第39話 理知と鮮やかさを結い加える⑦

 勇ましい足取りの閑谷の後に続いたオレは、ただでさえ癇癪を起こしていたのに散々待たされて更に苛立ったらしい歪んだ顔をする老婆。そして涼しげな表情こそ取り繕っている様子だが、両眼の最奥から全くの無関心が漂う男性が対比的に横並んでいる。


 そんな二人を見て、オレはどちらにも異なる畏怖を抱く。憤怒が表面的に晒されている怖れと、不快感を内心に秘めた冷徹人種への畏れ。きっと閑谷が味方に居なければ、もっと怯んでいたに違いない。


「すみません要件は済みました……」

「はい、じゃあ早速——」

「——あのあの。つかぬことを訊ねますが、お二人ともこの男の子と知り合いじゃないと伺いました。てっきり私は気軽に肩へと触れていたからお身内の誰かなのかなーと思っていたのですが……よろしければ理由を聴いても良いですかね? あっ、もちろん言いたくなければそれで結構です。ただ……実は私と彼はどうやら目的が同じらしくて、このまま解放して頂くことは出来ませんか?」

「へぇー……解放ですか……——」


 閑谷は物腰柔らかに、まともな論理が通じそうな男性に声を掛けている。というより、男性が老婆を遮ったせいでそうならざるを得なかったと言うべきだろう。

 ここまでは閑谷の台詞と相手の出方、ともに想定の範疇。オレと取り決めた最初の温情。これで済むならそれで良い。


 つまりこの閑谷による対応は、老婆と男性がオレとの一件を諦めて引き下がってくれるのなら不問にして見逃す。もちろん顔を憶えているし簡単な探偵による調査こそするかもだけど、概ねその解釈で問題ない。

 しかしこの二人がもし閑谷の提案を断り、オレに食い下がってこようものなら、残念ながら容赦はしない。


「——それは致しかねます。なんせこのおばあちゃんはあの男の子らしき人物に殴られたんです、俺も見てます。なのにみすみす逃す訳にはいきませんよね? お嬢さんにも、それくらいの理解はできますね?」

「あ……なるほど——」


 これは全てを穏便の下に収束させる交渉の決裂を意味する。この人が冷静な判断が可能なら大人しく諦めてくれると踏んでいたが、どうやら相当な焦燥があるらしい。理由としては金銭問題とか、オレ自身やオレのような格好、体格、年代に対する恨みか、ただただ閑谷を小娘と侮ったのか。

 何にせよ老婆と男性が正式にオレと閑谷と対抗の意見を主張しているのだから、こっちだって言い分はある……論じるのは主に閑谷だけど。


「——なら是非、私にもその経緯をお聞かせ頂いてもよろしいでしょうか?」

「えっ……いやいやお嬢さん、貴女には関係ない話ですから……」

「この男の子がそこの目元を怪我しているお婆ちゃんに暴力を振るったのですよね? ならまずは具体的な時間、場所、考えられるなら動機を教えて下さい。私はお兄さんと同じ第三者として、彼の主張と照らし合わせてそれが事実であるか知りたいだけです」


 閑谷は思いの外、はっきりと物を言う。あとどうでも良いけどこの台詞はアドリブだ。オレが考えた部分じゃない。

 なんとなくクラスでは粛々としたイメージが少しあったけど、どうやらそうでもないらしい。確固たる自意識と信念、それが彼女を突き動かしているのかもしれない。


「第三者……俺もか?」

「はい。事実確認はまだ出来ていませんが、現状被害者がお婆ちゃん、加害者がこの男の子、発見者が貴方、要するに見ていただけの人です。そして私は聴いただけの人かな? 百聞は一見にしかずとは言いますが……私は本当にその一見が貴方にあったのかどうかを疑っている状態です。ですので、まず場所からお聞かせ頂きたいと願います」


 老婆と男性と適切な間合いを取りつつ、意外と透き通る声色で閑谷は訊ねる。ちょうどその真後ろにオレが棒立ちしていて、商店とショッピングモールを繋ぐ歩道の往来とあってか、何人かこちらを気にする素振りを見せ始めている。そらはさきほどまでのやれやれといった雰囲気じゃなく、どこか剣呑な顔色すら浮かべ出した様子だ。


 しかしこの辺りはおおよその計算通り、大衆の関心を惹き起こすたびに論調が潔白な閑谷にみんなが傾く。なんせ、やましいことなどなにもないオレへの遠回しな擁護だからある種必然とも言える。だけどこうして達観しながら閑谷を眺めていると、革命的人格者の演説のような、まるで根拠のない信頼が湧き上がる。


「な、だから言う必要がないって——」

「——まさか、おおまかな場所すら分からないということはないですよね? だって貴方はお婆ちゃんの第一発見者であり、この男の子と似たような特徴の人物を見たとはっきり言いましたよ。見たのならその地点でも良いです、教えて下さい」


 段々と大衆も眼を光らせている。

 ここで押し黙るのは、男性にとって得策じゃないのは明白だ。


「……確か、人気も無かったしコインパーキングだろうな」

「なるほど。お婆ちゃん、合ってますか?」


 そこでようやく老婆へ相手が切り替わる。

 男性としてはあまり老婆へ話を振られたくないのか、一瞬たじろいだようにも映ったけど、今は別に良いだろう。


「……ああ」

「失礼ながら、どこのコインパーキングかわかりますかね?」

「……それなら向こ——」

「——違うよおばあちゃんっ! 反対側、向こうだよ!」


 老婆はショッピングモールとは逆の隣町への方角を指差そうとしていたが、男性が話と行動の腰を折って咄嗟に老婆と反対方向を指し示した。


 地元民的にどちらが正解かというと、どちらも合っている。というか当たり障りがないのは老婆が指差そうとした隣町への方角だ。まさか駐車場が敷地内に併設されたショッピングモール付近にコインパーキングがあるとはなかなか思わない。この地帯を知らなければ迷わず隣町を示すのは納得出来る。


 だが老婆が差したそちらは、距離的に杖をついた人物がものの三十分で到達し得る場所にはない。そして男性が改めたショッピングモールの方角なら確かに三十分でここらを歩いていてもおかしくはない。どうやらちゃんと下調べをしているのは男性……主犯もこの人だということが判明する。

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