その銘は銀葬の

カムリ

その銘(な)は銀葬の

 勇猛なる騎士、銀葬ぎんそうのリヴィン・シルヴァランドが死んだ。

 デクレシア雲海にて、最も気高く強い男が死んだ。

 彼の騎士の死を報す弔葬ちょうそうの鐘は風に乗り、雲の彼方へ鳴り響いて、

 英雄の故郷――ラクロラ浮遊鉄島は悲哀と嘆愁に包まれた。


                  ☨


「遂にくたばったか、あのアホ。だから騎士なんてやめろって言ったんだ」

 ラクロラ浮遊鉄島の静かな舟酒場に、独りちる赤毛の女がいた。

 英雄リヴィンが斃れ、みな眷属の脅威に脅えている。

 ラクロラから他の鉄塔都市に逃げて行ったものも数多い。その中で、女はリュートを爪弾きながら、孤独に酒を煽っていた。


 風の中の匂いが、仄かに酸い。硫黄の香り。岩嵐いわあらしが来る予兆だ。

 ラクロラ浮遊鉄塔の眼下には、広大で空虚なデクレシア雲海を望める。

 ラクロラの大地は二百年前に失われた。

 そのため人類は浮遊鉄塔を建造し、空へ――デクレシア雲海へと落ち延びることを余儀なくされたのだ。

 その悲劇には、≪宝石王ほうせきおう≫と呼ばれる不明な災厄の存在があった。

 それは岩石や宝石から己の眷属を作り、軍勢を以て人類を狩り殺していったと伝わっている。大地に住まう限り、≪宝石王≫の勢力は無尽だということは明らかだった。故に人々は空へと逃げたのだ。


 女は舟酒場のぼろ吊橋を渡り、弔葬区画に続く螺旋階段を昇る。

 かん、かん、かん、と鉄の坂を踏みしめる軍靴の音が、空に溶けて行った。

 ラクロラ浮遊鉄塔をはじめ、空に散った鉄塔諸都市は、古代の精霊との契約によって浮上を成し遂げたらしい。精霊の力――海に物が浮くことに似た、特殊な「加護」によってその自重を宙に浮かべているのだという。

 よって、船の形をしている構造体が最もその恩恵を受けやすいらしい。

 だが、最も古く精霊と約定を結んだとされる蒼空の騎士マルテルは眷属との闘いで死んだ。彼の配下たちもそれに続き、塔の真実を知る者はもう存在しない。人類に残されたのは、永劫に続く≪宝石王≫の眷属たちとの闘争だけだ。

