第7章 観客はみな一様に同じ解釈をしてくれると思え!

 とうとう「④本制作(β版)」だ!

これを切り抜け、致命的になるバグが出現しなければ、リリースまで一直線だ!


 α版の制作が終わった後にそれをプレイし、ゲームの問題点を潰す期間がβ版時に設けられることが多い。

会社によっては、テストとして一般人にプレイしてもらうこともある。


 社内および一般人の意見が揃った後、どのような改修をするかによってクソゲーから脱却する物も稀に存在するだろう。

そのため、慎重に対応する必要がある。


 さて、今回もゲーム以外の話を少し挟む。

 スタジオジブリ作品『魔女の宅急便』をご存知の方は多いだろう(見てない方は名作なので是非。原作も面白いよ)。

 簡単に説明すると「一人前の魔女になるために、13歳の少女キキが相棒の黒猫ジジと共に田舎の親元を離れて独り立ちし、彼女が唯一使える”箒で飛ぶ”魔法を用いて都会で宅急便を始める話」だ。

 この話の中でよく物議になるのが、「ニシンとかぼちゃのパイ」である。


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 ある日、キキは宅配の依頼を受けて青い屋根の屋敷を訪れる。この日、彼女には予定があり、遅くても17時には上がらなければならなかった。

何故なら、友達の少年トンボから、彼の所属する飛行クラブのパーティーに招待されていたからだ。

 屋敷には上品そうな高齢のマダムと、その使い(こちらも高齢)がおり、二人は出来掛けの料理を前に困っていた。

 話を聞くと、高齢のマダムの孫娘(キキと同い年くらい)がパーティーに出るらしく、そのお祝いで「ニシンとかぼちゃのパイ」を送ろうとしていたが、電子オーブンが故障して焼けないでいた。

 キキは諦めかけているマダムに対し、断るどころか時間がかかるのを承知で古いオーブンを使って焼くことを提案する。マダムは提案に乗り、キキは彼女の手伝いをして見事パイを焼き上げる。

 招待されたパーティーの時間が差し迫る中、キキは大急ぎでパイを孫娘の元へ配達する。途中、大雨に見舞われ、ずぶ濡れになりながら。

 孫娘のいるパーティー会場にたどり着き、扉を叩く。孫娘が登場するが、彼女はずぶ濡れのキキを見て隠すことなく不審がり、配達だと告げても眉を寄せたままだ。

 少なからず動揺するキキを後目に孫娘はパイを受け取りつつ、「またおばあちゃんからパイが届いたの。いらないって言ったのに」と会場内にいる誰かに報告する。

さらには、受取のサインを求めるキキに対して、「私、このパイ嫌いなのよね」とこぼし、会場に戻っていく。

 招待されたパーティーのことすら考えられないほど、キキは茫然と立ち尽くす。


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 キキに感情移入している場合、理想とは真逆のストーリー展開になる。

「キキがあんなに苦労して作ったパイなのに喜ばないなんて、凄く嫌な奴だな」と怒る人もいるだろう。

 実際、黒猫のジジは「本当にあの人の孫?」と2度あっかんべえをしている。最高に可愛くて大好きなシーンだ。


 ここで注目したいのは、見えている世界が異なっている点だ。


 観客はキキの行動を見ているので、彼女が見てきたことや考えていることは把握できる。

 さらにいうとキキだけが知っている情報はあるにせよ、お話に関係なければ登場はしないし、必要になったら描写なりセリフなりで必ず提示されている。

 例えば、魔法が弱くなったことが発覚するシーンは、キキ自身が異変に気付き箒にまたがるがうまく飛べず「魔法が弱くなってる…」とつぶやいて教えてくれるし、彼女の食卓に出てくるパンケーキやウィンナーも、観客は事前に彼女がスーパーで買物をするシーンを見ているので出所は想像がつくようになっているし、それまでの物語の展開から、魔女の宅急便の世界は実際の一般家庭と食事環境が変わらないのも分かっているので説明は不要だ。


 対して孫娘はどうだろう?

