万屋

「梶井喜久さん(二十四歳)がアパートの自宅で遺体となって発見されました。首には絞められた跡があり、警察は何らかの事件に巻き込まれたと見て捜査を進めています」


 たしかにそれは、物騒なニュースではあった。物珍しい犯行の手口ではないし、被害者が一人であるという点を鑑みて、殊更に注視に及ぶ事件の内容とは言えない。だがしかし、鈴木にとって寝耳に水の凶報だった。


「ありえない、ありえない」


 とりとめなく繰り返す鈴木の自失は計り知れない。何故なら、諍いの処理を命じた神田との連絡が取れず、美食倶楽部に必要な人材集めを頼んでいた男が、自宅にて殺されるという数奇な事実が連なって鈴木に知らされたのだ。当惑しても仕方ない。


「こうなったら……」


 最後の手段だといわんばかりの意気込みを握り込んだスマートフォンに託す。


「もしもし、鈴木だけど」


 鈴木が、かくかくしかじかの事情を打ち明ける電話の相手とは、町の厄介事を一手に引き受ける、日がな一日対応する万屋だ。駅から約五分の位置する雑居ビルに店を構えており、債務者が駆け込む審査の緩い金融機関と、不法滞在者の中国人が経営する中華屋に挟まれた、二階を根城としている。


「どうせ、欲望にかまけてヘマをしただけだろう」


 万屋は右手の爪を整えながら鈴木が持ち込む要件を話半分に聞いていた。


「人間に対してヘマしたからって、死ぬ何て馬鹿げてるだろうが」


「その馬鹿げたことが起きたから、死んだんだろう?」


 あくまでも過失があったと徹頭徹尾、貫く語気の強さを万屋は示す。吸血鬼が人間より上位の存在だと疑わない鈴木の考えでは、この議論の焦点は平行線を辿り続ける。鈴木は態度を改め、会話を仕切り直す。


「アンタと言い合うつもりはない。調査を頼む」


「それを先に言いなさいよ」


 万屋は呆れた口調でそう言うと、事務と接客を兼ねるテーブルを叩いた。依頼内容はこうだ。梶井喜久を殺害した犯人を警察より早く捕まえて、鈴木に差し出すことである。要は、逃げた飼い猫を探すような気分でこの依頼をこなせばいい。


 店の扉に、「仕事中につき、不在にしております。お急ぎのご用件でしたら、以下の電話番号までお電話を頂ければ幸いです」という札を掲げて万屋は、町へ繰り出す。


 住所だけを頼りに某の場所まで行けと指示されて、一度も首を振らずに辿り着くような器用な真似は機械でなければなし得ない。しかし今回、万屋は偶さか報道を見ていたこともあって、風景と照らし合わせながら行き着くことが出来た。分譲住宅が建ち並ぶ似た景色の中に、時代に取り残された木造アパート。規制線の張られた扉が目印であった。


 昼間にはきっと、マスコミ関係者が大挙して押し寄せたのだろう。アパートの向かいの道路には、煙草の吸い殻や、ペットボトルなどのゴミが放置されている。現在の時刻、午後十一時。暗がりが跋扈しているとはいえ、無数に置かれている街灯は無視できない。万屋は黒い帽子にマスクを付けて、身分不祥を装いここまで来ているが、コロナ禍という時代に敵った姿のため、過度に不審に思う者はいない。


 鍵の掛かった部屋は防犯も兼ねながら、事件に関わる証拠の保存が大部分を占めている。しかし万屋は、施錠など意に介さず、扉の取っ手を掴んで引いた。異音と呼んで然るべき扉の悲鳴に万屋が込めた力の入れ具合を察する。錆びた蝶番の歓迎を受けて、万屋は部屋の中へ入る。

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