第7話
「ここがソンさの部屋だす」
ミンに案内されたのは、二階の角部屋だった。階段を上がってすぐ手前がミンの部屋、その隣が僕の部屋になるらしい。聞けば元々は彼のお兄さんの部屋だったようだが、今は家を出ているので空いているのだとか。
「ありがとう。あの……お兄さんって今何してるの? 答えたくなかったら無理しなくてもいいんだけど」
「兄ちゃんは今は地方の病院で働いてるだす。おいらも今は父ちゃんの手伝いみたいな感じだすけど、いずれは自分一匹でもやっていけるようになりたいだすね」
「そうなんだ。すごいね……」
ミンも、ミンのお兄さんも。仕事に対する姿勢も、将来を見据えていることも。ただ漠然と、これからも王子のお世話係としてやっていくんだろうな、と思っている僕とは大違いだ。
はっ。駄目だ、暗くなってしまった。こんなにネガティブだから、せっかく王子と距離を置いてもストレス溜まって禿げが悪化するんだな、きっと。僕は気持ちを切り替えるようにふるふると頭を振った。
「夕飯になったら母ちゃんが呼びに来るから、それまでゆっくりしてるだす」
じゃあまた、そう言ってミンは自室へ入ってしまった。そうして僕は一匹になる。とりあえず持ってきた荷物の整理でもしよう。
「はあ……本当に出てきちゃったけど、王子大丈夫かな。やっぱり何か一言でも言うべきだったかな。はあ……」
ん? いや、何で溜息ついてるの。ポジティブ、ポジティブ。王子のことは一旦忘れて自分のことだけ考えよう。……ポジティブってどうやったらなれるの? 駄目だ、一匹でいたらセンシティブな気持ちになってしまう。ミンのところに行こうかな。
するとその時、ピンポーンと玄関の方から音がした。来客だろうか。ミンの部屋に行きたかったが、もしかしたら王子に居場所がバレた可能性もあるので、僕は自室で大人しくすることにした。だが、気のせいだろうか。足音が徐々に大きくなってきている気がする。え、こっち来てる? そう思っていたら、僕の部屋の扉が勢いよく開いた。
「ヤホー! ミン、遊びに来たヨー!」
「え? え!? 誰!?」
王子ではなかった。茶トラのにゃんが目の前に立っていた。
何? 何が起きているの? ミンの友達? ミンの部屋はこっちじゃないんですが?
茶トラの彼も僕に気づくと、その大きな目をまん丸に見開いた。
「アレ? いつから毛並みが銀色に? 知らなかったヨ、魔法カイ?」
「いや、あの、魔法ではなくて……。そもそも僕はミンじゃなく……」
そこへ、恐らく騒ぎを聞きつけたであろうミンがやってきた。
「ユン! おいらはこっちだす。そしておいらの部屋は反対だす」
「ワオ、ミンじゃないカ! いつの間に部屋移動したんダイ? 知らなかったヨ、驚いたネ」
「部屋はずっと変わってないだす。単にユンさが間違えただけだす。来る度兄ちゃんの部屋開けるの、そろそろやめてほしいだす。わざとだすか?」
「ソーリーソーリー。でもわざとではないヨ。なんか癖でネ、勢い余って奥の部屋から開けたくなるのサ」
何? 誰? 誰なんだ、この異様にテンションの高いにゃんは。
「ユンさ、一回静かにするだす。ソンさが怖がっているだす」
「ソンサ?」
茶トラのにゃんがじっと僕を見つめてきた。怖いのに、彼の目力がすごすぎて逸らすことができない。
「え、えーっと……は、初めまして? あの、二匹は友達か何かですか?」
「ソンサ……ハジメマシテ……あ! あ、あ!」
突然、茶トラのにゃんが大声を出した。
今度は何? 僕まずいことでも言っちゃった?
