第12話

 地下駐車場に停めていたホシさんの車は、期待を裏切らない車種だった。色も黒だと思っていた。もともと荷物は無かったので、せいじろうを落とさないように気をつけながら車に乗せてもらった。

 しばらく車の走る音しかしなかった。新宿区を出るあたりで、ふと気づいた。

「なんで遠回りするんですか」

 渋谷区を突っ切れば早いのに、わざわざ千代田区から大回りをして行くようだ。ホシさんは前を見たまま、ポツリと答えた。

「神奈川から回り込んだ方が世田谷区を走る距離が少ないだろう。吐かれても困る」

 言葉の意味を理解するのに時間がかかった。続けてホシさんは言葉を吐いた。

「鷹木の仇を討つのは黒服全員、自分がやりたいと願っていることだ。だが事情を知っている俺たち幹部と補佐、ハシボソは、お前に仇を取らせるべきだと思っている。鷹木との契約違反になるが、個人的には安全に敵討ちをさせる作戦を考えているところだ」

「それ、さっき聞きたかったです」

「本部では誰が聞いているかわからんからな。個人的に連絡して証拠を残したくもなかったから、すまんがああいう言い方をさせてもらった」

 ホシさんの話を聞いて俺は大人はわからないと思い、掌で大人しくしているせいじろうを指で撫でた。小さくて柔らかくて、温かい。なかなか動物に触れる機会がなかったので、つい撫でる指が止まらなかった。

「ハシボソは花嫁のこともあるからあまり手伝わせたくないんだがな。責任を感じているらしい……タテハ、とか言ったか、鷹木を殺したチョウを探す班に混ざるから困りものだ」

「俺の能力、もしかしたらイモムシとサナギとチョウを分けて探せるかもしれないです」

「どういうことだ?」

「昼間、視界が矢印と線でいっぱいになった時、色が三色だったんです。線の太さも違ったから、一番太い線を辿ったけど……もしかしたら赤がサナギで青がチョウなのかもしれないです」

 昼間の視界を思い出そうとして、急カーブで頭の中が真っ白になった。咄嗟に腕を上げてせいじろうを窓にぶつけないで済んだ。

「世田谷区を走るぞ」

「ええ!? 吐くかもしれませんよ!?」

「せいじろうに掛からなければ構わん。そろそろマットも買い換えたかったからな」

 さらりとさっきと違うことを言って車を走らせる姿に、やはり大人の考えていることはわからないと再認識した。


 さすがに足元に吐くのは気が引けたため、必死に説得してコンビニに寄ってもらいエチケット袋を買った。車に戻るとホシさんは電話していた。お留守番をしていたせいじろうを踏まないように座り、電話が終わるまで待つことにした。エチケット袋を広げたらせいじろうが中に入りたがったので、一枚はせいじろう用にしてあげた。

「間違えてゲロまみれにしたらゴメンな」

 念のために二枚はすぐ吐けるように広げた。せいじろうが入っている袋を咄嗟に使わないように、膝の上に乗せて使う方は手に持った。

「吐く準備はできたか?」

 ちょうどホシさんの電話も終わった。小さく頷いてシートベルトを締めると、車は世田谷区へ走った。

「シロを呼んでおいたから、合流したら矢印を色別に追うぞ。見えたら教えろ」

「わかりました……」

 その後、すぐにバイクに乗ったシロと合流して世田谷区に入ったので、おそらく二時間くらいだろうか。俺はエチケット袋に顔を突っ込みながら指で矢印の方向を指していた。

 世田谷区に入ってすぐに悪寒と吐き気、三色の矢印が目の前に広がった。赤と青と黒い矢印。それらを一色ずつ確認するために俺は今頑張っている。目を開けていれば矢印は勝手に見えるので、ホシさんは俺の指の方向を確認しながら運転し、その後ろをシロがバイクでついてきているらしい。

 赤はサナギ。青はチョウだというのは案内した先でシロが確認してくれた。残るは黒い矢印。イモムシを指していれば、確実に俺の能力は役に立つ。タテハを見つけ出し、殺せるかもしれない。その思いだけで俺は寒気と吐き気に堪えながら数ある矢印を見分けた。

 最後の黒い矢印も、シロが確認しに行くと間違いなかったようだ。車で待っているホシさんのスマホから明るい声が飛んできた。

「うるさい! もっと静かに報告できないのか!?」

 ホシさんは助手席でエチケット袋から顔を出せない俺の背中をさすってくれた。

「ネロ、確認がとれた。見えているのは三色だけで変化はないな?」

 必死に頷く。まだ視界にはたくさんの矢印が乱立している。もう限界だと目をつむった。

「よく頑張った。待ってろ、すぐに世田谷区を出る」

 ホシさんはすぐに車を出してくれた。俺の状態を見て判断したのか、着いたのは黒服本部の駐車場だった。てっきり自宅に送られると思っていた俺はホシさんの顔と外を交互に見てしまった。

「その状態で世田谷区の自宅にいられるわけないだろう。その視界に慣れるまで本部の空き部屋を使え。もうシロに準備させている」

「え……」

「今にも倒れそうな真っ青な顔がまともになるまで、お前を自宅に帰さないからな。明日からはシロと毎日世田谷区とここを往復しろ」

 そう言われて俺は黒服本部の一室に放り込まれた。空き部屋だと言われたがなかなか綺麗な部屋で、きちんとベッドもテーブルもあった。とりあえずふらふらになりながらベッドに向かったが、手前の絨毯の上に倒れこんだ。意外と絨毯がふかふかしている。

「あっ! ネロ、ちゃんと横にならないと休まらないぞ」

 飛び抜けて明るい声に顔を上げるとシロが毛布を持ってきた。

「シロ……ありがとう」

 重たい体をシロがきちんとベッドに寝かせてくれた。そういえばせいじろうはどこに行っただろうか。もしかして潰してたりしていないだろうか。肩やポケットを確認する俺を見て、シロが気づいたように笑った。

「せいじろうならオレのとこに戻ってきてるよ。ネロに撫でられて嬉しかったみたいだ」

 そう言われてホッとした。

「明日からオレと一緒に害虫駆除の練習するから、今日はもう休んでいいって。もう少ししたらご飯を持ってくるから、それまで寝てていいからな」

 シロの言葉に甘えて、俺は少し寝かせてもらった。あの悪寒と吐き気に明日から慣れなければならない。今はただ休むことにした。

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