第33話

 やっと帰ってきた……のはいいのだが。


「た、ただいま戻りましたー……」


 守衛に見つからないように、正門ではなく裏口から城内に入った僕ら。なるべく音を立てないようにそーっとそーっと、気を付けて入ったつもりだった、のに……。


「おやおや、こんな時間までどこにお出かけになっていたのです? 随分遅いお帰りですこと」


 裏口から城の中へ入った瞬間、侍従長に見つかってしまった。

 他にゃんの粗探し大好きで嫌味っぽいところのある彼女。若い使用にゃんの中にはすぐに辞めてしまう者も多く、その原因の一つでもある。典型的なお局様。

 そんな彼女に見つかってしまったとあっては非常にまずい。言い訳だって通用しないだろう。眼鏡の奥で彼女の目は光っていた。


「それに随分ボロボロだし、ひどい臭い。まぁーったく信じられませんわ」


 黙って俯く僕らなんてお構いなしに言いたい放題の彼女。大袈裟に鼻をつまんで頭を振ってみたりなんてしている。


「何か言ったらどうなんです? そうやってずっと黙っているつもりですか」


 一言も話せずにいる僕らに痺れを切らしたのか、侍従長の口調がより強いものになった。


「ご、ごめんなさい……」


 僕が小さな声で謝ると、みんなもそれに続いて頭を下げた。

 ていうか、どうして分かったんだろう。彼女は僕らが裏口から入ってくることを知っていたかのように、待ち構えていたのだ。


「声が小さいですが……まぁいいでしょう。反省していらっしゃるようですし」

「あの……何で分かったのだ?」


 王子が聞く。

 すると侍従長は、やれやれ、とこれまた大袈裟に溜息を吐いてみせた後で言った。


「私を誰だとお思いで? こそこそとバレないように動いていたとしても、気配で全て分かります。実はユンくんのアルバイト先からこちらに連絡がありまして。『今日は午後からの出勤のはずなのに、いつまで経っても彼の姿が見えない』と。それで何かあると思い、数時間前から注意深く裏口の方を観察していたら……見事、泥だらけで帰ってきたではないですか! それに他のみなさんまでお揃いで。嫌だわ、一体何をしでかしたのでしょう?」


 じとり、と彼女は僕たちを思いきり睨み付ける。

 す、数時間前から目つけてたの!? こりゃ逃げられないわけだ。こうなったら彼女が納得する理由を全て話すまで、部屋に帰してはもらえないだろう。とほほ。本当は、あったことを正直に話した方が言い訳を考える手間が省けて楽なんだろうけれど、それもそれで後々面倒くさいことになるのは目に見えているし……。


「ま、理由は何だっていいでしょう。とにかく国王陛下にご報告しなくては。……と、まずは先にシャワーを浴びてきた方がよろしいですね。そんな不潔な臭いと姿で陛下の前に出られては、ひっじょーうに不愉快ですから」

