第10.5話 エクストラエピソード(2)

 今年の7月も残り1週間を切った。学生達は夏休みの始まりを大いに喜び、遊びに恋に部活まで、各々の青春を謳歌するのだろう。そうした時代をうに越えた大人としては、なんとも微笑ましく、同時に少し切ない気分。

 そして我が家にもつい先程から、尊い時間に身を置く若者のギャルがやって来ている。あどけない幼子を抱きかかえて。

 

 

「とゆーわけで、夕方5時くらいには終わるから、夕飯作りは任せて! それまでゆうちゃんの遊び相手よろ☆」

 

「ん、あぁ……まだ8時じゃないか」

 

「9時〜5時って言ってんじゃん! まだ頭寝てんの? ゆうちゃん見てられる?」

 

「悠太は面倒見るよ。それより君は貴重な青春の1ページを、フルタイムのバイトに使っちまっていいのか?」

 

「は? なにワケ分かんないこと言ってんの? 時間あるから稼ぎに行くんじゃん!」

 

「JKの理屈にしては可愛げないなぁ。高校生らしく、恋愛の一つでもすればいいのに」

 

「デートの約束したじゃん! 1日ついたちに!」

 

「いやそれ相手俺だよ? アラサーのオッサンじゃ、青春にカウントされんだろうよ」

 

「うっさい! 相手はあたしが決めるし! もうバイト行くけど、約束は守ってよね!?」

 

「へいへい、頑張っていってらっさい」

 

「いってきー♪」

 

 

 朝っぱらから到来したギャル嵐は、弟を残して過ぎ去った。悠太はしっかり自己主張するから、手がかからなくていい。要求もシンプルで、世話を焼くのが非常に楽である。

 その反面、思春期の姉は俺にとってかなり難しい。やってることは正しいし、間違いなく良い子なのだが、それも心配になってしまう。菜摘は本当にやりたいことをやれてるのか。好きな生き方に近付いているのか。こうした懸念事項が湧き出てくるので、どうしても口が酸っぱくなる。気にし過ぎなのかな。

 眠い目を擦りながら、遊んでる悠太に目を向けると、ソファに転がって図鑑を見ていた。動物に興味津々のこの子は、一人でも飽きずに読んでたりするらしい。幼児向けだから薄いけど、何回も読み返せるのは子供の特権か。

 

 

「おったん、こえ、あーに?」

 

「あれ〜? 悠太も知ってるはずだぞー?」

 

「おー? こえ、ぱんだ?」

 

「言うと思った。それはブタさんだろー?」

 

「あー、うた! こえ、うた!」

 

 

 パは発音できるのにブはできないって、どんな唇の使い方してるんだろう。発展途中の子供の生態は、何もかもが興味深い。

 こんなやり取りを2時間程続けてると、さすがの2歳児も暇を持て余し始め、俺はとある提案を投げかけた。

 

 

「悠太ー、俺とお買い物行くかー? お外だぞお外ぉ〜、お外で遊ぶ?」

 

「おー、おととっく! おととー!」

 

 

 菜摘が帰ってきた時に冷蔵庫が食材でいっぱいなら、料理がいつもより楽しくなるはず。良い肉なら駅前のお高めのスーパーにあるし、ついでに本屋で新しい図鑑も買えるだろう。チャリに子供用の座席が無いから歩くしかないけど、悠太が途中で疲れたら抱えればいい。そんな思惑で、太陽が徐々に真上に近付く炎天下へと繰り出した。

 上機嫌な幼児は色んなものに関心を持ちながら、小さな歩幅を軽快に進めていく。手を繋いでる俺は恐らく父親とでも思われてるのだろう。道行く人々からあたたかな視線を向けられ、これもこれで悪くない。

 気温が上がりきってないからか、一度も抱っこをすることなく、駅の手前を飾る商店街にたどり着いた。

 

 

「よーし悠太、本屋さん行ってみようか」

 

「おー? おんや? あーに?」

 

「パンダさんいるかも知れないぞー?」

 

「あー、ぱんだ! ぱんだ、みる!」

 

 

 早速入った本屋で大はしゃぎする悠太は、眺めてるだけで微笑ましい。絵本の棚をあちこち彷徨うろつきつつ、ようやく発見した分厚い図鑑には、リアルな動物の絵や写真が載っていた。少々重たいのか、本人は開くのに苦労してるものの、これからを考えれば勉強にもなる。気に入った絵本2冊と共に購入した。