 古代の物語など、女にとっては石ころよりも約に立たない。

 銀葬の騎士たるリヴィンが死んだ今、この鉄塔に遺された騎士はただ一人。

 戦う術を持たぬ、うたいの遊騎ゆうき

 燃ゆる赤毛の女騎士、吟遊ぎんゆうのゾフィア・トゥルバドゥール。


「つまり、このあたしだ。見てるかよ? 銀葬のリヴィン」


 鉄塔の階段を登り切ったゾフィアの前には、蒼い空を頂く黒い墓標の群れが広がっていた。

 その中の、一際新しい墓石には――穢れの無い銀のつるぎが捧げられている。


                   ☨


 騎士とは、ほんの僅かな数、人より生まれ出で、眷属と戦う異能の者だ。

 空を掴み、捻じ曲げる者。

 いかずちをその身に宿す者。

 鳥獣と言葉を通ずる者。

 その異能を以て、かつての精霊の落とし子と学者は呼ぶが、

 リヴィン・シルヴァランドもまたその名に恥じぬ騎士の一人であった。


 その中でも、リヴィンの強さはやはり秀でていた。

 彼が丈の短い刺剣エストックを振りかぶり、腕をしならせて投擲すれば、

 銀の煌めきは弓矢のように空を切り裂いて飛び、

 鉄をも弾く眷属の甲殻にさえ、易々と突き刺さった。

 瞬間、

 突き立った刺剣を起点に、ぱっと銀の華が咲く。


 リヴィンの騎士としての権能。

『ここではない別の世界から銀そのものを召喚し、成長させる』という――

 眷属は膨張する銀にその体躯を浸蝕され、自重を支え切れず落下していく。

 リヴィンを称える歓声が、ゾフィアの耳にも一際大きく聞こえて来た。


 だが吟遊の騎士として、間近で彼の戦いを見るゾフィアだけは知っていた。

 どれほどの宝石級眷属カラットを屠ろうとも、

 どれほど防空線を死守しようとも、

 リヴィンは兜の下の、陰鬱な表情を崩さない。

 ただひと時、ラクロラの酒場や町で、自らが守った民の笑顔を見て――それでようやく安堵のため息を吐くような男だ。

 雲海に轟く勇名に比して、ひどく臆病で退屈な人間だったと思う。

 あるいは、騎士にもたらされる権能の対価も影響していたのかも知れない。

 騎士はその能力の対価として、すべからく代償を求められる。

 例えばリヴィンは、銀を呼び出し成長させるたびに、感情を失うことを強いられた。死の直前、戦いに赴くリヴィンはほとんど人形のようだった。

 だが、そうなる前に彼がぽつりと零した言葉を、時折ゾフィアは思い出す。


 銀葬の騎士が単独で眷属の襲来を退けたのは、何度目だっただろうか。

 繋留場の舟酒場で、二人きりの祝賀会をした時のことだった。


「僕は……死にたくないんだよな。ゾフィア」

 高級な蒸留酒の匂いをさせながら、リヴィンは呻くように呟いた。

 リヴィンは総じてつまらない男だったが、酒と戦にだけは詳しかった。

「死ぬ? 銀葬の騎士サマが?」

 ゾフィアは酒の肴にもならないというように、心底呆れた表情を浮かべた。

「馬鹿言えよ。なあ?」

 ゾフィアは酒場にたむろする民衆に呼びかける。

「そうだぜ! ゾフィア様がいつも見せてくれるじゃん、リヴィン様の戦い!」

「応とも。シルヴァランド卿が居れば負ける気がしねえってもんだ!」

 人々は口々に答えた。

 それもそのはず、彼らはゾフィアの吟遊の権能によって、リヴィンの戦いの様をまるで追体験したかのように見ることが出来たのだ。

 それがゾフィアの吟遊の騎士としての、役目でもあった。

 リヴィンはそんな民の様子を見、目をわずかに細めて続けた。

「無敵の騎士なんていないよ。戦い続ける限り、いつか墜ちる時が来る」

 リヴィンはそう言って、また元の陰鬱な表情に戻る。

「でも、きみがそう言ってくれるから、僕は戦えるのかもね」


「……解らねえ奴だな。だとしたらよ」

 ゾフィアは、照れ隠しに問うてみたくなった。

 ただ一人戦う力を持たぬ、吟遊の騎士として、

 英雄のしるべを歌う、書記官として。

 そして、英雄リヴィン・シルヴァランドの……ただ一人の、盟友として。


「――あんた、どうして騎士なんてやってんだ?」



                  ☨


 リヴィンの墓前で、ゾフィアはただ佇んでいる。

 岩嵐が近い以上、眷属は今夜にでもラクロラに攻め込んでくるだろう。

 ラクロラが堕ちるのは時間の問題だった。

 リヴィン・シルヴァランドはもう居ないのだから。


「違う」

 ゾフィアは叫んだ。

「リヴィン・シルヴァランドが死ぬわけがねえ」

 叫びに嗚咽が混じる。

「あいつは『死にたくない』って言ったんだぞ!」

 英雄の墓前へと、韜晦するように崩れ落ちた。


 ラクロラを蹂躙され、リヴィンの死まで認めてしまったら――今度こそ、彼の望みは何一つ叶わないように思えた。

 銀の剣が供えられた墓碑には、リュートが立てかけられている。

 剣の壮麗さと比べて、がらくたのようだった。

 彼はゾフィアのようなはりぼての騎士ではなく、真の英雄だった。

 友と民を愛し、その為に命を使うことに一部の躊躇いもなかった。


 リヴィン・シルヴァランドの死は、呆気のないものだった。

 彼が敗死したあの日。

 代償によってとうに感情を失ったリヴィンは、それでも常のように数多の眷属を屠り、そして鉄塔に帰投しようとした折――今にも舟から滑り落ちそうな、逃げ遅れた子供を偶然見つけてしまった。

 同時に、彼が討ち漏らした眷属の一匹が後方より迫り、

 そうしてリヴィン・シルヴァランドは死んだ。


 リヴィンが死んだ時のように、何も為せぬまま。

「……意味がなかったのか? お前のやってきたことには」

 呟きと共に、吟遊の騎士は宛もなく弔葬区画から去って行く。


                   ☨


 ラクロラの夜。漆黒の空に、岩嵐の酸い香りが流れ、

 ――そして、滅びがやって来る。

 ≪宝石王≫の眷属たち。

 岩の猛鳥のような、宝石の獣のような、おぞましくも流麗な姿形。

 ≪宝石王≫がもたらす嵐と共に飛翔し、デクレシア雲海を突き抜け、

 人類をただ滅ぼさんと、殺戮の機構が攻めきたる。


「まだだ! 鉄塔諸都市からの援軍が来るまで、この街を……ぐべあっ!」

「嫌だ、嫌だ……あははっ、何で俺の足、石に――」

「助けて! 助けて、リヴィンさ、まっ、ぎゃばっ」


 ラクロラの自警団も、民も、大人も、子供も、全てが無力だった。

「畜生」

 ゾフィアは、ラクロラの街が蹂躙される様を、ただ見ていることしか出来ない。

 彼女は吟遊の騎士であるが故に。

 ゾフィア・トゥルバドゥールの代償は、戦うという行為そのもの。

 戦闘を永遠に禁じられた対価に、彼女は吟遊詩人として――その歌の景色を、人々の脳内に投影する権能を得た。だからこそリヴィンの最も近くで戦いを見聞し、その勇姿を人々に伝える任を賜ったのだ。

