第29話

「全く、甘いですね。助けるって言ったって、具体的な案は何も考えていないでしょうに。口だけは立派なんですね。ねぇ、王子…………王子?」


 サンが声をかけるも、王子からの返答はない。どうしたのかと思ったら、なんと王子は突然その場にうずくまってしまったのだ。


「え!? お、王子? どうしたんですか、どこか怪我でも?」


 驚きから僕は思わず叫んでしまった。どうしよう。もしかして、奴らに殴られた傷が今になって痛くなってしまったとか? 心配で、不安で、悪い方にばかり色々と考えてしまう。

 しかしそんな僕の心配をよそに、王子の口から出た言葉は何とも拍子抜けするものだった。


「お、お腹空いたのだ……」


 ドテッ、と僕は倒れそうになってしまった。何だ、お腹が空いていただけか。いや、まあ空腹も十分大変なことではあるんだけどもさ。怪我じゃなくてよかったっていうか。


「さっきの威勢が嘘みたいだす……」

「ちょっとかっこいいこと言ってたと思ったのに、台無しなんだぞ」


 ミンとヨンが呆れたような声で言った。でも仕方ない。王子は今日、きっと朝食以降は何も口にしていないはずなのだから。むしろ普段のわがままぶりを考えれば、ここまでよく耐えた方だとすら思う。あと実は、僕も王子のことを言えないくらいにお腹が空いていたりする。僕も朝食以降はまともなご飯を食べてなかったので、油断したらさっきの王子みたいに……いや、さっきの王子以上に大きな音が鳴ってしまうかもしれない。気を付けないと。


「もう駄目……。吾輩は今日、死ぬのかもしれない……」


 はぁ、はぁ、と浅い呼吸を繰り返しながら、そんなことを呟く王子。それを聞いた僕は居ても立っても居られなくなって、再び大きな声で叫んでしまった。


「ちょっと! 何、縁起でもないこと言ってるんですか!?」

「だって……もう我慢できないのだ~……」


 う、ううん、やっぱりか。だけどこんなところじゃ、すぐに用意できるような食べ物なんて置いてあるわけないしなぁ。


「……誰か食べ物持ってないのか?」


 ぼそっと呟くような王子の問いかけ。しかし誰も反応しない。いや、できない。まあ当然であるが。だがそれによってさらに王子の機嫌が悪化してきた。ブスーッと頬を膨らませ、小さい子どものようにバタバタと地団太を踏み始めたのだ。


「やだやだ、もう無理なのだ! このままでは死んでしまう! お前たち、何でもいいから早く食べ物用意するのだー!」


 ああ、始まったよ。わがままモードに入ってしまったよ。今周りにいるのが僕たちだけというのも王子のわがままぶりに拍車をかけているのかもしれないが、この状態になってしまった王子の相手をするというのは非常に面倒くさい。僕なんかは慣れているからいいものの、カンさんあたりはポカンとした目で王子を見ている。


「で、殿下……? 大丈夫なんですか? 幼児退行か……?」


 幼児退行。確かに言われてみればしっくりくる表現だが、そのワードチョイスに僕は思わず吹き出してしまいそうになった。


「何だぞ、王子。こんなところに食べ物なんかないって、さっき痛いほど理解したはずだろ? 無茶なこと言うんじゃないんだぞ!」


 ヨンが強い口調で非難すると、さらに王子は不満そうに反発する。


「うるさいのだ! ヨン、お前シェフのくせに食べ物も用意できないのなら、もうクビにするからな!」


 無茶苦茶である。ヨンも呆れたように頭を抱えて呟いた。


「もうめちゃくちゃなんだぞ。てかまだそんなに叫ぶ元気あるなら、そんなすぐには死なないだろ……」

「むっ。何だ、文句でもあるのか?」

「いーえ。別にぃ」


 強い。こんな状況の中で、わがままモードの王子を前にして、こんなに普段と変わらない態度で接することができるなんて、ヨンは強い。そしてすごい。

 そんなヨンの態度が気に食わなかったのか、王子は今日一番といえるほどのしかめっ面になってしまった。そして僕らに背を向けると、パタパタとしっぽを揺らして不機嫌アピールを始める。


「ふん、役立たずどもめ。もういいのだ。食べ物はもういいから、早く家に帰らせるのだ」

「家、ですか……」

「何だ、それも無理なのか?」


 僕が曖昧な返しをしてしまったせいで、王子がこちらに鋭い眼差しを向けてくる。僕だって無理だと決めつけたいわけではないが、如何いかんせん辺りはすっかり真っ暗なのだ。スニャムに来る時もかなり複雑な道を長い時間をかけて通ってきたというのに、暗闇の中、全く同じルートを通ることはできるのか。果たして無事に王宮に着くことはできるのか。それを考えると、下手に動かない方がいいんじゃないかと思ってしまったのだ。

