第20話 白々とした花弁に雨雫が伝う⑰

 形ばかりの控え室内は敬遠されていた割には真っ白で小綺麗な壁面をしており、何で誰も利用しないのか一瞬だけ疑問に思ったが、すぐに眉毛と目蓋が垂れ下がり顰めてしまうくらいの不快感が鼻腔に残留する。


 塗料特有のシンナー臭が充満してるようだ。ここだけ新たに塗装が施されたばかりで、一応本来の用途で試験的に機能はしているけど、スタジオから抜け出して休憩をしたい場所かと問われたら否だ。換気整備があるスタジオで事足りるから、あまり利用されていないのが容易に想像出来る。

 奇しくもそんな事象が人を避けさせ、閑谷のためにと用意されていたこの控え室でオレ、閑谷、白砂 朱里、里野さん四人で、真相を確認し合う上で打って付けの場所となる。


 室内は壁が不自然なくらい白一色以外には、テーブルに椅子、洗面も可能の化粧台、簡易更衣室。雑多なところに着目するなら、お茶入り二リットルのペットボトルと紙コップがテーブルの上に、あとこれは閑谷が気付いたことだけど化粧台には白砂 朱里が出演したCMのメーカーのものだけがあり、更衣室には水色の厚いカーテンが吊るされている。


 アマガミエンターテインメントの所有するスタジオとだけあって、基本は所属タレントに関連するものばかりがあるらしい。そんな悠長なことを訊ねられるいとまは、椅子に着席するとすぐに里野さんを視界から外そうとしない白砂 朱里のプレッシャーの前に霧散していく。


「……ごめんね閑谷さん。朱里の楽屋は突然誰かが訪問してくるかもしれないから」

「全然大丈夫ですよっ。というより、今日はこの部屋を使わない方が良いって由紀子さんに言われていたけど、控え室って馴染みがないから、ここを使えて逆に嬉しいくらいです」


 控え室、ここは専用とはいえスタジオに分類されるから楽屋とするべきだろうか。特別目ぼしい光景ではないけど、入室出来て嬉しいのは少し分かる。なんというか、関係者以外は入れない空間への憧憬だと思われる。


「吉永君も……だね。折角見学に来てくれたのに、色々大変だったでしょ? あまりもてなしは出来ないけど、ゆっくり寛いでね」

「あっ、はい……——」

「——それで桜子。自分から出してくれるの、このまま有耶無耶にするの、どっち?」


 なるべく和やかな雰囲気にしようと振る舞っていた里野さんに、白砂 朱里が呆気なく水を差す。


「……そうだね。でも私からよりは、まず閑谷さんと吉永君がどうして朱里を尾行して来たのか、気になるかも」

「はぐらかさないで……と言いたいところだけど、確かに貴方たちがそんなことをする道理はないわよね? 吉永君の無実を鮮加が証明したのだから、もう終わったことのはずじゃないの?」


 白砂 朱里の言う通り、この一件はオレの疑惑を拭うこと、ついでにタレント探偵としての閑谷の箔を付けることの両方が達成された現状、閑谷がこれ以上突き詰める必要はもう何一つもない。けれどここまでの一連のいざこざは、諸所の違和感を照らし合わせると全て、白砂 朱里と里野さんによる過去の怨恨に由来しているのではと踏んでいる、


 その論理を導き出せた要因を上手く伝えられたら良いんだけど、こちらも閑谷に共有したためにオレよりも説得力のあるキャラクター性に一任するべきどうかで迷う。


「……ここで理由を言うなら、吉永から二人に述べていくのが適任かな?」

「閑谷、でも……——」


 オレが配慮から反論しようとすると、閑谷がそれとなく二人の前へと左腕を引っ張って促す。この推理を担当するのは自分じゃないと託すように。


「——これは疑われた当事者だからこその視点だろうしね。それにタレント探偵としての私の役目は済んでるし、相応以上の成果もおかげさまで得られてる……吉永の番だよ」

「でもオレが言うとあんま納得して貰えないというか……——」

「——そのときは私が補足するから。まあ、多分大丈夫だとは思うけどね?」

「……」


 そんな会話を繰り広げている最中、閑谷は徐に衣装の一部であるハンチング帽を脱ぐ。


 髪の毛の直したかっただけなのか。

 探偵の役割が終わった暗示なのか。


 何はともあれ。この場でタレント探偵の威厳を掲げなくてもいいし、同時に閑谷が探偵役を演じる用途もない。とかくにオレでも別に構わないということだろう。


「じゃあ……閑谷の代理として、僭越ながら順序立ててお二人に説明します」

「はぁ……なるほど。やっぱりそういうカラクリだったんだ」


 白砂 朱里が直角の美姿勢のまま溜息を吐き流す。最初からオレが閑谷にとって何なのかと訝しんでいたみたいだし、加害者として擦りつけようとしたのも、もしかしたらその肺から吐き出されたものこそが理由なのかもしれないが……今は一旦後回しだ。


「まず最初におかしいと思ったのは、白砂 朱里……さんが、突然オレだけを疑ったことです。記憶違いじゃなければですが、はりぼての背景が倒れてすぐは確か怒った様子は全然見られなかったはずです。普通にオレも閑谷と合流して一言二言交わす時間がありました。恐らくはその前後で貴女は、セットが倒れた以上の出来事を目撃したのではないですか? そしてそれは、当該現場に居ながら個別行動を取っていたであろう里野さんが関与しているのではないかと、睨んでいます」


 施錠が為された一室。廊下を通過する人物の気配もない中、閑谷を差し置いて反響するオレの推理を白砂 朱里と里野さんが依然として黙したまま聴いている。

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