 だから、それだけだ。彼女に何も出来ることはない。

 騎士として、人々を守るために命を投げ出すことすらもかなわない。

 リヴィンが命を賭して守った町が、眷属によって無惨に破壊されてゆく。


「畜生……」

 ゾフィアは動かない足と、握りしめたリュートを見た。

 リヴィンがゾフィアに、街で気まぐれに買い与えたリュートだった。

 リュートを握り締め、鉄の道を踏みしめる。

 眼前の景色を、双眸で射貫く。

 眷属が岩石の剣腕を振り上げ、逃げ惑う少年を無機質に屠殺しようとしていた。


(あたしは)

(こんな姿で、リヴィンの盟友だったと言えるのか)

(……そうだ。あいつは、確か)


 あの日、リヴィンが助けた子供。


 ――友だちのしたことに、意味がなかったなんて思いたくないのに。


(意味を)

(あたしの言葉で、その意味を作れるのならば)

 気付けば、ゾフィアの口は滑らかに動いていた。


「――勇猛なる騎士が死んだ!」


 張り上げたゾフィアの声が、空を透徹する。

 眷属の腕が、びたり、と止まった。


「デクレシア雲海にて、最も気高く強い男が死んだ!」


 その声は騎士の声、その歌は騎士の歌。

 だが、彼女自身のものではない。


「彼の騎士の死を報せる弔葬ちょうそうの鐘は風に乗り、雲の彼方へ鳴り響き、」


 ぐに、と眷属の身体が歪む。

 ひとが狂い死ぬように、石の体躯が音を立てて自壊し始める。

 ゾフィアとの戦いによってではない。戦いですらない。

 それは一人の吟遊詩人によって語られる、ただの物語に過ぎない。


「英雄の故郷――ラクロラ浮遊鉄島は悲哀と嘆愁に包まれた!」


 だが――眷属たちにとっては、色褪せぬ恐怖の記憶に他ならなかった。

 節はいよいよもって高らかに、ゾフィアは高揚とした表情で吟い上げる。

 彼女の権能は、歌の景色を――聞く者の心象に直接投影すること。

 それはきっと、相手が心持たぬ怪物であろうとも。


「だが、英雄は私の言葉の中に刻まれている!」

「思い出せ、彼の騎士の名を! 友と民を守るために戦った、真の英雄を!」

「石くれを葬る、銀の輝きを!」


 びし、と――眷属の身体が真っ二つに破断する。

 かつて同族が、その体に穿たれた傷を思い出すように。


『――ぼくが騎士になった理由?』

『そんなのは、ずっと前から決まっている。友だちと、民を守るためさ』

『……きっと、それが騎士ってものだろう』


 そう言って俯いた、ただ一人の盟友の名は。


「そのは、銀葬ぎんそうの――」


                   ☨


 ……そうして、眷属は去った。

 この物語の最初の景色は、そうして始まった。


「遂にくたばったか、あのアホ。だから騎士なんてやめろって言ったんだ」

 ラクロラ浮遊鉄島の静かな舟酒場に、独りちる赤毛の女がいた。

 英雄リヴィンが斃れ、みな眷属の脅威に脅えている。ラクロラから他の鉄塔都市に逃げて行ったものも数多い。

 だが、それだけではない。少しずつ人々は立ち上がり始めた。

 ゾフィアが今飲んでいる酒は、ラクロラの住民からの差し入れだ。

 リヴィンが好んでいた銘柄だが、それを呑んで心がざわつくことはもうない。

 彼女の心の中で、やっとリヴィンは葬り去られた。

 新たな騎士が生まれ、民は守られたのだ。

 この鉄塔に遺された騎士はただ一人。

 戦う術を持たず、されどラクロラを守り切ったうたいの遊騎ゆうき

 その意味を胸に、騎士は螺旋階段を上り、そして辿り着く。

 弔葬区画のリヴィンの墓前へと。


 燃ゆる赤毛の女騎士、吟遊ぎんゆうのゾフィア・トゥルバドゥールは、そこに居た。


「つまり、このあたしだ。見てるかよ? 銀葬のリヴィン」

 ちらりと、赤毛の合間から銀の耳輪が覗いた。

「これがお前に捧げる歌だ。あたしのこれからの武器だ。だからさ――」

 ゾフィアは言葉を切って、墓に供えられた銀の剣に口づける。


「この空に、あんたを刻んでやる。あたし達は二人で世界を救うんだ」

 立ち上がり、ラクロラ最後の騎士は歩き始める。

 ≪宝石王≫討伐遠征のための迎えの舟が、ラクロラに来ているのだ。

 きっとその旅路で、この物語は歌われる。

 この蒼穹の果てを越えて、銀色の月に届くまで。

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