちゃんに礼を言って箸とアルミ製の軽くて小さなレンゲを手にクィティアォを食べ始めた。この店のスープは豚骨と大根を煮て作っている透明なアッサリしたもので非常に気に入っていた。素材は同じでも豚骨ラーメンとは全然違って、非常に素朴で日本人ウケしそうな薄味だった記憶がある。

 もっとも、タイ人は大抵の場合ここにトウガラシやら酢やら砂糖(!)やらをダバダバ入れて各々で味付けをする。これはタイ全土、どこへ行っても皆やっていることだ。


「あぁん!?ウチの味が気にくわねぇのか!」


 などと中華包丁を持った店主にドヤされることもない。タイではこれが普通のこと。

 私自身はタイ人が「薄くない?」と聞いてくるそのままの味が好みだったわけだが。

 この日も味付けはせずに、細く白っぽい半透明の麺を満喫していた。麺の入ったお椀に近づけていた顔を持ち上げ一息つくと、正面に座っていた学生と目が合った。

 この子はこの学校で1番仲良くしてくれたIさん。女優の相武紗季さんを幼くしたような愛嬌があって可愛らしい女の子だった。この学年では日本語が1番よくできる子で、いつも積極的に話しかけてくれてかなり救われたのを今も感謝している。

 どういうわけかIさんは不思議そうな困ったような表情を浮かべている。私としてもなんなのかよくわからん。ふと視線を感じて周りを見たら周囲に座っていた学生たちも全員、私を見つめていた。何が起きているのかサッパリわからん。思わず箸を置いて聞いてしまった。


「え、どうしたの?」

「あの先生、どうして音がありませんか?」

「ん?」

「ラーメンを食べるとき、日本人は音があります。でも、先生は音がありません」


 なるほど。よく言われるラーメンを啜る音のことらしい。日本人は音を立てて食べると聞いていたから、それが本当なのか確認したかったようだ。

 実はこのとき、私は音を立てないように気をつけて食べていた。食事という楽しい時間に不快な音を立てては申し訳ない。この場では私が外国人なのだから「郷に入っては郷に従え」だ。

 

「えーっと、日本人じゃない人はラーメンの音が嫌いです。テレビが言っていました。ですから、私は静かに食べます」


 この説明にIさんは感心した様子で他の学生たちにタイ語で解説してくれる。他の学生も納得した様子で食事を再開した。

 本当に些細な出来事だが12年経った今でもよく覚えている出来事だ。

 前回の話でも触れたが、田舎の学生であるあの子たちにとって私は初めて出会う日本人だ。だから私を通して本やテレビで見聞きした情報の「答え合わせ」をしたかったのだと思う。


 この出来事をきっかけに、私はその後タイにいる間は人の視線を強く意識するようになった。田舎町で他に日本人を見たことがないに等しい人々の前で私が何か粗相をすれば日本と日本人全員の印象が悪くなる。

 日本国内で試合を勝ち抜く以外にも「日本代表」になり得るのだと実感した出来事だった。


「ラーメンを啜る」ということに対する面白噺ではあるけど、私にとっては一つ大きな意義のある出来事でもあった。


 ちなみに、Iさんに説明しているときは一文を短く簡単な語彙を使っていたが、これは日本語教師として最低限の技術だ。相手が理解できるレベルの表現で話す。ちゃんと通じたら学生のレベルを正確に把握できている。通じなかったら精進あるのみ。

 学生と一緒にいる間、日本語教師に気を抜いていい時間などないのだ。

 なお、後年、帰国して就職した先で学生から


「シンドー先生は時々『私』じゃなくて『俺』を使いますねwww」


 と言われてしまった。まだまだ精進しなければ。

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