上品そうな高齢のマダムの口から性格や容姿を語られることはなく親族の関係性のみだ。

 これ以上の情報はない。

パーティーに出席していることから社交的ではありそうだ、といった推測はできるが、その域をでない。

 また孫だから高齢のマダムに似ているはずなんていうのもおかしい。たとえ家族だとしても、横暴な人もいれば温厚な人もいるのだから。

マダムが「孫娘は今反抗期みたいで荒れてるのよ。でもお祝いはしたいから、昔好きだって言っていたパイを贈りたいの」といったものあれば、孫娘の態度も納得できるがそんな都合のいい説明はない。

(なお『Save the Catの法則』の本にあるように、この言い回しはクソですよ)


 故にキキ=観客は、孫娘に対して勝手に理想を押し付け、勝手に失望していることが分かる。


 物語において、登場人物の体験した情報を全て知るのは観客のみだ。

もし登場人物同士に情報を共有する必要があれば、話したと分かるシーンやセリフ、手紙といった小物がどこかに挟まる。

 小説や漫画なら、「〇〇サイド」と書いたり、行で区切ったりして視点が変わることをアナウンスできる。


 ゲームの場合、この視点の違いを分かっていないと、プレイヤーとの溝が生まれる。


 言わずと知れた名作『ワンダと巨像(PS2)』を例に考えてみよう。

このゲームはアクションゲームに分類される。

プレイしたことがない人に向けて『ワンダと巨像』を簡単に説明しよう。


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 青年ワンダは愛馬アグロに乗り、“いにしえの地”と呼ばれる禁足の場所を訪れる。

そこにいるドルミンという大いなる存在に、少女を蘇らせてもらうためだ。

 ワンダはドルミンに遭遇することは出来たが、願いは叶わなかった。

ドルミンはその昔強大な力を持っていたために、力を16体の巨像に封じられており、姿がなく声だけの状態だったからだ。

 「巨像を全て倒した暁には願いを叶える」とドルミンに持ちかけられたワンダは、その契約にのり、“いにしえの剣”を携えて巨像に挑んでいく。


 ワンダは魔法といった特別な力は持たない、いわゆる普通の人間だ(腕力はゲーム的な部分になるので、突っ込みはナンセンスですよ)。

 使える武器は“いにしえの剣”と“弓矢”のみ。

“弓矢”は巨像の注意を引いたり射貫いたりすることできる。しかし攻撃手段としては微力だ。進行とともに強くなることはない。

“いにしえの剣”は、巨像の最大の弱点に突き刺すことで決定打を与えることが出来るほか、太陽の光を反射することで巨像の居場所や弱点の位置を示す力がある。これも進行と共に強くなることはない。


 巨像は言葉通り、かなり大きい。一部を除いて実際にいたら10~15mはありそうな程だ。

そして、”像”という文字が入る通り、巨像は石造り甲冑をまとった生き物のような見た目をしている。しかし、石造りの部分以外にも、フサフサとした毛のような部分があり、ワンダはそれを利用して、巨像によじ登ることになる。

 なお巨像は行動範囲が一定のため、遭遇したら最後地の果てまで追ってくるということはない。湖にいるなら湖、砂地にいるなら砂地から出ることはない。


 さて巨像にはいくつか弱点があり、ワンダが近づくか“いにしえの剣”で光に当てるとその部分が光る。

 この光は2種類あり、小さく浮き上がっている箇所は体制を崩せるくらいの微々たるものだが、大きな模様のような光が浮き上がっている箇所が最大の弱点であり、巨像への有効打が与えられる箇所になる。

 ワンダは暴れる巨像にしがみ付きながら、最大の弱点に何度も剣を突き刺して倒していくのだ。


 なおワンダには腕力ゲージというものがあり、何かにしがみ付いていたり、剣に力を溜めていたりすると減少する。何もしない状態でいると回復する。


 プレイヤーは巨像を観察し、地形や弱点を利用して巨像によじ登って最大の弱点に近づき、腕力の限界を見極めながら有効打を与え倒していくことになる。


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 この作品において、1体目の巨像に遭遇する前に多少の操作説明(ジャンプは△とか掴むはR1とか)はあるものの、以降説明はほぼない。

禁足の地故に世界観説明用のモブも存在しない。


 唯一ゲームの進行のヒントをもたらすのは、“いにしえの剣”の光だ。

では、プレイヤーにはいつそれを伝えるのか?


