第6話 それぞれの答え それぞれの正解

 おんちゃんは親に先立って亡くなってしまった。おじいちゃんはそれを親不孝だと言ったのだろうことはわかる。

 それでも僕は衝動を抑えきれずに聞いてしまった。


「おんちゃんは親不孝だったの?」

「親より先に死ぬなんて、これ以上の親不孝はないじゃろ。…ただ、病気じゃからな、おんちゃんのせいじゃないし、仕方がないがな」 

「…おんちゃんはあんまり働いてないし、自立できていないって」

「働いてたさ、毎日一所懸命に。銀細工を作っては悩み、絵を描いては悩み、写真を撮っては悩みしながら、大忙しで毎日働いておった。ただ、その作品が売れなかっただけじゃ」

「売れなかっただけ…。でもそれが肝心なんじゃないの?」


 おじいちゃんが口元をほころばせ、首をわずかに左右に振った。


「翔太はまだ学生か?」

「大学四年。いま就職活動をしているところ」

「そうか。翔太はなんのために働こうと思っとるんかの?」

「なんのためって、働かないと自立して生活できないから」

「それはそうだな。ほかには? それだけか」

「はかには…働けば社会に貢献することにはなる、かな」

「社会の役に立たなければダメか? いま、じいちゃんは働いてないし食って寝るだけの生活だ。なんの役にも立ってない人間じゃよ」

「い、いや、いまはそうかもしれないけど、じいちゃんは長いこと働いてきたんでしょ。ずっと社会に貢献してきたから、いまはお疲れ様ってことじゃない。役に立ってない人間とかじゃないよ」

「そうか、有難う。でも…。…じいちゃんは若い頃に戦争に行った。戦争はなんの役にも立たない徒労だ。役に立たないどころか…戦争は、ただの人殺しじゃよ。…戦地から戻ってじいちゃんは懸命に働いた。でもそれは食うためで、社会の役に立とうと思ったからじゃあない」


 おじいちゃんは短くなった煙草を指先で器用にもみ消した。


「じいちゃんはずっと流されてきたようなもんだ。我を通したことなぞ一度もない。命令をされて戦地に行き、生きるために仕事を選ばずに働いた。…そもそも通したいと思えるほどの志やら思いなんてものを、じいちゃんは持ったことがないからの。後悔してるわけではないんじゃ。じいちゃんも精一杯に生きてきた。それでも子供たちには、もちろん孫にも、じいちゃんのような思いをさせたくはないと思っとる。やりたいことがあるのなら、とことんやらせてあげたいと」


 やりたいこと。やれること。やれないであろうこと。

 なりたいもの。なれるもの。なれないであろうもの。

 言葉が頭の中でリフレインされる。


「おんちゃんはじいちゃんたちが生きていたから、自由気ままに我を通して生きてこれた。それを甘いという人もおる。じいちゃんたちがいなくなったらどうする? 樹音のためを考えればもっと厳しくすべきという人もおった。その通りじゃろうとも思う。…でももう、じいちゃんたちがいなくなった後のことを心配する必要はなくなってしまった。…樹音は自分の生き方を貫いた。少なくともじいちゃんは、樹音、あっぱれだったと言ってやりたい」


 台所窓が開き、母が顔をのぞかせた。


「あぁ、こんなところに居たの。もうすぐ夕飯にするから中に入って」


 それだけ言うと母は窓を閉めた。

 台所窓は強い西日を直接に浴びていた。母の目が光っているように見えたのはそのせいだろうか。


 初夏の夕空を見上げ、おじいちゃんは笑っていた。高い位置にたなびく雲が、薄く橙に染まっている。

 僕の心のさざ波はいつしか波高がだいぶ低くなったようだったが、まだ消えてはいない。きっとこれは生きている限り消えることはないのだろうと思う。


「勤め人になるんか?」


 おじいちゃんはいつの間にか僕を見ていた。


「うん、そのつもり。まだどことも決めてないけど」

「そうか。よくよく考えて決めればいいが、自分自身を欺かん方がいい。欺けば結局、金持ちになろうと貧乏になろうと、ぶつけどころのない不満ばかりが溜まる。思うようにやれ、翔太。時代はそれを許しておるじゃろ? もし、よそ様の百人が百人からろくでなしと言われても、よそ様に迷惑をかけたり悪いことをしない限り、本人が良しと思える人生を送れたのならそれで十分じゃろう? 肝心なのはそこじゃと、じいちゃんは思うがの。…さてと」


 おじいちゃんが長椅子から腰を上げ、僕の傍まで来ると耳元でささやいた。


「戻ってもここで煙草を吸っとったことは言わんでくれ。ばあさんがうるさいから」


 僕とおじいちゃんは顔を見合わせて思わずクスリと笑った。おじいちゃんから吸い殻を受け取り携帯灰皿に捨てる。

 おんちゃんの吸い殻は…まだこのままでいいだろう。

 僕は新しい煙草を一本取り出し吸い殻の横に置いた。


 母屋の玄関に歩き出したおじいちゃんの後ろ姿。小さいのに大きな背中。


「おじいちゃん」


 おじいちゃんがゆっくり振り向いた。


「おんちゃんの部屋に大きな赤い裸婦の絵があるの、知ってる?」


 おじいちゃんは黙って頷いた。


「あの絵、僕の部屋に飾りたいんだけど、ダメかな?」

「わかるのか、あの絵が」

「わかってるのかどうかわからないけど、好きなんだ。おんちゃんにも前に譲ってやろうって言われたんだけど、そのときはなんか怖くて…貰えなかった」

「そうか。じいちゃんにはおんちゃんの描く絵が正直、どれもよくわからん。迫力は感じるがの。絵は良いと思ってくれる人の傍にあるのが一番じゃろ。翔太の部屋に飾ってやってくれ」

「ありがとう、おじいちゃん。お代は…いくらかわからないけど、社会人になったら少しずつでも払うよ」

「ははははっ、定価なしの出世払いか。翔太から代金を貰うなんて、おんちゃんが怒り出しそうじゃが…でも、嬉しいじゃろうな」


 僕の中にもおんちゃんや玲子のように、赤くたぎるような熱があるのかどうかはわからない。

 でも僕は挑んでみようと思った。自分自身に、自分の思うように、なりたい自分になるために。


 正解は、僕が出す答えだ。


(了)

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ろくでなし評 乃々沢亮 @ettsugu361

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