第3話 探偵の微睡み


 客が説明を終えたあと、部屋には沈黙が1分だけつづいた。沈黙を破ったのは未央みおだ。


「まずはっきりしているのは、ぼくを襲ったのは、ジュエルコレクタではあり得ない」

「ですが、警察もマスコミも――」

「ぼくより警察を信じるならば、ここに来るはずはないが?」

 ぴしゃりと未央が言うとうつくしい客はうなずいた。

「……貴方の推理をうかがいましょう」

 その表情は、心なしか明るく見える。


「ジュエルコレクタがぼくを害するなど、ありえない。考えるまでもなく自明だ。だがこれでは推理とは言えんな」

「それは無論」

「推理は簡単だ。ぼくの傷は、後頭部にあった。つまり、うしろから襲われたわけだ」

 未央が剣道の高段者であることはつとに有名だ。それが一撃で倒されたことを鑑みても、背後から不意を襲われたという推測はまず穏当だろう。


「ところがぼくは、ジュエルコレクタの退路を押さえて、彼が逃げてくるのを待ちかまえていた。とすれば、ぼくはどちらを向いていたと思う?」

「……ジュエルコレクタがやってくるはずの方向ですね」

「ならばぼくが後頭部を殴られるなど、あり得ない。ちがうかな?」


「では、だれが貴方を?」

 依頼人は目をかがやかせて先を促した。

「無論、窓に細工して窓枠を外した者だ」未央は首を横にふった。「遺憾ではあるが、警察のなかの、裏切り者だよ」

「まさか」

「残念だが、まちがいない。なぜならぼくがそう推理するのだから。裏切者の警官がわざと退路をつくり、ジュエルコレクタを誘導した」

「なんのために」

「サファイアを横取りするためだよ」

 まったく不愉快だとばかりに、未央は顔をしかめた。つられて客も、うつくしい顔をゆがめた。



「なるほど真犯人についてはそれで片がついたとしましょう。では、ジュエルコレクタはどうやって逃げおおせたのでしょうか」

 客が問うと、未央は皮肉に笑った。

「その警官が、まちがってぼくをなぐり倒しているすきに、よこをすり抜けてったのさ。あわてた警官はぼくを捨ててジュエルコレクタを追ったのだろうが、逃がした獲物には、そうかんたんに追いつくもんじゃない。まったく、骨折り損のくたびれ儲けだ」

 あと1分ほどで再び微睡まどろみに落ちると、有為ういが合図し、未央はうなずいた。


「ぼくはジュエルコレクタを捕まえそこね、警官は宝石を奪いそこね、ジュエルコレクタだけはまんまと逃げ果せた。得したのは、彼だけだな」

「でも彼も、名探偵を失いましたよ?」

「失ってはいない。こうしてここで、生きている。だいいち、ぼくが消えたとして、それはジュエルコレクタにとっての喪失ではない。むしろずいぶん仕事がしやすくなって、喜ぶだろう」

「ほんとうに、そう思いますか?」

 長いまつ毛を伏せて客は返した。問われた未央は、客をじっと見た。伏せたまつ毛がさざ波のように揺れた。


「いや――いまのは間違いだ。心にもない皮肉をいうのがぼくの痼疾だ。どうか忘れてくれ」

 未央は椅子にふかく座りなおし、背筋をまっすぐにした。

「ジュエルコレクタがふかく心をいためているとは、むろん了解している。そんなこと、殊更ぼくが言うまでもなく、彼はわかっているはずだがな」

「どうしてわかるのです?」

 客は目を焦がすほどにかがやかせた。あるじは柱時計に目を置いたまま答えた。

「彼の好敵手となり得る者は、ぼくをおいて他にないからだ。ぼくにとっての好敵手も然り。この世で彼を最も解するものは、ぼくだ。そして彼を捕まえ得るのも――」

 そこで未央の言葉はとぎれた。客と有為のまえで明眸はみるみる光をうしない、脱けがらのような表情だけが残った。



「……置いてきぼりにされてしまいましたね」

 人形のように表情を失った未央を、しばらく呆然と見つめた客は、さきに立ちあがっていた有為を見あげて言った。


「貴方はいいでしょう。聞きたいことは、聞けたのですから」

 つめたくかえす有為に客は、はかなげな、だが愁いの晴れた笑顔を見せた。彼はゆっくり席を立ち、こんどは有為を見おろし言った。

「今日はここに来てよかった。の、頭脳が健在だと知れたから。日にわずか10分だとしても。有為さん――でしたか。彼にお伝えください。が待っておりますと。貴女はわかってくださいましょうね。彼の完全な目覚めを、私はだれよりも心待ちにしているのです」


 もう客は背を見せていた。彼の愛する宝石よりよほどうつくしい印象が、有為の胸に残った。



(了)


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三時の名探偵 久里 琳 @KRN4

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