「初めましてじゃないヨ、王宮で会ってるネ! ユー、王子サマのお世話係のソンクンでしょ。ほら、ミーだヨ。王子サマのトリマーやってるユンだヨ。たまにしか会わないけどサ、覚えてナイ?」
「ユン? ……はっ!」
思い出した。そういえばいた。外出時や式典の時など、王子が身だしなみを整える時にやってくる、専属トリマーのユン。一度会ったら絶対忘れないようなハイテンションな性格と癖のある喋り方。あまりに思いがけない登場のし方だったから一瞬忘れてたけど。とにかくそうだよ、間違いない。茶トラの毛並みも一致している。
「思い出しタ?」
僕はこくこくと頷く。
「でも何でこんなとこにいるノ? 王子サマのお世話は?」
「それは……」
う、やっぱり聞かれるよね。何だろう、やっぱり僕って王子のそばにいないと駄目なのかな。気まずい質問に思わず目を逸らす。
するとそこへ、ミンが助け舟を出してくれた。
「まあまあ。ソンさだっていつも王子のそばにいるわけじゃないんだすよ。それよりユンさ、今日も病院の帰りだすか?」
「ン? そうだヨ。ミンのパパサンにミンは帰ったって聞いたから、せっかくだから宿舎戻る前に顔出そうかなーって来たのサ」
病院? ユン、どこか病気なの? 見た感じまるで健康そうだが。
二匹の会話にはてなマークを浮かべていると、それに気づいたのかユンが僕に事情を教えてくれた。
「あ、ミーは病気じゃないヨ。ミーのパピーがちょっと色々あって病気でネ、ミンのパパサンとこの病院に入院してるのヨ」
「そうなんだ」
「ウィ。しかもウチ、ビンボーだからサ、小さい頃からミンの家族には色々お世話になってるのヨ。友達っていうか、もう一つの家族みたいなものネ」
「へ、へえー……」
明るい声音だが語られた内容はなかなか壮絶だ。一見そうは見えなくても、ユンも苦労しているのだろう。でもそれを微塵も感じさせないなんてすごいなあ。
「ユンってすごいんだね。色々大変な思いしてるはずなのに、明るく振る舞えるなんて」
「そうカイ? でも大変な思いしてるのは、ソンクンだって同じデショ? いつも王子サマのお世話、頑張ってるらしいじゃないカ」
「あー……うん。でも僕は、大変でもユンみたいに明るくはなれないよ。どうしたらそんなふうにいられるの?」
するとユンは前足を顎のあたりに当てて、何やら考えるような素振りを見せる。
「ウーン。そう言われても、ミーは生まれた時からこんな性格だからよく分からないネ。でも……そうだネ。パピーもよく言ってたヨ、『周りを笑顔にしたいなら、まずは自分が幸せであること』って。自分が笑顔なら周りも自然と笑顔になるって。だからミー、いつも自然と笑顔なのかもしれないネ」
周りを笑顔にしたいなら、まずは自分が幸せであること……その言葉を聞いた時、僕ははっとなった。ここ最近の精神状態を思い返してみたが、果たして僕は幸せを感じていただろうか。王子のお世話係として一生懸命になるあまり、自分のことを疎かにしてはいなかっただろうか。そうだ、僕……最近心から笑ったことあったっけ。
「ソンクン? 大丈夫カイ?」
「にゃっ!?」
突然黙ってしまったからだろう、心配するようにユンが僕の顔を覗き込んでくる。その距離が目と鼻の先だったため、僕はびっくりして思わず飛び上がってしまった。
「だ、大丈夫、大丈夫。あは、あははははは……」
誤魔化すように笑ってみせるも、何故だかユンは微妙な顔をするばかり。
「ソンクン、その笑顔……全然ハッピーじゃないネ!」
「はい!?」
「ちょっ……ユンさ、何言うんだすか! 失礼だすよ!」
いきなりのことにミンも驚きの声を上げた。しかしユンは構わずに続ける。
「だって大丈夫に見えないんだモン、無理して笑ってるように見えるネ。そんなのハッピーじゃないヨ!」
「うう……」
悔しいけれど何も言い返せない。ユンの指摘は当たっている。心から笑えた日を思い出せないレベルの僕が、上手く笑っているわけがないのだ。
僕はユンから目を逸らす。怖かった。彼に全てを見透かされてしまいそうで、これ以上彼を見るのは怖かった。途端にこの場にいるのが耐えられなくなってきて、すぐにでも部屋に籠ってしまいたい衝動に駆られる。まあ僕の部屋、ここなんだけど。
「もう、ユンさ! 余計なことは言わなくていいんだすよ。そっとしておくだす。おいらに会いに来たんでしょ? こっちだすよ、ほら」
「オー、そうだったヨ。うっかりしてたネ。別に大した用はないけど、なんとなく遊びたかったのサ。あ、じゃあネ、ソンクン。バーイ!」
「ば、ばーい……?」
こうしてユンとミンは僕の部屋から去っていった。意図的なのか、偶然か。どちらにしてもミンのおかげで助かった。
ふうっと僕は大きく息を吐く。ストレスから逃れるためにミンの家にやってきたはずなのに、何だか疲れた。それは慣れない環境だからなのか、ユンの発言によるものなのか分からなかったけれど。
一匹になるとほっとしたのか気が抜けて、ものすごい眠気が襲ってきた。色々あって疲れていたのもあり、僕は抗うことなく目を閉じると、そのまま夢の世界へと落ちていった。
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