「えええ、シャワー!?」


 僕たちにゃんだふる星人、水とかお湯に濡れるの大嫌い。だからシャワーの時間は苦痛でしかない。

 僕らみんな、一斉に不満の声を上げてしまったら、また侍従長に睨まれた。


「何か文句でも? 口答えする元気があるくらいなら…………さっさと臭いを落としてきなさい!」

「ひええええええっ!」


 侍従長の気迫に押されて、僕らは慌ててシャワールームへと駆け込んだ。



「ふざっけんなよ、あのクソババア!」


 シャワールームにて、ヨンが叫んだ。場所が場所なだけあって、まあ声の響くこと。耳が痛くなっちゃうよね。


「ユンさもユンさだすよ! 何でバイトサボったんだすか? おいらが聞いたら、今日は一日暇だって言ってたじゃん!」

「イヤァ……午後からあるの忘れてたネ……。マジでソーリー。ミーのせいだよネ、本当にごめんヨ……」


 ミンに責められ、たじたじのユン。声も小さくなっているし、今にも泣きそうな顔になっている。その姿がちょっと可哀想に思った僕は「まあまあ」と口を挟んだ。


「別にユン一匹のせいじゃないよ。遅かれ早かれバレちゃってたと思うし、それが早かっただけのことなんだから」

「……吾輩が散歩に行きたいなんて言ったからいけないのだ」


 王子が誰に言うでもなく呟いた。

 珍しく責任感じているのだろうか。元々は優しいお方だから、自分のふとした思いつきのせいでみんなが怒られてしまった、とか考えているのかな。


「それも違いますよ。天気のいい日にお出かけしたくなるのは当然です。そもそも、誰が悪いとかないですよ。誰も悪くありませんから」


 王子の不安を取り除きたくて、僕はすぐに彼の言葉を訂正する。が、ヨンが余計な口を挟んできたのだ。


「そうだ、そのとおりなんだぞ! いつも王宮に引き籠ってるくせに、珍しく外に出たからいけないんだ。これに懲りたら、馬鹿王子は一生王宮で大人しくしてろ!」

「言いすぎ! 何様ですか、貴方は」


 ペシッとサンがヨンの頭を軽く叩いた。


「いてっ。お前何すんだぞ! 頭殴ったら馬鹿になんだろが!」

「既に馬鹿なんですから、別にいいじゃないですか。特に影響ないでしょう?」

「てめえ! 許さないんだぞ!」


 いや、風呂場で喧嘩しないでよ。「足元滑りますよ」というジョンの冷静な指摘も、サンとヨンの耳には届いていないみたいだし。……もういいや。ほっとこ。



 僕たちがシャワーを浴び終えて出てくると、シャワールームのすぐ近くの廊下に、先にシャワーを済ませていたカンさんが立っていた。僕らを見ると、ぺこりと頭を下げてきた。


「すまない。我だけ先にシャワーさせてもらって……」

「いいんですよ。女性なんですから」


 僕が言うと「え?」とカンさんが首を傾げてきた。


「いや、我は男だが……?」

「はっ……!?」


 衝撃で固まる僕。よく見たら僕だけじゃなくて、王子とヨン以外は同じように固まっていた。

 それを見てゲラゲラ笑い出すヨン。


「は……ぎゃははははっ! また間違えられてやんの! カンだけシャワー別っていうから何となくそうじゃないかと思ってたけど……あははっ。マジでウケるー!」

「あ、貴方、気付いてたなら教えてくださいよ! ソンさんが無駄な気遣いしなくて済んだじゃないですか!」


 ぐさっ。今のサンの言葉にとどめを刺された気がする。無駄って言われたよ、えーん。


「まあ言われてみれば、女性にしてはハスキーな声だと思ったっスけど……」


 ジョンが何かぶつぶつ言っている。

 すると、ミンがヨンとカンさんを睨んで言った。


「謝れ。たった今、一匹のいたいけな少年の恋が儚く散っただす。この気持ち、どうしてくれるだすか。謝れ」


 この言葉で何となく察する。ミン、もしかしてカンさんに惚れてたんだね……。


「はぁ、何で? 勝手に勘違いして勝手に好きんなったのお前じゃん。俺たちが謝る理由ないんだぞ」

「……すまない。どうしたらいいかは分からないんだが、とりあえず我が嫌な思いをさせてしまったみたいだな。本当にごめんなさい」

「カンちゃん、謝んなくていいんだぞ。こいつが馬鹿なだけなんだから」


 謝罪を拒否するヨンと、申し訳なさそうに頭を下げるカンさん。二匹の反応は見事なまでに対照的だった。まあ僕的にも、ミンが一方的にショック受けているだけなので、ヨンとカンさんが謝る理由はないんじゃないかっていう気はしているのだが。


「馬鹿とは何だすか! 大体『また』っていうことは、今までも間違えられたことがあるってことだすよね? もし間違えられるのが嫌なら、もうちょっと男だって分かるような格好をした方がいいだすよ。そしたらおいらみたいに可哀想な思いをするにゃんが減ると思うだすから」

「お前面倒くせーな」


 長々とお気持ち表明するミンに対して、ヨンがばっさり言い放った。が、それによってさらにミンは傷ついたような表情になってしまう。カンさんはおろおろしていた。

 それは別として、僕には気になることがあった。ヨンはともかく、王子もあまり驚いていないように見えたのだが、もしかして王子も知っていたのだろうか。


「王子はあんまり驚いてないんですね?」


 僕が聞くと王子が答える。


「うん? あぁ……あんまり男とか女とか気にしてなかったのだ。カンちゃんはカンちゃんとしてしか見てなかったからな。それに性別が何であれ、カンちゃんはカンちゃんであるのに変わりないだろう?」


 ほぉぉう。なんだかすごく模範的な回答に、僕は感心して溜息が漏れた。

 あれ? 王子、普通にカンさんのことカン「ちゃん」って呼んでたよね? あんまりナチュラルに呼んでたものだから流しそうになっちゃったけれど。え、あれ? 今日が初対面じゃないってこと?


「ちょっといいですか。王子、カンさんのこと知ってたんですか? 今、普通にちゃん付けしてましたよね?」


 僕が恐る恐る尋ねると、王子はあっさり頷いた。


「うむ。でも頻繁に会ってないし、そんなに話したこともないがな。時々見かけたらお話する程度なのだ」


 へえー。じゃあ王宮で働いているって本当なんだ。僕が見たことないだけだったんだ。

 確かに王子とカンさんが初対面だったら、王子めちゃくちゃ警戒しているはずだもんな。僕の後ろに隠れてカンさんを睨みつけていそうだし、今みたいに平然と接してなさそうだもんなぁ。

 なるほど、と納得していたら、向こうの方から侍従長がツカツカと歩いてくるのが見えた。


「うげっ、ババア」


 ヨンがあからさまに顔を歪めて呟いた。

 侍従長は僕たちの元までやってくると、じろりと僕らを見回してから頷いた。


「ふん、少しはましになったようですね。さあ、国王陛下がお待ちですよ。今日あったこと、洗いざらい正直に話してもらいますからね」


 どうしよう、逃げられない。とりあえずさっき適当に言い訳は考えたんだけど、国王様や側近の方々の圧に負けて上手く誤魔化せないかもしれないし。はぁ。別に悪いことしたわけじゃないのに、何でこんなに後ろめたい気分にならなくちゃいけないんだろう……。

 僕たちは重い足取りで国王様が待つという王座の間に向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る