彼氏が来る前に消さないと ~可愛い彼女になりたい玲子はとある秘密を持っている~

野菜ばたけ@『祝・聖なれ』二巻制作決定✨

第1話 乙女の秘密を守り抜け



 待ちに待った彼氏が部屋にやって来る日、玲子れいこは真顔で呟いた。


「何が何でも、アレだけは隠し通さないと」


 彼がここに来るのは、何も今日が初めてではない。

 今までにも何度か上がっていて、その度に気を付けていた事に今日も気を付けなければならない……というだけの話なのだが、玲子にとってはある意味死活問題だ。



 一昨年大学進学を期に上京してきた玲子の地元は、日本地図の南の方にある。

 周りは田畑ばっかりの、何の変哲もない田舎だった。皆お酒が好きなのは、土地柄であり、受け継いだ血でもあるのだろう。夜になると近所の人や親戚が酒瓶片手にやって来るのは、わりと日常茶飯事の事。気が付けば老若男女関係なくどんちゃん騒ぎが始まって、子供ながらにそこに混ざって、麦茶を片手におつまみスルメを摘まんでいた。

 

 だから驚いたのである。

 東京こちらでは、酒を飲みながらどんちゃん騒ぎは滅多にしない。楽しくお喋りはするけど大口を開けて馬鹿笑いなんてしないし、酒の席に子供も連れて来ない。おつまみはスルメとかの乾物よりも、いぶりがっこや時にはチーズなんて出てくる。お酒と言えば日本酒と焼酎だと思っていたが、こちらではオシャレなワインや可愛いカルーアミルクなるものを飲む。


 カルチャーショックとは、きっとこういう事を言うのだ。

 二十歳になってバイト先のお兄さんお姉さんに連れて行ってもらった酒の席でそれを知って呆然とし、そこで言われた次の言葉に玲子は一人戦慄した。


「俺、酒の弱い子、好きなんだよね」


 別にその人に気が合ったという訳じゃない。しかし笑いながら「えー?」と言った同僚の女の子に、「一般論だって」と言っていて、彼女もまた「まぁ確かに、弱い子の方が可愛いとは思うけどさぁ」と返していたからきっとこれが東京の共通認識なのだろう。

 ヤバい、と思う。

 既に酒の席が始まって、15分。中には既に酔いが回ってきている人もいる。

 かく言う玲子も既に三杯目のハイボールを空けた所だが、まだまだ序の口、余裕である。

 周りを見ると、皆まだ一杯目のジョッキが開いていない人が半分以上。ヤバい。私、可愛くない。


 これじゃモテない。彼氏出来ない。彼氏欲しいのに。東京人の仲間入りして彼氏を作るの、夢なのに。


 だから玲子は決めたのだ。酒は弱いフリ、外では飲む量をセーブしよう。

 今まではそれ程気を使っていなかった女の子らしさにも気を付けよう。可愛く化粧して、バイトして可愛い服を買って、髪もそう、ハーフアップの編み込みとか、女の子っぽくて良いじゃないか。

 そうやって身の回りから変えていって、そんな意気込みが日常に根付くようになった頃、玲子にもやっと彼氏が出来た。


 特段カッコいい訳じゃない。だけど玲子にとっては大事な人で、だからこそ知られてはならないのだ。彼に嫌われたくないから。だから今日も玲子は、彼が来る前に家の中の酒という酒の痕跡を消しにかかる。



 まずは空き缶・空き瓶の抹消。

 一人暮らしも一年ともなれば、分別だって無意識に出来るようになる。綺麗に洗われ入れられたビン・カンの袋をそれぞれ片手で持ち上げれば、ガシャリとかチャリッとかいう音がした。

 次のゴミ収集の日まで、まだあと一週間ほどもある。にも拘らず、既に袋の半分くらいは埋まってしまっていた。次もちゃんと出さなければ。そんな事を思いながら、部屋の真ん中を横断し、ベランダの窓を開けて外に置き、扉を閉めて片付けた。


