レイの庭

レイ&オディン

第1話 マウントをされるのも意外とよいのでは?

実は、私は大学4年の就活生の時期なのだが、自分の身体の状態から就活をせずに実家の家業を手伝う事にした。

もちろん、実家の家業があるからこそできた選択で、そこは両親に感謝しているが、うちはそんなにいい会社ではないので(めっちゃ零細企業)、周りの人にいいなとか言われても正直困ってしまう。

ただ、こういう事をいうとなんか嫌な感じになるので、あまり周りには言えずにいる。


ただ、こんな環境下で違う大学に通う知り合いから愚痴のLINEが来た。

どうやら、就活生同士でマウントされるらしいのだ。

ここで、私がマウントはいけないよ的な事を言っても、「はいはい。いい子ちゃんでしょ。」みたいにしかならないし、私もそうやって言われるとむかつくので言わない。


そもそも、昔はどうやってもマウントをしたくなる時期があった。

自分はお前より優位である事をどうしても実感したいのだ。

あの時はまるで呼吸するようにかなり嫌味っぽいマウントを学生同士でとっていた。

それしかできなかった私たちは愚かだが、まだまだ可愛かったように思う。

そうしたマウントがあったから、実感した事がある。


現在の私はちょっとめんどい病気になり、誰からも相手にされなくなった。

病気になってからはマウントではなく、気の毒そうな目やめんどくさそうな目で見られる事が多くなった。

要するに、私はマウントをとるに値しない人になったらしいのだ。

だから、最近の私はマウントをとられる感覚を忘れていた。

マウント、マウント、あぁー、あのなんか自分優位ですけどみたいな感じのやつか。

これを愚痴った友人に言うと、さすがにちと呆れられた。

「なんか、最近ふけてないか?」とも言われた。

だから、最近の実情(上のマウントとられない的な話)を話すと、友人からは「ムカつかんの?」と聞かれた。

もう、むかつくとかそういう余裕はないのである。

あんまりに、周りにこういった態度をとられまくったので、最近私は悟りの境地に達している気がする。


そんなこんなだから、なんかマウントでもなんでも自分を気にしてくれる人がいるって大事だなって最近思う。

マウントをとるというのは、遠回しに自分と相手が同じくらいの実力だと思っているという事をいっている状態のようにマウントをとられなくなった20代女子は思うのだ。


マウントは結構ネガティブにとらえられがちだが、そんなに悪いものでもないんじゃないかと思う今日この頃である。


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