第38話
「るんるん。みんなでお出かけ楽しみなのだー」
強化合宿。一体どんなことをするのやら不安や緊張で口数が少なくなっている僕たちの中で、明らかに場違いなテンションの者が一匹。
「む、どうしたのだ? お前たち。随分暗い顔をしているではないか。駄目だぞ、もっとテンション上げてかなくては! 元気、元気!」
元気なのは王子だけなんだよなあ。マジで旅行か何かと勘違いしてるんじゃないだろね。
「おい、聞いてた話と違うんだぞ。王子全然元気じゃねえか。サン、どうなってんだぞ」
「おかしいですね。確かに昨日の件で精神的にショックを受けている、と侍従長から聞いてたんですが……」
やいやい、とヨンがサンに詰め寄っている。その会話を横で聞きながら、僕は思っていた。
王子が昨日の事件に胸を痛めていたのは事実だ。あの後みんなと別れてそれぞれ部屋に戻った時、少しだけ王子と話をしたから分かる。自室に入る直前、王子は僕に言ったのだ。「スニャムを救うには、まず何から始めればいいだろうか」と。
だから一見元気そうだけど、心からそうだとは限らない。もしかしたら今も、無理に明るく振る舞っているかもしれな――。
「うーん。やっぱり山はいい。空気が美味しいのだー」
いや、全然無理とかしてないなこれ。普通に楽しんじゃってるなこれ。そして王子、まだ平地です。
ファン先生が運転する車を走らせること約一時間。
木。森。緑色。辺り一面、緑色。目的のにゃんとか山(正式名称が分からないのでこう呼ぶことにした)に到着した。
「さあ着いたぞ」
先生に促され、僕らは車から降りた。四方を山に囲まれた中に、これから一ヶ月僕らが泊まることになる宿がぽつんと存在していた。かなり大きな建物だ。
「中にはトレーニング向けの施設はもちろん、食堂やシャワールームなどの宿泊施設も充実している。軍の合宿でもよく利用しているんだ」
先生の説明を聞きながら、僕たちはロビーでそれぞれカードを受け取る。
「昨日何があったかは、陛下やホン様から聞いた。今日は一日ゆっくり休むといい。訓練は明日から開始する」
ああ、いよいよ始まってしまうんだ。明日から始まるだろう地獄の日々を想像し、僕は少し憂鬱になった。でも、今は与えられた自由時間を全力で楽しむことに集中しよう。どうせ明日からはのんびりできないはずだから、ゆっくりできる時にゆっくりしておかないとね。
とりあえずは部屋に行こう。渡されたカードと同じ番号の部屋に行けばいいんだよね。
「一匹一部屋なんて、なんだか贅沢なんだぞ」
「陛下とホン様のご厚意で貸し切りにしてもらったからな。今この宿の客は私たちしかいない」
ヨンがぽつりと呟いた言葉に先生が反応した。
すごい。急なことだったのに宿を貸し切りにできちゃうなんて。王族の権力をここぞとばかりに発揮しているなあ、と僕は感心した。
「じゃあ誰の目も気にすることなく思いっきり遊べるだすね!」
「ネエ、ここ上に展望台とか卓球場とかあるんだってヨ」
「マジか! じゃあ後でみんなで勝負するんだぞ!」
早速楽しんでいるみんなを横目に僕は部屋へ向かう。
元気だなあ。僕はまだあんなにはしゃげるほどの気力がないから羨ましい。まだ怪我も完治してないし、本調子じゃないのだ。これでは明日からの訓練に不安しかないよ。だからみんなみたいに遊ばないで、今日は一日部屋で大人しくして明日に備えとこう。
「吾輩の部屋はどこなのだ? まさか一般客と同じ部屋に泊まれとは言わないだろうな?」
不安そうにきょろきょろと辺りを見回す王子に先生が言った。
「ホン様のお部屋は最上階のVIPルームになりますのでご安心を」
「そっかぁ。それならよかったのだ」
その時僕はふと気づいた。そうか。宿を貸し切りにしたのって、きっと王子がいるからだ。一国の王子が一般客と同じように普通に寝泊まりしていたら、きっと大騒ぎになってしまうはず。これは王子側、一般にゃん側、両方への配慮といえるだろう。
「じゃ、吾輩は一匹で心置きなくゆっくりするのだ~」
鼻歌を歌いながら、王子は最上階へと行ってしまった。いいな、VIPルーム……。
残りのみんなは何をするんだろう? ついつい周りが気になってしまう僕です。
「トレーニング施設もあるんスよね? では自分は自主トレに行ってきます」
自由時間でもジョンはトレーニングをするみたい。彼の並外れた体力に驚きつつも、そのストイックな姿勢には尊敬してしまう。
「私も明日からの訓練に備えて少し体力づくりをしておこうと思います。ソンさんは?」
「僕は、今日は部屋でゆっくりしようかなって。まだ傷も完全に治ってないし……」
ははは、と笑ってみせると、サンに心配そうな顔をされた。
「え、大丈夫なんですか? そんな状態で合宿に参加して」
「まあ王子の頼みだし仕方ないかなあって。でも無理はしないようにするからさ、あんまり心配しなくて大丈夫だよー」
「ふむ……」
納得したのかしていないのかよく分からない曖昧な反応をサンは見せる。また何か言われるのかな、と少しだけドキドキしたけれど、彼は静かに頷いた後で一言。
「分かりました。ではまた後ほど」
「あ……うん」
あっさりと返されて拍子抜けしてしまった。また「無理するな」とかはっきり注意されるのかと思ったからびっくりしたけれど、素直に納得してくれてほっとしたかも。
そうしてサンと別れて部屋に入った僕は、まずは窓の向こうの景色を眺めた。といってもここから見えるのは緑の木だけ。本当に山の中……いや、山の上にいるんだなあ、と実感する。あとは、目線を少し下に向けると湖らしきものが見えた。
「へえ……。こんなところに湖なんてあるんだ」
陽の光に照らされてキラキラと輝く水面は、まるで宝石のよう。
水に触れるのは冷たくて怖くて大っ嫌いだけど、こうして遠くから眺める分には綺麗に感じるんだから自然って不思議だな。
それから少しの間、部屋の中を探索していた僕だったが、一通り見終わった後でふと思った。せっかく遠出しているのに、何もしないで部屋にいるだけってなんかもったいなくない? 出不精な王子のお世話に付きっきりだと必然的に僕もあまり王宮の外に出なくなってしまうので、こんな風にお出かけする機会なんて滅多にない。どうせなら宿の中を散策した方が面白そうじゃないか。
そうと決めたら僕は部屋を出た。一度ロビーへ戻りフロアマップを確認する。
ふむふむ。外観から大きそうな宿だと思っていたけれど、マップを見たら本当にそれなりに広い宿だということが分かった。もちろん王宮には劣るけれどね。
そういえばさっきヨンたちが、展望台がどうとか言ってたな。気になるから僕も行ってみようかな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます