人形に恋した俺

でずな

人形に恋した俺



 どうしようもない一目惚れだった。

 透明なガラスの向こうにいた君の、金色に輝く瞳に、毎日仕事漬けで社畜の俺の心が奪われた。


 相手は人形。動くことはなく、自我もないただの造り物。漆黒の黒髪。金色の瞳。絵本に出てくる、赤ずきんのような服。そのすべてが俺の心臓を貫いていた。


 心を奪われ、心を貫かれた俺はすぐ人形を買い大切に抱きかかえ家に持ち帰った。


「あの……これからよろしくおねがいします」


 もちろん反応はない。


 これは、これから親密な仲になることになる俺なりの礼儀というもの。たとえ相手が人形だとしても、恋した相手に礼儀を尽くさない他ない。


 お風呂に入りながら再び考え、人形に恋をするなんてどうにかしてると思った。


 精神的に追い詰められていたのだと思い、捨てることも考えた。


 だが、お風呂から上がりいざ袋にいれようとしても手が思うように動かなかった。

 なんて自分はバカなんだ、と意気地なしな自分のことを惨めに思いその日は寝た。


 翌日。


 人形が目の前にいた。いや人形を抱きかかえながら寝ていた。ついてしまったヨダレを慌ててふき、仕事に行く準備を始めた。


 時刻は8時。


 もう家を出なければ遅刻してしまうという切羽詰まった状況なのだが、俺は人形の前で足を止めていた。


 悩んでいるのは人形のことを職場に連れて行くのか、否かということ。

 悩んで悩んで8時10分を過ぎたあたりで、連れて行くことを決断し外に出た。


 案の定、職場には遅刻。

 朝礼で晒し者にされ、周りから笑われ仕事が始まった。


「はぁ……」


 まだ一日が始まったところだが、もう俺の心はズタボロ。今、もしアリに噛まれたら気絶してしまうほど弱っている。


 そんな中でも、無理やり手と頭を動かしなんとか午前中の仕事が終わった。


 昼休憩。


 いつものように俺の席の近くにがやってきた。 


「おうおうおう。お前、朝礼で晒し者になってたなぁ〜」


「なんだよ。……からかうために来たのなら、もう帰ってくれ。俺は今、疲れてんだ」


「んなこと知らねぇよぉ〜だ。お前が疲れていたとしても、お前は僕のストレス発散なんだから帰らねぇわ。ばぁーか」


「ったくもぉ……」


 アイツは俺より年下。だが、職場での地位はアイツのほうが高い。一度チクられ、クビ寸前にまで追い込まれたのであまり攻め入ったことは言えない。


「お? なんだこの変な人形」


「あっ、ちょっ!」


 勝手にバックの中から、人形を奪われた。


 取り返そうと手を空振ってしまった俺を見たアイツは、新しい玩具を見つけたかのように薄気味悪い笑顔を浮かべた。


「ははぁ〜ん。これ、お前にとって大切なものなんだな? 気持ち悪ぃ女の人形、か。まぁ人形だとかそんなのどうでもいい。これはお前にとってどういう意味で大切なものなんだ?」


「そんなの知るか。いいから早く返せっ」


「ふふ。そうか。いや、部長からこの人形は返してもらうことにしよう」


 頭の中で、一番大切な線が切れた音がした。


 視界が暗転し、目を覚ましたときには右手に人形を持っていた。


 良かった良かった……と、安堵しているのもつかの間。


「ゔっ……このクソォ……」


 地面に血まみれのアイツが倒れていた。

 手を差し伸べようとした左手は真っ赤。


「うわぁああああ!?」


 腰が抜けて、尻餅をついてしまった。


「お前……よくもやりやがったな。お前……絶ってぇ許さねぇからな。お前……ブチ殺してやる」


 アイツはずっと俺のことをガンギマリの目で睨めつけながら、呪いのように殺意むき出しの言葉を並べている。


 なにがなんだかわからない。


 意味がわからない俺のことをおき、近くにいた職場の人がこの状況を収めてくれてすべてが終わった。


 その日、職場から帰る前に言われたのは一週間の謹慎。そして精神科への通勤だった。なぜそんなことを言われる筋合いがあるのかわからなかったが、反論する気にもならず受け入れ帰った。


「はい。もう、大丈夫そうですね。一週間お疲れさまでした」


「ありがとうございました……」


 人形を抱きかかえながら、精神科から出た。


 すれ違う人全員が振り返り、俺のことを奇怪な目で見てきている。精神科の先生曰く、この人たちが見ているのは人形をもってる俺のことを不思議にも思っているかららしい。


 不快には思わない。


 彼女と俺の愛は理解されないのは精神科の先生が初見、「は? ふざけないでください」と真顔で怒ってきたのでわかってる。


 周りからどう思われようとも、俺は彼女に恋をしている。この一週間、精神科に通院してその自信ができた。


 先生の偉大さを感じつつ、家に帰った。


「おはようございます!」


「お、おはようございます……」


 あぁ。朝、しっかり時間前に職場に来て同僚にする挨拶以上に気持ちいいものがあるのだろうか。


 彼女をデスクトップの隣に置き、仕事勤務外なのだが早速溜まりに溜まった仕事を始めることにする。


「よし。俺、頑張るぞ!」

 

 彼女の頭を撫でると、どことなく嬉しそうにしている気がする。えへへ、と顔を崩しキーボードに手を乗せた。

 

「社訓!」


「「誰でも! いつでも! 仕事をできることに感謝する!」」


 この誰も得をしない時間が憂鬱。できることなら、この時間にデスクトップの横にいる彼女のもとに行って頭を撫でたいものだ。


「えぇ〜でもってね、今日からまた皆と一緒に仕事頑張ってくれたまえ」


「は、はい」


 周りの反応があまり歓迎的ではない。逆に俺のことをチラチラ見ながら、何か喋っている。俺が何をしたというのだ。


「よし! じゃあ朝礼終了!」


 おじさんのかけ声に各々仕事を始めた。


 俺も椅子に座って仕事を始めたのだが、朝礼でアイツの姿が見えずもやもやして全然進まなかった。


 いつもからかってきていたヤツを心配するなんてどうにかしていると思うが、仕事が進まないので勤務表を見に行くことにした。


「あれ?」


 アイツの名前がなかった。ボードの裏や、被さってる紙の裏を確認してもアイツの名前はなかった。


 気になったので、おじさんに聞きにいったのだが「仕事をせんか!」と一喝され、聞けなかった。


 理由が知りたいので渋々仕事を再開し、気づけばもう昼休憩。彼女と一息つき、周りから奇怪な目で見られながら朝買ってきた弁当を食べていた時だった。


「今日からあの野郎はここにいるんだろうなぁああああ!!」


 勢いよく扉が開かれ、聞き覚えのあるアイツの怒声が聞こえてきた。デスクの隙間から血管が浮き出ている顔を見て、これはただ事じゃないのだろうと察した。


 反応しないのが吉だと判断し、もくもくと弁当を食べていたのだが。


「オラァ!! てめぇ、よくそんな呑気に飯食ってられるな……」


 アイツは俺の横に立ち、殺気をむき出しにしている。


 事実上らこの人はもう職場の勤務カードにいないただの人。周りの人が止めに入らず傍観者を気取っているのを見るに、強気にいってもリスクはないっぽい。


「何なんですか。俺は一週間謹慎して、ようやく仕事に復帰できたので邪魔しないでください。無職の人が元職場の人に怒るために職場に来るなんて、どうにかしてますよ」


「んだと!? それもこれも全部てめぇのせいじゃねぇか!! てめぇがあれだけ殴ってきたくせに、よくのうのうと出勤できたな!!」


「何を言ってるんです。はぁ。これだからあなたは……」


 俺が失望するのようにため息を吐くと、アイツから「クックックッ……」と気持ち悪い笑い声が聞こえてきた。


「まじかよ。まだそんな状態だったのかよ」


 苦笑しながら絶句してきた。

 アイツが言いたいことがわからない。


「そうか。てめぇはわからねぇよな。バカみたいに嫌な記憶の蓋をしてんだから。……いいさ。嫌でも思い出させてやる。お前が何をしたのかを」


 アイツは不意に俺の大事な彼女を手に取ってきた。


「やめろ!」


 アイツの右腕を掴んだとき、一週間前。同じ場面のことがフラッシュバックした。


 あの時、視界が暗転した時。だけど、たしか……あの手についてた血はアイツのだ。忘れてた。いや、思い出したくなった。俺は人形を取られて怒り、殴って殴って殴って殴って……血だらけにしたんだ。


「どうした? ……ふん。その様子じゃ、思い出すことができたみてぇだな。なにか言うこと、あんじゃねぇのか?」


「ごめん、なさい」


 自分がどれほどのことをしてしまったのか自覚し、これ以上の言葉が出てこなかった。


 アイツは言葉に詰まっている俺のことを見て、「はっ!」と鼻で笑い興味がなくなったのか職場から出ていった。


 出ていく前、丁寧に元置いてあった場所に戻してくれた彼女のことを抱く。

 温度は感じない。けど心のあたたかみを感じる。


 俺はその日、クビになった。


 理由を聞かされず、普段なら反論するところなのだが不思議とその日の俺の心は澄んでいた。


 何だとしても俺はクビになって、それから会社を立ち上げた。人形を専門に取り扱った会社だ。

 最初こそは挫折を繰り返し精神的に参っていたが、最近は仕事も軌道に乗り始め、徐々に心の傷も治り始めていた。


 時刻は早朝4時を回り始めている。


 夏ということもあってか、空が太陽を迎え入れる準備をしている。家に帰れるのは実に3日ぶり。

 待たせている彼女のことをずっと思い、今日も生きることができた。


 世界のすべてが祝福しなくとも、世界のすべてから気持ち悪いと思われようとも、俺は彼女に人生を捧げると決めた。

  

 あれは、どうしようもない一目惚れだったんだ。


「ただいま」   


 声を発し家の中に入っても、待っている人がいないのでもちろん反応はない。


 だがリビングには彼女がいる。


 声を発さず、息もせず、生物ではない俺の大切な恋をしている人形が。


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人形に恋した俺 でずな @Dezuna

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