玖話

砂利で出来た広場、業炎鬼の背後で空に向けて弓を構えた激流鬼は矢を持つ事無く弦に手を掛けた。

そのまま弦を引くと指先から水が発生し1本の矢を形作る。

特に狙いを付けないまま引き絞り矢を放つ。

弓が向けられた通り空に向けられて放たれた水矢は空に飛び、直ぐに軌道を変えて砂利の広場を囲む様に旋回を始めた。


「準備出来たわ」

「ああ」


激流鬼が作った水牢の中で業炎鬼が構えた刀に意識を向ける。

慣れた感覚で刀の鍔から刀身に向けて炎を噴き出してみせる。


「これを小刀にするんだったか?」

「そうよ。まずはその熱量のまま大きさだけを小さくして」

「ん? んん?」


業炎鬼としての訓練でも全く行った事の無い感覚に困惑しつつ業炎鬼の鎧の下で義刀は困惑した。言われた通りに熱量をそのまま炎の大きさだけを小さくしようと試みてみるが、急に今までと違う事を行える程に義刀は柔軟ではない。

刀全体を完全に納める程度に覆っていた炎は少しだけ小さくなりはしたが、遠目からでは何となく小さくなったように感じる程度の差だ。


「刀より掌に炎を出せるかしら?」

「ああ」


言われた通り刀の炎を消滅させて左掌を正面に広げた。その上に拳大程の火球を生み出してみる。


「その炎、まずは熱量をそのままに別の形に出来る?」

「例えば?」

「う~ん。お皿みたいに平で広く出来る?」

「こうか?」


言われた通りに皿の形状を想像して火球を平で円盤の形状に変わるように操作を行ってみる。

一応、この程度の形状変化は行えるが傍目にも熱量は下がっているのが分かる。


「駄目ね。熱量が下がっているわ」

「難しい」

「まあ業炎鬼は別に魔動駆関の操作に特化した鬼という訳じゃないものね」

「何か補助が必要だ」

「確かにね。根本的に現代の魔動駆関の性能じゃ要求される炎の操作が出来るかも分からないよね」

「成程」

「数回試しただけで出来る物でも無い事は分かったし、槍絃さんの準備が整うまで練習を続けましょうか」

「分かった」


激流鬼の水牢は鬼の力量で持続時間が変化する。

業炎鬼の発火能力も火力で体力の消耗に差が有る。

2人は自分の体力が続く程度に訓練を続ける事にした。

しかし訓練開始から2時間、そろそろ日が傾き始めた頃になっても業炎鬼が操作出来る炎は激流鬼が求める水準からは程遠かった。


「今日はここまでにしましょう」

「……難しいな」

「炎という現象に対しての知見も大事かもね。ギィ坊、炎はただ大きい火って思っているでしょ?」

「違うのか?」

「正しいけど足りない。例えば鍋に入れた水は火に掛けると量が減るわよね?」

「ん? そうだな」

「それは水が蒸発という現象で人の目で見る事が出来ない程に小さくなって空気に霧散するから起きる現象なのよ」

「そうか」

「つまり、鍋の中の水は減っているけど、水の量そのものは減ってない。こんな水の特性はギィ坊は知らないわよね?」

「ああ」

「炎も同じ。炎が持つ性質をより深く知ればより具体的に炎の操作を行う補助に成るかもしれないわ」

「……帰る」

「待ちなさい。炎について座学の時間よ」

「……」

「忠刀さんからの言伝、忘れてないわよね?」


互いに甲冑で顔は見えないが、弦には義刀が心の底から嫌そうな顔をしているのが見えた気がした。


▽▽▽


阿修羅院から離れた槍絃は色町の情報屋、蝶蘭を訪れた。

いつも通り人気が無く静かな店だが槍絃が訪れる際には必ず玄関で出迎える者が居る。それも決まって槍絃の用事に見当を付けているので監視されている事を隠しもしていない。

今回も槍絃が蝶蘭に入ると入口で三つ指付いて出迎えの者が待っていた。


「お待ちしておりました。ネツキが待っておりますので、ご案内しますね」

「ああ、頼むよ」


2階に上がり案内されたいつもの部屋ではいつも通りネツキが窓枠で煙管を吹かしていた。

独特の甘い香りを漂わせているのだが鼻に着く事が無く人に配慮された物だと分かる。


「日中にお越しになるんは珍しいですネ、槍絃様?」

「ま、偶には良いだろ?」

「ふふっ、どうせなら住み込みにでもなりマス?」

「いやいや、絶風鬼の時期当主候補が色町で寝泊まりしてるなんて外聞が悪過ぎさ」

「いややワ、槍絃様が外聞なんて気にするなんて、面白過ぎてお腹が捩れマス」

「酷い言草だ。それに泊まったら遠慮無く喰われそうで怖いんだよね」

「あら、アタシは美人なんでしょウ? 美人の誘いを断るなんて、槍絃様らしくも無いじゃありませんカ」

「いや~、骨まで全部喰われるのは勘弁だぜ」