 辺りを見回し、次に見つけたのは霧吹き状の消臭剤だ。

 部屋の真ん中に立って、華麗に回転しながらシュシュッとやれば、心なしか毎日の飲酒で室内に沈殿していた臭いもスッキリした気がする。いや、これでも一応臭いについては普段からそれなりには気にしている玲子だから、酒を開ける時は窓も網戸にしておくし、夜寝る時は換気扇も付けておく。だからこれは、多分気分の問題だ。消臭剤のお陰で隠す度合いがまた一つ完璧へと近づく。


「えっと、あとは……あっ!!」


 忘れていた、と慌てて冷蔵庫を開ければ、そこにはずらりと小瓶の日本酒コレクションが。見るだけで楽しいこのコレクションは、最近の玲子の一人酒のお供で大事な相棒なのだけど、今日限りはちょっと隠れてもらうしかない。


「ゴメンねぇ~、ちょっとジッとしててねぇ~……」


 酒なのだから、ジッとしてても何も無い。そもそも物だから感情も無いが、なんせ大事な相棒だから「ゴメンね」の気持ちも一入ひとしおだ。押し入れの奥にスイッと隠し、改めて部屋の中を見回す。

 うん、完璧。



 安心して、玲子はベッドの上へと座る。

 この部屋は1K8畳の一室、それ程広い訳じゃない。そもそも普通に暮らしていれば、あっちもこっちも片付けなければならないという事にはならない。

 部屋には既に掃除機も掛け終わっている。さっきのは最終チェックだったので、余裕で彼の訪問を待てた。



 やがてピーンポーンとチャイムが鳴る。


「あ、来た来た。はーい」


 ゆっくりと扉を開けると待ち人が立っていた。

 こげ茶色に染められたネコッ毛の髪に、平均より少し痩せているかというくらいの長身。メガネの向こうから覗くこの優しいタレ目が、どうしようもなく私は好きだ。


「はい、買って来たよ? ブナシメジ」

「ありがとー、やっぱりカレーにはブナシメジが無いとね!」

「確かにキノコカレーは美味しいけど、そんなにさも『カレーにブナシメジは常識』みたいな言い切り方する人初めて見たよ?」


 眉を下げてクスリと笑う彼が少し可愛くて、玲子はムッとした顔を取り繕いながらもそれ程悪い気はしない。彼を部屋へと上げてから、受け取ったブナシメジをキッチンに置き腕をまくる。

 他の食材は既にキッチンの上に用意してある。彼が着たらカレー好きの彼と一緒に作る約束をしていたのだ。


「よしじゃぁまずは、ジャガイモを洗って――」

「あ、俺先にトイレ貸してもらっていい?」

「どうぞー」


 なんせ一人暮らし用のマンションなのだ、トイレはキッチンの斜め後ろにある。後ろからガチャリという音がして、人の気配が一旦個室の向こうへと消え――。


「ねぇ玲ちゃん」

「んー?」

「これ、何だろう?」

 

 「どれー?」と後ろを振り返って、ピシリと固まる。

 トイレの床へと向いている彼の視線の先には、茶色の段ボールが置いてあった。一見すると、何の変哲もない段ボール。しかし玲子は良く知っていた。それがだという事を。


 ちょうど洗い始めたばかりのジャガイモが、シンクに落下しゴォンという音を立てた。まだ包丁を手にしていなかったのは幸いだ。でなければ、取り落とした包丁が最悪床に刺さっていただろう。


「あぁぁあの、それは――」


 そんなものがこんな場所にあるのかというと、一気に掃除機を掛けたくて、廊下に置いてあったのを近かった別の個室トイレに置いたからだ。その前に既にトイレは綺麗にしていたし、段ボールに入ってるからという事で、いずれは口に入るものをそこに置く事には何の忌避も感じなかった……のだが、自分のズボラを呪いたい。