 実際の『ワンダと巨像』では、ドルミンが使い方をレクチャーしてくれる。

迷っていると、倒す目標の巨像の位置のヒントとして「剣を掲げ、その光が指すところにいる」と言ってくれる。

巨像を前に15分くらい何もしないでいると、「剣をかざし、その光を巨像にあてると弱点が見える」と教えてくれる。

(※実際はもっと世界観にのっとったセリフで教えてくれます。こんな言い回しはしていません)


 『ワンダと巨像』は、どちらかというとターゲット層の年齢は高く(大学生あたりだと勝手に思っている)、試行錯誤することを楽しめる人を狙っている印象だ。

 そのため、ヒントも直接的な言い回しを避け、考える余地を的確に与えている。


 巨像の攻略もそうで、観察していると分かるようになっている。

先述した通り、全ての巨像には、掴める箇所部分にフサフサした毛のような部分がある。

逆に掴めない部分は石造り甲冑のような角ばったものがついている。

 この特徴さえ把握していれば、よじ登る起点となる場所の目星をたてやすく、もし違っていたとしても別のアプローチ方法を考えやすい。

(ちなみに僕が一番好きな巨像は第3の巨像・騎士だ。シチュエーションや攻略法が最高に燃える)


 物語や世界設定もそうだ。ワンダと少女の関係性は作中で明らかになることはない。

妻や恋人ともとれるし、兄妹ともとれる。何故死んてしまったのかも不明だ。

しかし、「ワンダにとって大切な人」だという最も必要な情報はそれがなくても読み取れる。

 いにしえの地で確認できる生き物はワンダ、アグロ(馬)、少女(遺体)、鳥、トカゲくらいだ。

極端に生き物が少ない理由も「禁足の地」という情報が与えられているので、違和感はない。

 そして、ところどころ残っている人工物の建物についても「ドルミンを16体の巨像に封じた」という情報があるので、禁足の地になる前に人がいたと推測もできる。


 プレイヤーに与えられる目的は「巨像を倒すこと」であり、青年ワンダの物語の全貌を知ることではない。

故にプレイヤーに最も重要なもの(=巨像を倒す)以外の情報は、限りなくそぎ落とした引き算の美学を徹底している。


 少し話題からそれてしまうが、音楽の使い方も非常にうまい。

ワンダと巨像では、基本的には環境音しか流れない。

 しかし巨像のいる場所に近づくと、たちまち不安になるような怪しげな音楽が流れだし、巨像に遭遇すると緊迫感のあるオーケストラによる音楽が展開される。

さらに巨像の最大の弱点にたどり着けると、勝利を確信できるような雄々しい音楽が鳴り響き興奮を誘う。

 最後の一撃を与えた際は逆に無音となり、ワンダの励声がこだまする中、神秘的な音楽とともに巨像が倒れる。

 巨像戦の1つ1つが、濃厚な映画をみているような印象を与える、非常にドラマチックな演出だ。

 そして音楽が変わる/流れる=正解に近づいていると、言葉がなくても判断が出来、全ての要素がゲームシステムを効果的にしている。

 余談だが戦闘時の曲は16体分あり、そのどれもが最高なのでサントラを買おう。


 さて、ここからこの偉大なる名作を、上層部はどうやってクソゲーにするのかをシュミレーションしてみよう。


/*----------お詫び----------*/

耐えられそうにないので、ここでお詫びです。

ワンダと巨像の関係者の方、ファンの方、大変失礼な真似をしてまことに申し訳ございません。

貶める意図は微塵もありません。

僕にとってはゲーム作りの考えの礎になったソフトだし、オケコンに行くレベルで大好きな作品です。

気分を害されてしまったならば、深くお詫び申し上げます。

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 クソゲーの制作者は、得てしてテレパスであり、みんな同じ土壌を持っていると思っている。