「そんな事しませんテ。ただアタシの番として子孫繁栄、子沢山の為にお種を毎晩頂くだけデス」

「いや、死ぬから」

「弱気な槍絃様なんて見たくなかったワァ」


人外の美貌を持つ妖狐のネツキは文字通り狐の性質を持つ人外だ。

毎晩というのも決して比喩や例えでなく本当に毎晩寝込みを襲われるだろう。妖狐の精力を満たそうとすれば通常の人間の体力では冗談ではなく搾り尽くされて死ぬ。

普段から人外と戦う為に鍛えている鬼でも毎晩となると死ぬまでの時間が多少伸びる程度の違いしかないだろう。

それが分かっているから槍絃はネツキの店で1晩過ごす事は無い。色町での一般的な遊郭遊びのように酒や話を楽しむ事も有るが寝床を共にする事はしない。


「ま、本題に入ろうぜ。俺の用事はある程度は把握してんだろ?」

「まあ、人海戦術が必要になった言うのは聞いてマス」

「激流鬼が明後日には今回の妖魔に反応する薬品を作ってくれる予定でね、子飼いの狐たちに適当に撒いて貰いたいんだ」

「分かりましタ。それくらいなら受けまショ。お題は御上からになるんデス?」

「まぁな。先払いだってんなら仕方ねえ、立て替えるさ」

「槍絃様に嫌われたくはないですシ、ここは御上からのお題で手を打ちましょうカ」

「ありがとよ、正直狐の人海戦術となると立て替えでも重いと思ってたんだ」

「狐の人界戦術ですト、狐界戦術(こかいせんじゅつ)とでも言うんですかネ」

「語呂が悪ぃな」

「フフッ、ホンマですネ。薬の件は分かりまシタ。激流鬼から薬を貰ったら京の狐たちに持たせますワ」


素直に人海戦術を認めてくれたネツキに安心しつつ槍絃は槍を掴む指を動かして柄を太鼓の様に連続で軽く叩く。ちょっとした手遊びなのだが槍絃が熟考する際に出る癖でもある。

数年来の付き合いの有るネツキはその癖を知っているので邪魔をしないよう急須から湯飲みに緑茶を注いだ。音を立てないように槍絃の前に運び自分の分も用意する。

槍絃も柄を叩きながら湯飲みが置かれたのは見えていたので素直に手に取って口に運ぶ。

淹れたてなのに飲み易い温かさに調整されており舌を火傷するような事は無い。

考える事を邪魔しない配慮に感心しつつも槍絃は手遊びを止めた。


「ありがとよ。美味いな」

「お褒めに預かり光栄やワ。何を考えてたんデス?」

「仮に閃郷斬乃介の肉剣妖魔を見つけても俺の様な斬撃に特化した鬼じゃ決定打にならないと思ってな」

「お友達の業炎鬼さんをお呼びしているじゃありませんカ」

「そうなんだけどね、取り逃してるし2度目が無いとは言い切れないだろ?」

「そうですネ。素人考えですガ、空に打ち上げて逃げ場の無い状態で焼き尽くすとかでしょうカ?」

「俺も似たような方法しか思いつかねえ。もしくは地中の奥深くまで炎が届けば良いんだが」

「炎の攻撃範囲を広げるって事ですカ?」

「有効範囲……逃げ場が無い……ちょっと見えてきたか。ご馳走さん。激流鬼の薬が出来たら持ってくるよ」

「アラ、今日はもうお仕事は終いですカ?」

「ああ」

「フフッ、ならアタシと遊んでいきませんカ?」

「同衾は無しなら良いぜ?」

「イケずやワ」


あくまでも健全に槍絃はネツキと遊郭遊びを楽しむ事にした。


▽▽▽


ネツキと人海戦術の約束を取り付けた翌日、槍絃は京の鬼通りよりも更に北東に進んだ場所に来ていた。

鬼門とは風水上の観点から非常に危険な方角だとされており鬼は定期的にこの地を巡回して妖魔が発生しているか監視する役目が有る。御上から肉剣妖魔の討伐命令を受けている槍絃だが今日は出来る事が無く、また巡回のお役目は御上からの仕事に関係無く果たさなければならない。

本来は槍絃が巡回する日ではないのだが肉剣妖魔の調査次第で数日は忙しくなるかもしれない。その為、本来の当番である轟雷鬼と交代して貰ったのだ。

薙刀の柄頭と左手袋の甲に翡翠色の鉱石を装備し即座に魔装を召喚出来るよう備えて妖魔が多発する地、魔山に足を踏み入れる。

一見すると普通の山なのだが、木の種類の問題なのか日光は地上まで届かず日中でも非常に暗い。また頻繁に妖魔が発生する地で見られる特徴として、妖魔の死骸の影響で草木が生えず土が剥き出しになっている場所が散見される。

そんな山道を胸元を開いた軽薄な男が歩いているのだ、貴族の道楽息子が度胸試しに来たのだと思われても仕方ないが背中の薙刀で勘違いされる事は無い。

適当に歩いているように見えるが周囲への警戒は怠っておらず、妖魔化したらしき異形の花を見つけて足を止める。


……妖気に当てられた植物か?


