第10話

「遅い!」


 部屋に着くなり王子から放たれた一言はこれだった。


「全く。ソンなら呼べば五秒以内には来てくれるというのに……」

「だって俺、ソンくんじゃないんだぞ」

「言い訳しないのだ! お前たち、ソンの代わりをするというのなら、それ相応の働きをしてみせるのだ!」


 はあ……。生まれた時からお世話係として生きてきた方と同じレベルで仕事しろだなんて、無茶というもの。だがここで下手なことを言うとさらに王子の機嫌を損ねてしまいそうなので、とりあえずさっさと言うことを聞いておきましょう。


「それで、ご要望は何ですか?」

「そろそろ朝ご飯の時間なのだ、早く食事の用意をするのだ」


 なるほど。私は隣のヨンさんをちらりと見た。


「はい、仕事ですよ」

「あー、もう。分かってるんだぞ。ちくしょう。覚えてろよ、サン。お前だけは絶対許さないんだぞ!」


 なんだか悪役の捨て台詞みたいだ。そしてそのままヨンさんはキッチンに走っていった。

 はあ、やれやれ。幼児を二匹相手にしているみたいで疲れますよ、全く。まあとりあえず朝食作りはヨンさんの仕事なので、私は一度自室に戻りますか。


「王子。用が済んだようでしたら、私は一旦これで失礼したいのですが」

「待つのだ、何を勝手に休もうとしている? サン、お前は飲み物を持ってこい。吾輩、喉が渇いたのだ」

「……仰せのままに」



「全く、何様のつもりなんだぞ。偉そうに!」

「何様かと問われれば王子様ですし、偉そうも何も実際に偉いです」

「そういうことが聞きたいわけじゃないんだぞ!」


 食堂にて王子が朝食を取っているのを見守る形で、私とヨンさんは王子の背後に控えている。そんな中で、私の左隣にいるヨンさんが小声で不満を漏らした。


「分かりますよ、愚痴を言いたくなる気持ちも。ですが相手は王族、それにこれも私たちに与えられた役目なのですから少しは辛抱しましょう」

「けっ、真面目なんだぞ」


 二匹でそんなやり取りをしていた時だった。平然と食事をしていたはずの王子が、突然カランとカトラリーを落としたのだ。そしてそのままゆっくりと前に倒れる。


「え?」


 何が起こったのか分からなかった。まさか毒物でも入っていたのかと思いヨンさんを見たが、彼も何が何だか分からないと言うように困惑した表情をしていた。こんなに短い期間で二回も王子の倒れたところを見ているが、こういうのはいつまで経っても慣れるわけがない。とりあえず落ち着かないと、と思っても、心臓はまだバクバクしている。というのも今回は前回と違って前触れなんてなかったから。


「病院に連れて行きましょう……」


 やっとの思いでそれだけ告げる。ヨンさんもこくりと頷いた。



「え、まだ来てないんですか?」


 病院に着いてすぐ、王子を担当医であるミンさんの元へ連れて行きたかったのだが、すれ違った別の医師の話によるとミンさんはまだ病院には来ていないとのことだった。おおよそ出勤時間になってなかったのだろうと考えられるが、それ以上に王子の容態の方が大事なので焦りが大きくなる。王子を診るのは、彼が信頼している限られた医師でないと許されない。ミンさんはそのうちの一匹で担当を任されるくらいの方。ほぼ彼でないと意味がないと言ってもいいようなものなのに。


「何やってるんだぞ、あのポンコツ! ヤブ医者って呼ばれたいのか!?」

「やめなさい。向こうには向こうの時間というのがあるでしょう」

「じゃあどうするんだぞ!?」

「私たちから訪ねるしかありませんよ。まだ家にいるはずですし、諦めてはいけません。行きますよ!」

「もー、二度手間!」


 面倒くさそうにヨンさんが溜息をつく。全く、仕方ありませんね。


「嫌ならもう貴方は王宮に戻っても構いませんよ。別に私一匹でも大丈夫ですし」


 ヨンさんがあまりに嫌そうに顔をしかめたので無理に引っ張るのも可哀想だと思い、ここで帰ってもいいと提案したのだが……。


「え! えー……いや、ここまで来たなら今更って感じだし、最後まで付き合ってやってもいいんだぞ。それに王宮戻るよりミンの家に行く方が近いし……」

「ふむ……。結局何だかんだで貴方も王子のことが心配なんですね。素直じゃないんですから」

「お、お前に言われたくないんだぞ」


 そうと決まれば、向かう先はただ一つ。私たちはミンさんの家まで駆け出した。



 玄関のチャイムを鳴らすと、中から出てきたのはミンさんのお母様だった。早朝に誰かが訪ねてくることが珍しいのか、私たちを見る目は驚いているように見えた。だが、私がおぶっている王子の姿に気づくと、その目は真剣なものに変わる。


「何かあったの? 随分慌てているように見えるけれど」

「早朝からすみません。あの、ミンさんはまだこちらにいらっしゃいますか? ホン王子が倒れたんです!」

「ミン? ええ、まだいるわよ。ちょっと待ってちょうだい……ミーン、お客さーん。あんたに用があるってー」


 そして少しした後、ミンさんが二階から下りてきた。


「おいらにお客さんって一体誰だすかーって、え……?」


 どうしたというのでしょう。ミンさんは私たちの姿を見ると一瞬固まってしまった。それは急に訪ねてきた驚きによるものというより、まるでまずいものでも見てしまったかのような驚きに近い気がした。


「ミン、どうしたの?」

「……あっ。いや、何でもないだす。母ちゃん、後は大丈夫だすからおいらたちだけにしてほしいだす」

「あらそう、分かったわ」


 ミンさんはお母様を部屋に戻るよう促すと、くるりと私たちに向き合った。その顔はどこか強張っている気がする。それから彼は低い声で私たちに問いかけた。


「何しに来たんだすか……。どうしてここが……?」


 どうして、ですって? 王子の姿が目に入ってないというのでしょうか。


「王子が倒れたから、担当医である貴方を訪ねてきたに決まっているでしょう? 他に理由なんてあるとでも? いいから早く王子を助けてください!」

「早く何とかするんだぞ! ポンコツに成り下がりたいのか!?」

「え、え? あ、そういうことだすか? それなら任せるだすよ。何だ、おいらてっきり……」


 てっきり? てっきりなんだというのでしょう。まさかミンさん、何か隠している……?


「何なんだぞ、お前。なんか怪しいな。俺たちに隠していることでもあるのか?」


 おや、ヨンさんも疑っているようです。まあ、そうですよね。だってミンさん、さっきから目が泳いでいる。


「ええ!? いや、そ、そんなこと、ないだす、よ。そ、れより、王子の容態、確認するだ、す」


 いや、その喋り方は明らかに何かあるでしょう。誤魔化せてないんですよ、全く。

 もう少しミンさんに問い詰めようと口を開いた時、ドタン、と誰かが落ちたような音がした。音の方に目を向けてみれば、そこにいたのは昨日行方が分からなくなったはずのソンさんだった。


「ソンさん? どうしてここに……?」

「いたた……え、えーっと、どうも……?」

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