 そして主観でものを考える生き物だ。そのため視点の違いを分かっていない。

故に、「試行錯誤する人を狙っているのだから、触っていれば気づく」とヒントを与えない方向に舵を切る。

 考える要素を増やすため、掴めそうな場所や足場となりそうな表現差分も減らす。

巨像の弱点も全て隠すし、ドルミンの助言も全てカットだ。

 ワンダとドルミンの会話も極力そぎ落とす。例えば、少女を蘇らせる(=少女は死体)という言葉をあえて出さず、「願いを叶えてくれ」とだけ言う脚本にOKを出す。

 しまいには映画的効果を狙い、アクションゲームなのに体力、腕力ゲージを消してワンダのモーションだけで限界かどうかを表すようにする。腕力の回復も同様だ。


 さあ、ユーザーテストの結果だ!

何故かな、反応はいまいちだ!

感想の大体は「掴むボタンを押しているのにワンダが落ちる」「巨像の倒し方が分からない」「弓矢の使いどころが分からない」「物語がいまいち分からない」に集約されている。

 どうやらプレイヤーの理解が足りていないようだ。


 気を付けたいのは、クソゲーの上層部の連中は、常に最悪の決断を下す。

意見の本質を探ろうとせず、言葉をそのまま受け取るからだ。


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■「掴むボタンを押しているのにワンダが落ちる」

 「掴む」の行為が重要なゲームなのだから、プレイヤーが知りたいのは行為に対する「制限の判別」と「管理方法」だ。

ターン制RPGみたいな静止状態が主なものならばいいけれど、その状態が少ないアクションゲームならば、キャラの動きで状態表現することは状況によって判断の差が出てしまう。

 巨像に振り回されている状態で腕力が減っていることに気づけるのか?

 動き回る巨像の上にいるときに腕力が回復していることをどう伝えるのか?

 そう考えると、分かりやすくメーターやゲージで視覚化してあげることが最適であると分かりやすいだろう。

どんな状況でも情報量が変わらないのだから、プレイヤーは安心して巨像によじ登ることができる。


 しかし、クソゲーの上層部は「モーションを分かりやすくする」「ピンチ時のボイスを追加する」「音楽を変える」という選択をする。

 プレイヤーの知りたいことを無視し、上層部の視点だけを押し付けてくる。


 この3つの改修がまずいのは問題点を解消できてないところにあるし、対応する影響範囲が広がってしまっていることを理解できていない。

 音楽の変化やボイスを再生するならば、そうなるための条件を追加仕様としていれなければならない。

腕力ギリギリのときと、最大の弱点に近づけたときの曲は、どちらが優先されるのかも決めないといけない。

巨像16体に対して個別に曲を用意するのかの判断もいる。

 モーションを分かりやすくする場合も、そのときの体制ごとにどういう動きにするのか、繋がりの再調整が必要になってくる。

最悪の場合、ワンダの腕力がギリギリのときの巨像のモーションを追加することも要求してくる。

 そしてプレイヤーの理解が得られないと、より上層部の視点の補足的な要素を足すのだ。

勿論、追加工数と費用は出さないよ!

今の開発スケジュールじゃ間に合わない?

調整しなよ、それが仕事でしょ?


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■「巨像の倒し方が分からない」「弓矢の使いどころが分からない」

