第15話 白々とした花弁に雨雫が伝う⑫

 ベルトを徐に上げ、全くの無警戒でトレンチコート裾幅を揺らし、ブーツの乾いた音色を反響させる閑谷はここに居る全ての人へ心を開くように歩み寄る。

 両手を後ろに組んだまま淑やかの微笑みを覗かせる。探偵のような装いを重ねた高校生は性質の色濃く残し、殺伐とするはずの現場に僅かな安穏をもたらす。

 横並びで佇む白砂 朱里と泉田さんの中間地点前に着くと、わざとなのかどうか、緊張をほぐすためなのか不明の咳払いを一つ入れる。すぐさま双眸を瞬かせ二人を交互に映している。


「ならそうですね……改めてにはなりますがまず、お二人の主張を、私にもお聞かせ願えますか? あっ、信用ならないのでしたら無理にという訳じゃないんですけどね」

「それなら、ウチからでええかー?」


 タレントとしてのキャラクターに迷いが生じ、しどろもどろする閑谷に先手は自分だと挙手した泉田さんが構わず告げる。白砂 朱里も異論はないようで無言で首肯している。


 まずは冷静な議論が出来る下地と、閑谷が自然と推論を展開させられる舞台作り。

 後者は彼女がタレント探偵としての立場で強引に組み上げ、前者はもたつきながらも二人の承諾を得る。


 ここまでは前座にして順調といえる。ついでにタレント探偵に扮するの閑谷の推理宣言もスタッフの方数名を呆気に取らせていたけど、これが善良な一般人なら問答無用でせせら笑われていただろうから、奇しくも流行による印象変化を実感する。


「何回も言うけど、吉永君はしてへんよ。確かに背景の一番そばにった、でもウチと世間話中で顔を合わせてた。ウチと吉永君の距離は大体やけど一メートルくらいや思う」

「うん……泉田さん視点はそうなんですね、それを証明可能な第三者は居ますか?」


 閑谷の質問に、泉田さんは表情を曇らせながらも答える。

 不利な言動をこれから述べる自覚があるせいだろう。


「……いや、おらん。さっきこのスタジオから離れたとき何人かに聴いたけど、誰からもウチらの視認はなかった」

「あっ聴いてくれていたんですね……分かりました。恥ずかしながら私も吉永を見失っちゃったから、一緒に居てくれてありがとうございます」


 閑谷の御礼はどちらに対してかオレには分からないが、とかくにこの泉田さんの情報は一見不利益になるみたいだけど、存外有益な証言の一つだ。僥倖ともいえるだろう。


「では次は、朱里さん……ですかね?」

「美晴、もう良いの?」

「うん。ウチが一方的に喋るんはフェアやない。朱里が何を持ってして疑ってるのか、教えて貰わんと納得いかんよ」


 お互いが伏した流し目が交錯する。いがみ合っていたムードはそのままだけど、同時に尊重も感じられるやり取り。


「なら……まず鮮加に訊くわ、私はずっと何してた?」

「えっ——」


 白砂 朱里による唐突な逆質問に閑谷は戸惑いつつも、しばし回顧したのち、恐らくは流行りに鋭敏なスタッフさんに囲まれていた時間帯にまで思考が遡っている。


「——はい、ずっとセッティングの前に立ち尽くしていましたね。誰も話し掛けようとしないから、なんでだろうなーって思った記憶があるので」

「合ってる。姿勢が崩れるのが嫌だから、なるべく座らず立っていることにしてるの。別に話し掛けに来ても良いんだけどね……まあそれは置いておいて、鮮加から視られてるということは、他の子も私を見ているということよね?」


 そう言って白砂 朱里は身体を反転させずに、後ろに居るスタッフに問い掛ける。怪我の影響で上手く振り返れない彼女からは殆ど何も見えていないかもだけど、オレの視界では何人か頷いているのが映る。


「もう一つ訊くわ鮮加」

「はい、なんでしょう?」

「私はそれ以外の行動を取っていた?」

「……腕時計を確認していたくらいですかね? 一歩も動いてませんでしたよ」


 これについてはオレからも言える。背景裏に迂回して移る際、白砂 朱里が一人で立っていたのが見えた。それはもう、向こうからオレと泉田さんに気付いていないんじゃないかぐらいの異彩を放って。


「私の自作自演、という蓋然性はある?」

「……低いです。私やみんな……二十人くらいが談笑しているときには無理だし。多分ですけど、ずっと留まっていた人がいきなり動き出すと、自然と気になって目移りすると思うんですよ……それが一切ありませんでした。せいぜい私と吉永がこのスタジオに訪れる前なら分かりませんよくらいのレベルだけど、セッティングには関与してないみたいですので、ほぼ限りなく無いかと」


 閑谷が淡々と返すと、白砂 朱里はマネージャーの肩に置いていた平手を外し、そのまま見解が聴けて光栄だと彼女自身の鎖骨辺りに移す。


「つまり。これで私が自分でやったのをなすり付けるために、吉永君を疑った訳じゃ無いって、分かってくれたかな?」

「えっと……その線はあまり追っていなかったんですけど、そうですね」


 オレを疑って来た理由として、当然有り得る想定だろう。実際に挟まれた訳じゃないし、オレと泉田さんが裏側に回っていたのを知っていてもおかしくはない。だから悪い言い方をすると、その瞬間に罪を着せようと思い立っても不思議じゃない。


 それを白砂 朱里自らが否定の証明をすることから始めたらしい。先出し情報は信憑性を上げるものだ。薄々周囲の人が泉田さんの主張に傾いているのを察知し、状況説明よりも優先したみたいだ。


 となると他のスタッフさんたちは内心、どちらが正しいことを述べているか混乱すること請け合いだろう。だって白砂 朱里がわざわざオレを疑う理由が無くなり、泉田さんが初対面のオレを庇う理由もない。


「うん。ならここからは時系列を簡潔に話すわ。私が立っていてしばらくすると、美晴が私に逃げるように促す声が聴こえたから振り返ると、迫り来る背景があって咄嗟に飛び引いた。そのときに足を捻って転んだけど、なんとか回避出来た。美晴がわざとなら私に呼び掛ける必要はないし、この背景が使い回しじゃなく新しく作られたことも知ってるから、プロの仕事で破損とも考え難い。もしこの中で故意だとしたら、私に何もしなかった吉永君が怪しいと思った。これでどうかな、鮮加?」


 まるで推理する者を試すような素振りで、白砂 朱里は眼前に居た閑谷と、どうしてかオレの方まで流し見る。それは疑惑の視線じゃなくて、真価を問う瞳孔だ。

 そんなことなど露知らず、閑谷が下唇に指先を当て逡巡としたのち、やがて嬉々として胸を張り全体を見渡す。


「いえ、まだです」

「そう残念——」

「——でも。朱里さんと泉田さんの意見を、私の撮影した現場証拠と照らし合わせたら多分、吉永には難しいと解って貰えると思っています……手伝ってくれないかな?」


 そう言って閑谷は、壁際に居るオレを見据える。ここまでは手筈通りに進んでいる……らしいとしておこう。

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