第41話 理知と鮮やかさを結い加える⑨

 粛清と佇むの閑谷が指摘するのは、オレが暴力と窃盗を企図したことへの否定。そして第一発見者で同行している男性の被害者らしき老婆に対する誠意の欠如。特に後者は、オレの想定を遥かに上回る大衆という名の閑谷の味方が、首尾をちゃんと知らなくても共感を得るだろう。


 何気ない行動心理の矛盾が信憑性を消失する場合がある。つまり苦境に立たされていた加害者疑惑のオレの形勢が、閑谷の台詞と、それに乗算される多数派の民意が好転へと促進させる。


「……確かに。それは俺の対応があまりにも杜撰だったと思います、認めましょう」

「はい」

「だけど、まだ疑いが晴れた訳じゃない。彼が貴女と同じ考えか否か、分かりようがありません。事実おばあちゃんは怪我をしているんですよ」


 相手を見間違えたのではという閑谷の助け舟を、額を両側がやや後退した箇所の汗を拭いながらも、男性はまた無碍にしてしまう。流石にこの民衆の反応も肌で感じ取れているだろうし、もうオレがどうとかよりも、引くに引けなくなってしまっているみたいだ。


「そうですね、痛々しい切り傷がお婆ちゃんの右目付近にあります……掛けているメガネも割れていることからその破片で裂かれたものでしょう。でも、お兄さんは殴られたと言いましたよね?」

「……さあね、去ろうとする後ろ姿を見ただけなの——」

「——そこです。お兄さんはこの男の子の後ろ姿しか見ていないんです。そしてお婆ちゃんの切り傷を一目見て、倒れていたなら分かなくもないですが、殴られたと判明しているのは何故なのでしょう? 私でも破片か何かで切れちゃったのかなくらいの感想でしたから、事実殴打痕も見受けられませんし、どうしてそう思ったのか? 不思議です」


 老婆の傷だけで殴打と断定するのは変だ。

 しかし老婆の発言を鵜呑みしたか、倒されたことを殴られたと変換して形容しただけしれない。だが男性のさきほどの受け答えから、くだんの蓋然性は大きく下がった。


「……そ、それはこのおば——」

「——あっ、お婆ちゃんから介抱するときにそのように伝えられた場合もありますが、貴方は今さっき、さあね、と曖昧にしましたよね? もしお婆ちゃんから聴いていたなら、そう言っていたよ、になると思うんです」

「な……」

「つまりお婆ちゃんから聴いていた訳ではない、これは貴方自身の解釈だったと受け取れるのですが……」


 この一件はオレを足止め、被害者の老婆じゃなくて何故か発見者の男性が主導で話が進んでおり、そんな彼の言い分がベースになっていた。杖が必要なくらい容態が芳しくない老人だから代わりを担っているとすれば納得も出来るが、仮に不用意な尾鰭おひれを幾つも盛り込む人物だったとしたら、そもそものベース、会話劇の根幹ごと覆る。


「……ああ、殴ったというのは正直なところ分からない……決め付けた部分もある」

「でしょうね……あとはそうですね。お婆ちゃんになにも聴いていないのだとしたら、金目のモノを奪ったというのは——」

「——何かを持ち去った気がしたんだ。となると大抵が財布だろうなって」

「確証はなにも無いんですね?」

「ああ……」


 男性の元々の発言が悉く転じる。最初はたった一つの怠慢でもここまで連鎖すれば、彼の主張そのものが欺瞞染みてくる。ここに居る誰もが信用に値しないと内心で断じたことだろう。すると閑谷は、そんな男性ではなく老婆の方を眺めて質問し始めようとようやく体勢を変えた。推理とは脱線するけど、本当に微動だにしていなかったから少し驚く。


 現状第一発見者としての説得力を完全に失った男性への糾弾するのは、これ以上無意味だ。そして少なくとももう、オレを加害者と見做している周囲の人たちは皆無となっているだろう。一言も発していないオレへの生暖かい視線も微妙に感じるし、間違いない。

 なんせ……本人の表現だと探偵役の閑谷が、オレの暴行と窃盗の容疑を晴らした訳じゃないが、男性の信用度を失墜させたことで、そんな事実そのものが疑わしいものであると誘導してくれたおかげだ。


 恐らく男性はここまで追求されると想定した計画だったはずだ。あまりにもこの三十分の流れとおかしな部分が散見されるし、別に殊更挙げることではないけど、本当にショッピングモールの方角から歩いて来たのなら、オレと対面しないといけなかった。ましてや真後ろから肩を掴むなんて、杖をつく老婆と一緒なら確率論として低過ぎる。だってオレはそのショッピングモールに向かおうとしていたのだから。


 なのであとは、この老婆がオレじゃないと発言すれば、全く関与していないことの証明にもなる……そう簡単に行けばいいが、この二人には懸念点がある。


「それでお婆ちゃん。この男の子になにか危害を加えられたとか、ありませんよね?」

「……おばあちゃん、もう——」

「——いやっ、このガキに違いないわい!」

「……そっか。これだと言う通りになっちゃうな……」


 男性はもうとっくに心が折れるが案の定、老婆はオレが加害者だと言い張る。ここまでくると最初の言い掛かりが表面化する……いや二人からしたら、それじゃダメだ。それとなくオレを人影のないところに導くことが至上命題だった。ここで閑谷といになっている時点で狂いが生じ、大衆に見守られる環境になったのがとどめだ。この瞬間に目的が果たされないと決定付けられた。既に勝機は、ハリボテの探偵役である閑谷にしか残されていない。

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