 この2つについては、攻略のきっかけさえ分かればいいので、裏を返せばヒントの見方を教えてあげればいい。

 巨像を倒すという目的が分かってさえいれば、弱点さえ分かればひとまず攻撃して様子見する。

 弓矢についても、手の届かない位置に弱点があるとわかれば、試しにそこに向かって放つだろう。

実際にそういう巨像がいるのだから。

 故に、一定時間巨像への接触や攻撃がない状態が続いたら、弱点を見つけるための行為のヒントをドルミンの言葉で出すとすれば解決だ。


 クソゲー上層部はどうするか。

答えは「ことあるごとに弱点が分かるようなムービーを追加する」「ドルミンの助言を出すが、分かりやすさを優先する」「弓矢の的を彷彿とさせる模様を出現させる」。

 試行錯誤がメインのゲームで、考える余地を奪うなんて愚の骨頂だ。

 企画する際に建てた方針をまるで守っていない。

でもまかり通るんだな、これが。まぁ、お金払ってるからね。しょうがないね。

まずい点は書いた通りだが、せっかくなので詳細を説明してこう。


 まず「弱点が分かるムービーを追加する」ということは、前述した通り「考える余地を削ぐ」ことになる。

提示された通りに行動する、まさに作業そのもの。いわゆる脳を全く動かさない虚無的なものが生まれる。

流れ作業に楽しさを見いだせる人はまれだろう。

 こういった意見が上層部から出た場合は、巨像の最大の弱点に到達するまでのアクションの試行錯誤が面白いと思っている節がある。

笑えるくらいおかしい話だ。それならば、最初に力を入れるべきは「アクションの種類を増やすこと」である。

実際の『ワンダと巨像』はご存知の通り、巨像を観察し、限られた手段の中で知恵とひらめきによって最大の弱点を割り出して倒すのが楽しいのだ。

 そして、ムービーが流れる間=その分プレイする時間が止まることを意味する。

ためしに『ゼルダの伝説 時のオカリナ(N64/3DS)』で想像してみて欲しい。

ボス戦の開幕時に、Cボタン上を押してもいないしZ注目すらしてないのに、ナビィがボスの周りをぐるぐるまわり、「ヘイ、リンク! ここを狙えば倒せるヨ!」みたいな演出を強制的に流されたらどう思うか。(※実際のナビィはこんなことしません)

ナビィに罪はない…上層部が悪いんや…。


 なお差し込むのが一概に悪いわけではない。

『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面(N64/3DS)』のオドルワ戦、『ニーアレプリカント(PS3/PS4)』の崖の村のボス戦を思い出してほしい。『ゼルダの伝説 時のオカリナ』ならツインローバあたりか。

 闘いの最中にムービーが追加されるのは、「敵の動きの規則性が変わるとき」か「敵の造形が変わるとき」か「地形が変わるとき」だ。

戦略を変える必要があるから、ムービーを差し込まれても「次にボスはどうくるのか」という緊張感が保たれるし、もし負けてしまった場合でもタイミングが明確なので戦略を練り直せる。

 そして考える余地は変わらない。有効手段や弱点は見抜かない限り不明だし、そもそも新しい攻撃方法に対応しないといけないからだ。

 タイミングやゲームのメインに合っている演出かどうかが重要になる。

 ゲームを止めたくないなら、『キングダムハーツⅡファイナルミックス(PS2/他)』の留まりし思念戦の超乱舞みたいに画面を薄暗くして攻撃パターンの段階が変わったことを知らせるとかね。


 「ドルミンの助言を出すが、分かりやすさを優先する」についても同様だ。

上層部はゲームの世界観は関係なしに、とにかく分かりやすさだけを追い求める。

そのため何故かヒントの表示タイミングを分け始める。

地上にいるときはこうしろ、巨像に近づいたらこうしろ、巨像にしがみ付いたらこうしろ…。

 こうなると考える余地はないし、下手したらドルミンの傀儡感が増すし、何故いちいち指示されないといけないのかと嫌悪感も沸く。

 しまいには指示がうるさいからゲームをやめるということにも成りかねない。

 ムービーと同様で、ゲームの方針にあった助言に留まっているかどうかが重要だ。

 オプションでオンオフをつければいいとか、そういう問題じゃないんですよ。

そんなことをしたら、ドルミンの神秘性が一気に崩れる。

サウンドのボリュームを変えるもんだと思ってるなら、大間違いですよ。


 「弓矢の的を彷彿とさせる模様を出現させる」は最悪の案だ。

もうウンザリしているかもしれないが、これも考える余地がなくなる。

実装する場合の影響範囲は広い。エフェクト追加、的の模様デザインとモデルの調整、剣で攻撃した場合の仕様追加、狙わないといけない理由の提示および応酬が必要になってくる。

 狙わないといけない理由の提示および応酬の補足を言うと、行動したことに対して報酬がない場合、的を狙うという行動が思考に定着しない。

だから優位な状況になりやすいみたいなリターンを分かりやすく出さないといけない。

考えただけでも大工事になりそうだね。

 さて、この弓矢だが、ゲーム上だと、「決定打を与えられない武器」なのだ。

サブ的なポジションの武器を、リスクを負ってまでわざわざ目立たせる必要があるのか?

