第7話 合コン④ Side/玲奈
「よしっと……」
用を済ませた元カレが、こんな掛け声を出して正面の席に再び腰を下ろす。
最後の席交代の時間まで約10分となっていた。
「なんだか戻ってくるの早くない? 手はちゃんと洗ったんでしょうね、レン」
「はあ。洗ったに決まってるじゃん。なんなら手を拭いたハンカチ見せてあげ…………」
「え?」
「いや、なんでもない」
「なんで今撤回したのよ。まさか本当に洗ってないんじゃ……」
「洗ったって本当に! って、こうして早いのはどこかの誰かさんが急かしたからでしょ」
会話を再開させて数十秒後のことだった。
なにか隠しごとがあるように手でポケットを押さえる元カノは、声のボリュームを上げて話を逸らした。
(な、なんでハンカチくらい見せられないのよ……。別に恥ずかしいものでもないでしょうに)
ポケットを押さえた行動から、ハンカチが入っているのは間違いないのだろう。
それなのに『見せない』と決めたような仕草。
このやり取りを体験したのなら、皆も同じことを思うだろう。
意味がわからない、と。
この不満をぶつけるように、ジト目に変えて冷淡な声で責める玲奈である。
「別にわたしは急かしたつもりないけど」
「『早くお手洗い行ってきなさいよ。お喋りする時間なくなるでしょ』って言ったの玲奈じゃん」
「『急いで用を足して』とは言ってないわよ。
「う、うっせ」
会話する時間が減る分、急いで欲しかったのは事実。
だが、そんなことは伝えない。急いでもらったお礼として伝えてもよかったが、蓮也がとあることを触れようとしないことで、心の中で留めるのだ。
——先ほど親しそうに話していた、黒髪ボブの小柄な女の子のことを。
(別れているとは言っても、教えてくれたっていいじゃない……。悠樹さんのお話だと、あなたはわたしのこと、まだ忘れられていないって……。っ!)
お酒を飲んでいるからか、余計なことを考えたらすぐに顔が熱くなってしまう。
「ねえ、レン。一つ聞きたいことがあるんだけど」
「なに? ハンカチのこと以外なら答えるけど」
「なら答えて。さっきの子、誰なの? とっても可愛らしい子だったけど」
「えっ」
『見られてたのか……』なんて言葉が顔に出たような愕然の表情。
「とぼけないでよね。さっきレンが話していた黒髪ボブの小柄な女の子よ。随分と親しそうにしていたけど?」
「あ、ああ……。あの子はまあ、その……同じ大学に通ってる後輩だよ。まさかここで働いいるとは思わなくて」
「ふーん」
「う、うん……」
「『うん』じゃなくって、その先のことを教えなさいよ」
モヤモヤの解消をするように、玲奈は淡々と質問していく。
「ただの関係じゃないわよね、絶対。あなたとは付き合っていたのだから、その態度でわかるわ」
「ッ」
目を大きくした元カレ。図星だということは明白。
「そもそもあんたの裾を掴んで話していたじゃない。レンもレンでされるがままだったし。なんの話をしていたのかは知らないけど、こんな場なんだからイチャイチャするなら隠れてしなさいよ」
(本当、なんなのよバカ……)
付き合っていた頃の雰囲気を思い出したと思えば、付き合っていた頃のやり取りを黒髪ボブの可愛らしい女の子が行っていたのだ。
元カレとはいえ、嫌な気持ちになったというのが本心。
それはあからさまだったのか——。
「なんか怒ってる? 玲奈」
「っ、な、なんでそうなるのよ! 本当意味がわからないわ!」
「いや、言葉を返すみたいになっちゃうけど、俺も玲奈とは付き合ってたんだし」
「……」
「え? 無視? ……あ? あー!」
口を閉ざせば、蓮也はなにか閃いたような声を上げ、パッと明るい表情になる。
そして、ニヤニヤと挑発的な目を作るのだ。
「な、なによその挑発的な顔は……。パンチしてあげてもいいけど」
「もしかして玲奈ってさ、嫉妬してるんじゃ? 俺があの後輩と喋ってたことで」
「は、はあ!?」
「あれれ、図星? 図星かな?」
「図星とかあり得ないわよ……っ!!」
火を近づけられたように、一瞬で体が熱くなる感覚に襲われる玲奈。
『あら? レンってばなんか機嫌が悪くない? もしかしてわたしが悠くんと話していたことに嫉妬しているのかしら』
少し前、このようにからかったことを根に持っていた蓮也ではないだろう。
だが、『嫉妬』というワードを覚えさせてしまった結果、こんなにも綺麗なカウンターをもらってしまった。
からかう場合、からかわれる覚悟をしていなければ、痛い目を見るという例である。
「ほ、本当バッカじゃないの。なんなのよ、調子乗って。バカアホ、バカ」
語彙力がなくなった悪口。落ち着きを取り戻すようにお酒に手を出そうとするが、グラスの中に入っているのは、氷と、溶けた水に混ざった薄いお酒だけ。
「あははっ」
「笑わないでよ! って、とりあえずそのニヤニヤした顔やめなさい!」
「わかったわかった。でもさ、そんなところ昔と変わってないんだね、玲奈って。なんだか安心したよ」
「〜〜っ! だ、黙りぇもう!」
優しく目を細めて、本当にそう思っているような声をかけられた玲奈は……顔から火が出るような赤さに染まり、盛大に可愛らしい噛みを見せた。
「……」
「……」
訪れる無言。それは数十秒と続き、玲奈は口を強く噛み締めながら恨めしそうに言う。
「……レン、あんた本当に覚悟しておきなさいよ」
「こ、怖っ……。冗談だって冗談! さっきからかわれたからその仕返し」
本気で弁明する者と、殺意ある目で睨む者の構図がそこには生まれていた。
合コンで盛り上がっている相手は、自然と目が向くもの。
今回参加したメンバーは全員が思っていた。
『難攻不落の月宮さん』が、あんな表情をするのだと。
そうして、120分をかけた交流と席替えを終わらせた後、気になった相手と親交を深める自由時間となる。
あんな姿を見せてしまった玲奈だが、忘れてなどいなかった。
蓮也がとても親しそうにしていて、なにか隠しごとをしていた黒髪ボブの女の子のことを。
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