花だとは分かるのだが普通の花ではない。

まず普通の花は根で自立して移動しないし、動く者を補足したからといって寄って来ない。また、幹は人の腕程も太くないし、人の腰の高さくらいまである花の中心から目視出来る程の花粉は撒かないし、恐らく人体に悪影響を与える事も少ない。

明らかな異常事態に槍絃は警戒して背負った薙刀を正面に対して構え、周囲を視線だけで観察する。

正面の花妖魔以外、他に妖魔が居ないかは重要だ。一般的な妖魔は基本的に複数で行動する事は無いが例外は有る。元々が集団行動を行う狼や猿などの動物や、群体で生息する苔などがそうだ。

今回の花がどのような種類が基になっているか槍絃には分からないが警戒し過ぎるという事にはならないだろう。

周囲に他の妖魔が居ないと判断した槍絃は花妖魔に正面から踏み込んだ。

薙刀の広い間合いを活かして花妖魔の攻撃範囲外から横薙ぎに振るって幹を傷付け左に抜ける。

花妖魔が条件反射のように槍絃が直前まで居た場所に花を振って花粉を飛ばすが、槍絃は範囲外だ。

細かく薙刀を振って花妖魔の身体に細かい傷を増やしていきながら花粉の影響を観察する。

花粉が付着した地面を見れば特に変わった様子は無い。

それでも触る気にはならなかったが、槍絃は花妖魔の攻撃方法を1つ把握した。


……全てを見るまで待つ気は無いけどなっ。


葉、根、花に細かい切傷を何重にも付けて花妖魔の体積を削っていく。

妖魔に対する最も効果的な攻撃は体積を削る事。

槍絃は軽薄な態度に似合わず基本に忠実に花妖魔の体積を削る。

正直に言えば魔装を呼び出してしまえばこの大きさの妖魔は瞬殺出来る。

上下左右の三つ爪による斬撃で一気に花妖魔の体積を削る事が可能だ。

しかし鬼になるには体力を消耗する。あと何体の妖魔が付近に居るかも不明な状態で安易に体力を消耗する事は出来ない。

体力の消耗を抑えつつ葉や花弁を複数切り落とした段階で槍絃はそれまでの細かい斬撃を止めた。花妖魔が花を乱暴に振り回すのを観察しながら右腕1本で薙刀を大きく引き絞る。

妖魔が花を左に振り切って、揺り戻す為に姿勢を戻そうとした瞬間を狙い踏み込んだ。

引き絞った薙刀の刃が最大面積で花妖魔に突き込めるように角度を合わせて突きを放つ。

狙いは花と根の間、切断すれば妖魔の体積が最も削られる部分。

花妖魔の本体は恐らくは花の部分と予想出来る。

狙い通りに薙刀の刃で花と根を突き切った槍絃は片手持ちから左手を添えて回転を加え花も根も纏めて縦に両断する。

駄目押しの4分割に花妖魔が力無く地面に倒れ、端から黒い靄に成り霧散していく。

肩の力を抜くように大きく息を吐いて槍絃は花妖魔、及び周囲の状況を確認する。

ここま京の街で大小様々な妖魔が最も発生する地域、今の戦闘で人の気配を感じて妖魔が近付いて来ても可笑しくはない。


……花妖魔は討滅出来た。他に妖魔は、居ないね。


巡回の仕事でまずは1匹討滅を完了した。出だしは上々だが出来れば仕事は少ない方が良い。

薙刀を背負い直し槍絃は森の中の巡回に戻る事にした。基本的に巡回の最中に鬼に成る事は1回有るか無いかだ。

今の花妖魔のような小型なら鬼に成る事も無く処理するのが通例なのだが、鬼として活動を始めたばかりだと小型妖魔でも鬼に成る者も少なくない。

槍絃は鬼として活動を許されて4年、余程の大物を相手にしなければ鬼に成る必要は無いと経験している。


……義刀のヤツは街中でも普通に魔装を呼んでたけど、もっと器用には、成れないだろうなぁ。


本人たちは認めないが周囲から見れば槍絃は義刀の兄貴分だ。

互いに何か有れば自然と気に掛ける間柄なのだが、素直に認められる性格でも無い。

なので槍絃はふとした瞬間に口に出す事が無いよう、1人の時ですら心の中で呟くだけに留めている。

そんな事を気にしている時点で兄貴分なのだが、絶対に本人は認めない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る