葉月の夜、二人で

一ノ瀬 香

第一章

夏なのに風が冷たくて、夜の道は真っ暗で街灯を頼りに一本道を歩く。


周りの木々が揺れているのを眺めながら、いつもと変わらない景色の中を一人、足を進める。


「ねえ」


空は分厚い雲に覆われてしまっていて星一つ浮かんでいない、そんな寂しい夏の夜。


「ねえって言ってんじゃん」


後ろから肩を掴まれてびっくりして、肩を竦めて振り返る。


『…かず』


イヤフォンを耳から外して後ろにたっているスラリとした背の高い男を見上げる。


「ずーっと声掛けてたんだけど?」

『ごめん、気づかなかった。』

「そうやってイヤフォンしてると危ないよ」



お腹にだらりと落ちた線を掴んだ彼が自分の耳にイヤフォンをはめる。



「こんなにおっきい音で聞いてるから、俺の声に気づかないんじゃん」

『それは、ごめん』

「だれかに追いかけられても気づけないくらい大きい音で音楽流すの禁止」


ほっぺを膨らまして怒るかずに、ごめんって謝って2人で並んで夜道を歩く。


『てか、迎えに来てくれたの?』

「そうだよ、帰ってくるの遅いから」


いつもソファでだらってして、私の帰りを待ってるかずがわざわざ外まで迎えに来てくるなんて珍しい。


『お仕事終わらなかったの』

「残業?」

『うん』

「ふーん、ね、俺この曲きらーい」

『えー、いい曲なのに』


変えてって強請ってくるから、パスワードを開けてケータイをかずに渡す。

音楽アプリを開いたかずが楽しそうに、携帯の画面を見つめながら少し速度を緩めて、歩く。


『っ危ない!!!』


キョトンとした顔で携帯から顔を上げるかず。


『かず、危ないじゃん!もうちょっと外出てたら車に当たってたよ!』

「…ほんと?」

『嘘なんてつかないよ!』


じわっとシャツに汗が流れる。

私がこんなに焦って大きな声を出しても、かずは慌てる様子もなく私の顔を見つめている。

イヤフォンからはかずが選んだバラードが流れている。


『もー、ケータイ返して』


さっきまで私がかずに注意されてたのに、ものの数分で立場が逆転した。


『かず、危ないからこっち歩いて』


車道側にいたかずを後ろから回って内側に追いやる。


「やだよ」


イヤフォンが絡まるから1度耳から外してかずの耳からも自然と落ちたものを拾う。


「車道側に女の子歩かせる男いる?」

『そういう問題じゃないの』


すぐさま私の肩を掴んで内側に移動させるかず。

不貞腐れたように手をブラブラさせてまま歩く姿が子供みたいで可愛い。

言ったら多分もっと機嫌を損ねるから黙っておくけど。


「あのね、俺のことはどーでもいいの」

「だからちゃんとして」

『…かず?』


急に立ち止まるから、私の耳からイヤフォンがするりと抜けた。


「自分のこと自分で守って」


大真面目な顔でそんなこと言ってくるかずに思わず笑ってしまう。


『わかってるよそんなこと』

「わかってないよ、」


小さい声でそんなことを言うかずに近づいて、ほっぺを触る。

揺れる瞳と寂しそうな表情が相まって、飼い主に見放された犬のようだ。


『大丈夫だよ、心配しなくて平気』


二人の耳から外れた、地面に着いてしまいそうなイヤフォンをカバンにしまって路側帯の上を綱渡りのように歩く。

数歩進んでくるりと振り返る。


『それに、かずがいてくれるじゃん』


浮かない顔で下を向くかずに向かってそんな言葉を投げる。


「…そうだね」

『でしょ、かずが守ってくれるから私は大丈夫なの〜』


うっすらと笑ったかずの手を引っ張って、白い線の上を歩く。


「でも、もう夜はイヤフォンしちゃだめ」

『えー、嫌だ寂しいもん』

「じゃあ、毎日迎えにいってあげる」

『…生意気』

「なんか言ったー?」

『ヒモのくせに生意気って言ったのっ』

「ひどっ」


ははって独特の笑い声を響かせて、かずの手首を持っていた私の手を反対の手でほどいた。


離れた手をすぐに掴んで手のひらを合わせてぎゅっと絡ませる。


『…暑いよ』

「いいの」


じんわりと伝わる体温が気持ちよかった。

鼻歌を歌いながら隣を歩く存在が愛しかった。







『私今日プレゼンの打ち合わせあるから、帰り遅くなるからね』

「えー、またー?」


ベッドにうつ伏せになって、枕を抱きしめながらそう言う君。


『ご飯適当に食べてね』

「うーん、」


アイマスクを首に下ろして目を擦ってるけど、全然起きれてないっぽい。


「かえり、、でんわ、して?」

『わかってるよ、じゃーちゃんと起きるんだよ?』

「…うん」

『いってきまーす』


しょぼしょぼの目と目が合って、ゆっくり手を振られる。

鍵を閉めてアパートの階段を降りきったころで電話がかかってくる。


『なーに』

「しごと、がんばってね」

『あはは、ありがと』

「いってらっしゃい」

『いってきます』


15秒くらいの会話。

そんなに短い会話だったのに手で口を抑えないと、にやけているのがバレてしまうくらい口角が上がって仕方なかった。





かずとは今月の3日に出会った。

私とは同い年だけど大学を浪人しているらしく、今は4年生らしい。


家を追い出されて、友達の家に泊まりに来たけど、友達がまだ帰ってきていなくてエントランスのソファで眠っているところを、たまたま見つけて拾った。

拾ったというか、「友達が帰ってくるまでうちで涼めば?」と言っただけだったのに。


その日は外に出るだけで汗が湧き出るほど、気温が高くて、エントランスも夕方とは言ってもまだまだ暑かった。

腕で汗を拭うかずの姿を見て、ここにこのままいたら熱中症になるかもしれないと思って、ついお節介な発言をしてしまった。


それに警戒しつつも着いてきたかずが、なぜか家に住み着いてしまったという感じだ。


「友達のところ行かないの?」って聞いても、「香恋の家の方が綺麗だし居心地いいしだめ?」なんて可愛らしい顔で見つめてくるからダメなんて言えなくなる。


それに、かずはなんとなく放っておけないと感じてしまう。


ただの直感でしかないし、信じてもいいのか分からないけど自分の本能がこの人と一緒にいたいと望んでいた。

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