 弓矢の役割を理解できていない人が上層部にいるからこその案であることが明確だ。弓矢の所持を設定したのは自分なのにね…。

 ちなみにマジでやばい人は、「弓矢を消そう」と言ってくる。

手段を1つ消すことによる損失をまるで考えていない。

そしてその影響範囲を考えるのはいつだって下っ端だ。


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■「物語がいまいち分からない」

 これは脚本を修正する一択だ。しかし原因を突き止めないと意味がない。

 前にも書いたが、実際の『ワンダと巨像』の物語は非常に分かりやすい。

『ワンダと巨像』は、いうなれば「青年が少女を蘇らせるため禁足の地を訪れ、神のようなものと契約を交わし、自分の願いと引き換えにそれの望みである巨像を倒していく物語」だ。

細かい設定がなくても、ワンダの進む動機は明確で主軸もブレることがない。死者蘇生が目的だから神のようなものに頼る行動原理も理解できる。


 対して、クソゲー化したときに設定した物語を見てみよう。

”ワンダとドルミンの会話も極力そぎ落とし、例えば、少女を蘇らせる(=少女は死体)という言葉をあえて出さず、「願いを叶えてくれ」とだけ言う…”と修正したのでこうなる。

「青年が少女にまつわるっぽい願いを、神っぽい存在にお願いして、とある叶えてもらうために頑張る物語」

 物凄くフワフワしている。青年の目的が分からないから行動原理も不明だし、少女は何のためにいるのかも理解できない。神っぽい存在に頼むほどの望みなのかも分からない。


 開発側は資料を持っているから物語の設定を知るタイミングはたくさんあるが、プレイヤーは目の前のイベントが全てだ。

必要最低限の情報すら与えていないのなら、理解できる人の数が少ないのは、火を見るよりも明らかである。


 セリフの変更が可能ならば、その範囲で何とか修正して少しでも分かるようにするべきだ。

 セリフ修正が無理なら、世界観を崩さない程度に、いっそのこと『スターウォーズ』の冒頭みたいにテロップを流して説明してもいい。

『バイオハザード』みたいに、日記帳や写真から情報を拾える形にしてもいい。

 理解できないものに付き合ってくれる人は非常に少ない。

 それなのにクソゲーの上層部はなぜか、有益な情報を与えてくれないものだとしても、プレイヤーは全てを吟味してくれると信じている。

プレイヤーが理解できるような理由を提示せず、一方的に物語を押し付け、「分からないが分からない」と言ってくる。

 ムービーは必ず見るし、セリフは全部読むし、内容は理解してくれるのが当たり前でしょ? 目の前にあるのだから。

 これが当たり前なのだ。

 だから頓珍漢な修正を指示してくるのだ。


 この話で述べている上層部の意見を無事に反映したゲームがどのようなものになるのか、もう分かるだろう。

下っ端が必死に説得したとしても、上層部の連中共は、『出エジプト記』のラメセスのように「俺の考えが正しい!」と全て跳ね返す。


 面白いのは、下っ端には理由や理屈を求めるくせに、上からの指示には付けなくていいと思っている所と、それでいて自分は論理的に話していると思っている所だ。

まあ、神だもんね。しょうがないね…。

 こうして、日々クソゲーを量産していくのだ。


 クソゲーを作りたければ、神に歯向かう真似はせずに、言われたことをそのまま実装するの吉です。


/*----------お詫び2----------*/

※ワンダと巨像の関係者の方、ファンの方、重ね重ね失礼な表現をぶつけてしまい申し訳ありません。本当にごめんなさい。

実際のソフトは名作です。考えて進ことの楽しさが詰まってます。

ゼルダが好きな人は絶対にハマるよ! 動くダンジョンに挑む感じで超楽しいよ!


/*----------ここから独り言----------*/

※誇張しすぎでしょ、と笑う人がいるかもしれません。しかしマジ話なんですよ、これ。しかも業界あるあるなんだぜ。

書いてて胃が痛くなってきたよ…。

なんで『ワンダと巨像』みたいな名作を生み出せないかって、こういうことですよ…。

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