 どうせクローゼットの中に隠すんだし、横着せずにそっちに持って行ってさえすれば、こんなピンチは無かったのに。心の中でそんな悲鳴を上げながら、慌てて言い訳を考える。

 大丈夫、置いてあるのは段ボール。中が見えなければ、まだ十分取り返しは付く。

 

「あ、封開いてた」

「えーっ?!」


 そうだった。昨日やっと待ちに待ったブツが届いて、どうしてもそのご尊顔を拝したくなってしまったのだ。だから開けた。飲む時まで、否、せめて明日まで待てば良かったものを。


「……ん? 『辛口芋焼酎』?」


 あぁもうダメだ、と諦めかける。が、もし彼にこの隠し事が全てバレてしまったら。誰だって、彼女は可愛い方が良い。

 嫌われる、かもしれない。そう思うと耐えられない。


 確かに彼は世にいうイケメンではないし、ぽやっとしていて頼りになる感じはちょっと薄い。けど、とっても優しい人なのだ。

 忘れもしない、初対面。大学の構内で一人うずくまり涙目になっていた時に、彼だけが声を掛けてくれた。靴ズレのせいだと知った後も「そんな事かよ」とは言わず、カバンから出した絆創膏をくれた。そんな小さな事にも気がついて、優しい彼が玲子はとても好きだった。

 だから嫌われるとか、無理無理無理無理! 頑張れ私の脳みそよ、何か素晴らしい言い訳を――。


「あ、あぁー、実はコレ新種の化粧水で!」

「化粧水?」

「うん、お酒を使った化粧水って結構あるのよ。中でもこれは『限りなく本物に近い見た目でインテリアとして置くのも良し!』みたいなのを売りしてて!!」


 声が裏返りながら、それでも何とか「お、面白いよね?!」と言い切ると、彼は些かの沈黙。玲子の心臓は早鐘な上に除夜の鐘のように低く体を揺らす。

 どうしよう、やっぱりキツイか? そう思った時だった。

 

「へぇ、面白いことやってるんだね、今の化粧水っていうのは」

「そっ、ソウダヨネー、あははははははっ」


 ど、どうにかやり過ごせた……。


「これ、トイレから出しちゃってもいい? 入れないし」


 そう言われ「あ、そうだね」と答えると、段ボールを彼がヒョイッと持ち上げた。


「どこに置く?」

「あー、そうだね……じゃぁこっちに」


 これ以上の事故があったら堪らない。もうクローゼットに運んでもらっちゃおう。そう思ってリビングのクローゼットに誘導する。

 扉をガラッと開けながら「じゃぁそこに」と場所指定に指をさしながら見れば丁度その指の先に、なんとさっき冷蔵庫から出したあの日本酒コレクションがお行儀よく七本並んでいる。

 スパァンッと扉を閉め、振り向いた。


「や、やっぱりそこの方が良いや」


 無理やり笑顔を取り繕いながらも、心の中は「見られた? 見られた?!」と大パニックだ。が、それもキョトン顔の彼がふわりと微笑んで「うん分かった」と言ってくれたから、すぐに安堵へと変わる。

 良かった、見られていなかったみたい。

 

「よしじゃぁカレー作っちゃお!」


 安心すれば、また彼と一緒の時間に対する高揚感が心の舞い戻って来た。

 やる気満々でそう言うと「うん、その前にトイレ行ってからね」と言われて、そうだったと思い出す。



 今度こそ個室に消えていった気配を尻目に、玲子はシンクに落ちたジャガイモを拾い上げた。

 手元で水音をジャージャーさせる。だから彼女は気付かない。


「アレで隠せてると思ってるんだから、うちの彼女は超絶可愛い」


 薄いドアをたった一枚隔てただけ。すぐ近くの個室で彼が口元に手をやって愛おしそうにはにかんだのを、彼女は知る由もない。


~~Fin.

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