 すると王子は大きな溜息を吐いた。


「どっ、どうされましたか?」

 恐る恐る僕が聞くと、王子が答える。


「いや、何だ。その……気になっていたのだが、助けに来たのはお前たちだけなのか? 他の者は迎えには来ないのか? 吾輩これでも王子なのだが、仮にも一国の王子が攫われたとあっては、今頃城では騒ぎになっててもおかしくないと思ってな……」


 ええ、そうですね。だから騒ぎになるのを恐れたので、王宮の者には何も伝えておりません! スニャムに来たことも、一切伝えておりません! 僕たちの中だけで決めて助けに来ちゃいました。なので王宮に帰ったら、お叱りコース確定です! ――なんて正直に言えるわけもないので、僕は静かに王子から目を逸らす。

 王子は大人に対する不信感が強い。それは確かだといえるのだが、意外と(意外じゃないかもしれないが)寂しがり屋なところもあるのだ。だからもし王宮の者みんな、国王様さえもが王子の誘拐の件を知らなかったと聞いたら、きっと王子はすごく悲しむだろう。そう思ったら馬鹿正直に話すのをためらってしまった。

 でも僕が気を遣ったところで、他の誰かが話してしまったら意味はないんだけどね。


「ああ。それでしたら恐らく来ませんよ。私たち以外の者には、この件は伝わっていませんから。あまり大事おおごとにしては国に混乱を招いてしまう恐れがあると思いましたので、勝手ながら私たちだけで助けに参りました」


 サンがあっさりと答えてしまったのだ。彼にとってはまるでただの業務連絡であるかのようにあまりにも平然と告げたものだから、聞いた王子本にゃんも少し驚き……それから、悲しそうな顔になった。


「そうか、知らないのか。誰も助けに来なかったから、吾輩、見捨てられたのかと思ったのだが……そもそも誰も知らなかったのだな。そんなに吾輩、関心持たれてないのかな……」


 あああ。思ったとおりだ。僕の心配は当たってしまった。王子は俯くと、それからじっと黙ってしまった。耳もしっぽもだらんと垂れてしまって明らかに落ち込んでいる。

 すると、そんな王子の様子を見たサンは、しまったと言うように目を見開いた。そして慌てて付け加える。


「あ、いえ! そうではありません、決して! そうじゃなくて、これは王子のためなんですよ」

「吾輩のため……?」

「そうです。もしも誘拐の件が世間に知られたりしたら、後々困るのは王子なんですよ? 好奇の目に晒されたりマスコミの餌になったりして、変に注目を集めることになると思うんです。そういうの、王子は苦手でしょう? ですからあまり騒ぎにならないように、と思いまして……。私たちなりの気遣いです」

「ふぅん、そうなのか。……本当か?」


 サンが理由を説明しても、どうやら王子はまだ信じてくれてないようだ。こてんと頭を傾けて、疑いの目を向けてくる。それに対して、今度はユンが答える。


「本当デスヨー! ミーたちミンナ、王子サマのこと助けたくて来たんデスカラ。多分王子サマが思ってるよりずーっと、王子サマはミンナに大事にされてマスヨ!」

「……嬉しいこと言ってくれるではないか。ま、だからといって帰り方が分かるわけではないのだがな」


 うっ。結局そこに戻ってくるんですね。

 溜息をついて遠くを見つめる王子の姿を見たら、僕は何だかいたたまれない気持ちになった。帰り方が分かれば……というか帰り道が分かれば、僕だって今すぐ帰りたいよ。みんなだって、きっとそうでしょう?


「カンさん。私たちをここまで案内してくれたのは貴方ですよね。帰り道は案内してもらえないのでしょうか?」


 サンが問いかけると、カンさんは申し訳なさそうに頭を下げた。


「すまない。ちょっと灯りが少なくて、周りがよく見えないんだ。だから無事に王宮まで案内できるか自信がなくて……」


 しゅんとして謝る彼女を見たら、こちらの方が申し訳なくなってくる。そもそも僕らはここまで何かとカンさんに頼りっぱなしだったわけなのに、帰る時までカンさんに頼ろうとするだけでいいのだろうか。少しは自分たちでも帰る方法を考えないと駄目だよね。


「いえ、あの、謝らないでください。僕たちもカンさんを当てにしすぎてましたので……」


 僕が慰めの言葉をかけた時だった。

 少し遠くの方からだろうか、複数の足音がこちらに向かってくる気配がした。

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