 本屋の袋をリュックに入れて次に向かったのは、この近隣で最も大型のスーパーである。珍しい野菜や調味料が豊富で、不覚にも目移りしてしまう。とりあえず思い立った食材をカゴに放り込んでいき、無事に会計を済ませると、できるだけリュックに押し込んでから、残りを手提げに詰めて持った。くたびれ始めた悠太だが、グズりもせずに歩いてくれる。健気な姿に心打たれ、広場のベンチに座ってお菓子をあげると、たちまち笑顔が戻った。

 その場所でふと目に止まったのは、ちょっと派手目なアパレルばかりのビル。そう言えば菜摘と出逢った夜、彼女のブラウスはオッサンに引っ張られてダメになっていた。悠太には本を買ったし、日頃世話になってるんだから、お礼に洋服をあげるのもいいよな。

 

 

「いらっしゃいませー! 何かお探しでしょうか?」

 

「あ、えーっと、白でフリルが付いてる、薄手のブラウスを探してるんですが」

 

「そういった商品でしたら、こちらにご用意がございます。サイズはお分かりですか?」

 

「あぁー、身長は160センチくらいで、華奢なんですがそれなりに胸があって……」

 

「でしたらこちらのMサイズかLサイズだと、違和感なく着られると思いますよ♪」

 

 

 店員に勧められた服は形が似ていて、生地もすぐに使えそうなサラッとした物。袖が短いフリルになってるのも似合いそうで、すぐにMサイズに決めてレジに向かった。しかしその途中、いかにも菜摘が好きそうなプリントのカットソーを見付け、完全に足が止まる。

 

 

「こちらは10代から20代に大人気のデザイナーとのコラボ商品で、特にピンクが可愛いとご好評いただいております♪ 大切な方へのプレゼントですか?」

 

「ん、まぁ……そうですね。いつも世話になってるんで、何かお返しにと」

 

「でしたら1着追加されても、きっとご満足いただけると思いますよ♪」

 

「……そうですよね。これくらいなら、受け取りにくくさせたりしませんよね」

 

「はい♪ こちらでお包みいたしますね!」

 

 

 すかさず勧めに来た店員に巧く乗せられた気もするが、確かに遠慮がちな菜摘でも喜んでくれそう。ブラウスだけでも「あんたのせいじゃないじゃん!」とか言うのは想像に難くないし、オマケが増えたところで変わらないはず。オマケの方が高いけど。

 なんだかんだで悠太を長時間付き合わせてしまい、帰り道では途中から抱いて歩いたものの、これも俺には良い運動だ。帰宅後はシャワーを浴びて汗を流し、戻った時には図鑑を読んでたお子様がお昼寝タイム。実に平穏な昼過ぎのひと時に、ソファでだらけていた俺までしてしまった。

 

 

「おーい、玖我さーん? おいってばぁー」

 

「……あん? あれ、菜摘も帰ってたのか」

 

「ピンポン押しても出ないから、合鍵使わせてもらったよー。ゆうちゃんもさっきまで寝てたみたいだけど、どっか行ってたの?」

 

「ちょっと商店街までな。軽く飲み食いしてたけど、まともな昼飯食わせてなかったわ。悪いな悠太」

 

「ここに置いてあったジュース飲んでたっぽい。この本とか買ってくれたの?」

 

「あー、食材買うついでにな」

 

「もぉー、気を使わなくていーのに」

 

「そんなんじゃねーよ。あとこれ、悠太にだけじゃ不公平だと思って、君にも」

 

「……え? なに、あたしにも!?」

 

 

 驚いてものすごい形相になってたけど、ある意味彼女なりの照れ隠しだろう。俺に促されるまま恐る恐る包みを開けた菜摘は、瞳を輝かせて服を眺めている。

 

 

「ちょーカワイイ! これって破けちゃった服の代わりって感じ?」

 

「やっぱ分かるか。そんなんだったよなぁって、曖昧な記憶を頼りに見てきた」

 

「こっちのピンクのなんて有名なやつじゃん! どーゆー風の吹き回しさー?」

 

「ついでだよついで。もらってるばかりじゃこっちも後ろめたいんで、君がやる気になる要因でもあった方がいいなーと思ってさ」

 

「なにそれー? あたしはご褒美欲しさにやってんじゃないし、なんなら欲しいのは物じゃないんだけどぉー?」

 

「あーん? じゃあ返品してくっかぁ?」

 

「やーだよぉ! カワイーから絶対大切に使うもん! ありがとー玖我さん♡」

 

「お、おう。そうしてもらえれば……」

 

 

 素直に礼を言った笑顔があまりにも眩しくて、思わずたじろいでしまった。菜摘にとっての青春がこれで良いのかは微妙だが、こんなに爽やかな女子高生も珍しいかもしれない。

 

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