缶チューハイを抱きしめた男が占い師を訪ねる話

尾八原ジュージ

牧村くんと倉科さん

 お気に入りの毛布が手放せない幼児と根本的には同じなのだきっとそうだからカワイイもんだよね、などと自分に語りかけながら手に持った缶チューハイをちょっぴり啜った。ちょっとずつにしておかないと家までもたない。今日持って出たのはこれが最後なのだった。

 俺が住むアパートからこのクソ場末感漂う雑居ビルの二階、「占いの館」に到着するまでドアtoドアで二時間近くかかっている。ここの噂は姉貴から聞いた。なんかすごい当たる占い師がいるらしい、あんたも見てもらったらいいんじゃない、と。最近悩みがあってストレスでハゲそう、などとあの姉貴に相談した俺も相当トチ狂っていたが、それにしてもこんな場所を勧められるなんて思ってもみなかった、いやちょっとだけ思っていた。何しろあの人スピリチュアルとか好きだからな……ともかくチューハイをちょっとずつ啜りながら、俺は雑居ビルに入っていった。

「占いの館」には何人か占い師が所属しているのだろうか、何もない会議室みたいなだだっ広い部屋が、いくつかのパーテーションで区切られていた。しかし現在在室しているのは一番奥だけで、それこそが姉貴の言っていた「なんかすごい当たる占い師」なのだった。

「なんでストゼロもってんの?」

 その男の第一声はそれだった。俺の手元を呆れたように見ている顔を拝んで、なるほどなーと思った。二十代後半かと思われるその男は滅法顔がよかった。黒い長髪を無造作に括って片方だけ見せた耳には、シルバーとターコイズのピアスが三つくっついていた。占い師というよりはライブハウスのステージでベースでも弾いていた方が似合う感じの男で、まさに姉貴の好みど真ん中、いやほんとに顔がいいねこれなら正直俺もいけるわと思ったのはここだけの話にしておく。俺はチューハイをまた啜った。

「いや何で飲んでんのこんな昼間っから」

 理由なんか占いで当てたらいいじゃん当たるんでしょ、と思ったが口には出さなかった。俺は無言で男の正面にあったパイプ椅子を引いて腰かけ、俺たちは小さなテーブルを挟んで向き合うことになる。

「なんか倉科さん? 合ってます? 占いが当たるって聞いて」

「まぁオレが倉科だというのは合ってるよ」

「そっすか」

 さて、ここに座ってみて改めて気づく。俺はなにを相談しに来たんだっけ? この男に何を解決してほしいんだ? 何で困ってた? 相談していいことか?

「――えーとですね、最近よく眠れないんですけど」

「オレが言うのもなんだけど、それは病院に行った方がいいんじゃないかな……」

 倉科さんは第一印象で思ったよりも親切そうだった。

「キミ大学生?」

「っす。牧村です」

「眠れないから飲んでるの? やめた方がいいよそれ」

「いや、これは前からですね」

「やめた方がいいよマジで」

 倉科さんは俺と話し合うのを諦めた感じの溜息をつき、「まぁせっかく来てもらったんで、ちょっと見るよ」と言って両手を組んだ。指輪をいくつもはめた長い指で櫓のような形を作る。

「なんすかそれ」

「オレの占いはこうなんだよ」

 倉科さんはそう言って、三角形の隙間からこちらを覗き始めた。その瞬間、なぜか額に冷たいものを当てられたような感じになって、俺は思わずぎょっとし、手に握った缶チューハイをぎゅっと抱きしめる。

「キミ、女の子と揉めてるんじゃないの」

 倉科さんが呟くように話し始めた。「同じ年頃のさ、短いボブの、目の大きい、カワチ、カワ……いやカワニシか、下の名前はレイちゃん、レイナちゃん、レイカかも、彼女かな、互いの家を行き来するくらいは仲がいいよね。その子が夜な夜な顔をぺちぺち叩くわけだ。そうかそうか」

「なんで知ってるんですか」

 俺は思わず前のめりに尋ねた。

「知ってるんじゃなくて見てるんだよ今」

 倉科さんはそう答えた。うわごとのような口調だった。どうやら穴を覗いている間は、集中力がそちらに行って他のことはお留守になるらしい。

「シンク、シンクだな、アパートのちっちゃいキッチンについてる、水切り籠の中に包丁があるね、それだそれ、刃先が潰れてる、それだよ、クローゼットから出てきて顔をぺちぺち叩くわけだ。じゃあ寝れないね。なるほどね。それでなんだ、あれだよ」

 俺はチューハイを啜る。いつのまにか中身がこんなに少ない。もうほとんど入っていないじゃないか。これで家に帰れっていうのは無理だ。無理無理無理よりの無理。などと考えながらもう一口啜るともう空だ。缶を持った手が、腕が、全身が震え始め、世界中のなにもかもがギューンと遠のいて俺は雑居ビルの薄暗い部屋のパーテーションで区切られたこのちっちゃな空間で滅法よい顔面の倉科さんとふたりぼっちになり、ほかの全人類は別の星に移住してしまったような気がして猛烈に悲しくなってきた。なんてったってもうチューハイがない。ないのだ。こうなったら俺はもう世界にひとりぼっちの人類になるしかない。気がつくと俺は座っていたはずのパイプ椅子を手に持っていて、テーブルの上には倉科さんが突っ伏していて、その黒髪がほどけた後頭部を何度も何度もパイプ椅子で殴っているのはそう、俺だ。川西玲香の背中を刺して刺して刺したときと同じ、何てったってチューハイが切れたのだからそういうことになってしまった。なってしまったのだ。

 倉科さんはもう何も覗いておらず、言葉も発せず、時々全身がビクンビクンと痙攣した。俺は血のついたパイプ椅子を放り投げ、夢中で「占いの館」を飛び出した。

 倉科さん死んだかな。あの人俺の苗字知ってんだよな。缶チューハイも置いてきちゃったし凶器もそのまま、俺の唾液も指紋もばっちり残ってるしたぶん防犯カメラにも映ってる。これはもう詰みです詰み。詰み詰み詰み。何もかもチューハイがなくなったことが悪いんです。と、走っている俺の目の前に突然コンビニが現れた。俺はコンビニに飛び込み、あるだけのストゼロを籠に入れてレジに持っていった。

「袋いります?」

「おなしゃす」

 コンビニを出ると俺は缶チューハイを開け、がたがた震えながらちょっと啜った。途端に全人類が俺と同じ世界に戻ってきて、辺りには色彩があふれ、すべてのひとが愛と花束とを抱えて顔のある太陽の下で笑っているようなそんなステキな気分、その時俺のスマホが猛然と震動を始めた。

 誰かが俺を呼んでいる。たぶんきっと全然愉快ではない用事で。まぁ川西さんだいぶ臭い始めてたしね、仕方ないね。それでもチューハイの残りに余裕があるので、大概ハッピーな気分ではあった。めでたしめでたし。

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