第10話 フェナカイトの魂 (1)

 世界が暗闇に包まれた頃、かつての拠点、あばら家で不審な動きがあった。


 もちろん、このことをデュレイたちが気付いているはずもなく、彼らの幸せな物語は今も進んでいる。


 それが憎くて、憎くて、殺してしまいたいくらいに不快だと思っているモノが居た。


 放置されたレアルの足がピクッと一瞬だけ動きを見せる。次第にその回数は多くなり、痙攣しているかのように連続的に運動を続ける。


 断面からボコポコと通常有り得ない速さで細胞分裂を繰り返し、再生していく肉体。沸騰している液体のようで余計に気味悪さが増す。それが尚、血液であり人間の身体であれば余計に。


「ぁが……」


 完全とは言えない声帯を手に入れた。濁った声しか出せない。レアルは未完成の脳で言葉を生み出した。「呪いのガキに食われなければこんな汚い声にはならなかったのに」と。


「ぅげぇ……ぁ」


 ゆるせない。


「ゆぅせなぃ……」


 許せない。


「……」


 許せない。


「…………」


 表面だけだと完璧な人間の身体を手に入れた。内臓が未熟なようで、今も吐きそうな気分と戦っている。レアルは不快感と戦いながら地面に寝転がる。身体全体の痛みを少しでも抑えるためだ。


「どぉして、ごすじんさまは、ぁのガキにぃ、まどぉしょを、あげたんだろぉ」


 レアルは少しだけ思い出す。今だけは現実を見たくないという心が存在したからだ。









 ◆


 世界は混乱し、各国は何も信じることができなくなくなり理由もなく戦争をしていた時代があった。


 どう記憶を整理しても、過去の文書を読み漁っても、根本的な戦争のキッカケというものが一切見つからない。謎の世界大戦。


 ただ唯一残っていたのは、伝染病のように次々と国が戦争を始めたという記事くらい。


 当時少年だったレアルはこの無意味な戦争の被害者だった。


 誰も覚えていないような中規模な国の貴族の子供だったレアル。彼の国は隣国から宣戦布告も無しに突如侵攻された。彼の国は必要最低限の軍事力は持っていたが、隣国の攻撃にあっけなくやられ、たった二十二時間で首都が制圧され、降伏せざるを得なかった。


 国民全員が首都に集められ、奴隷のように雑な扱いを受けながら断頭台に立たされた王族を見た時の、国民の悲痛な叫びをレアルは今も忘れられない。夢に出てくるぐらいだ。多分、愛国心がそれなりにあったからだと思う。


 王族は敵軍に許しを請うが、その様が何とも情けなくて、国民たちの目はどんどん冷めたものに変わっていった。


 いつもそこで夢は終わる。首と身体が離れ離れなった王族を確かに見たはずだが、子供の目にはやはりショッキングなモノのようで少しも覚えていなかった。


 その後、レアルは他の人と共に荷物用の馬車に乗せられる。乗り心地は最悪で、ただでさえ溢れるくらいの人が乗っているせいで余計に息が詰まって、気持ち悪くて仕方が無かった。


「もういやだ……なぁ」


 小さく呟いた。レアルは大人と同じ荷台に乗っていたのでこの声は聞こえるものではなかった。ただでさえ大人は子供の声に耳を貸さないのに、こんなときだけ耳を傾けられてたまるか、という不満も併せ持っていた。


 人生に絶望して、いっそ死んでしまいたいと思った瞬間に馬車が大きく揺れた。


 何事かと思った。すると一番壁に近かった大人が「穴が開いてるぞ!」と大きな声で叫ぶ。つまりこれは、逃げろと言っているようなもの。


 こんなところで奴隷になるなら、逃げて死んだほうがマシだ。そう考えてしまった。


 押しつぶされそうになりながら外に出ようと必死にもがいた。子供の自分は大人に負けて圧死するかもしれない。死んでもいい、外に出てもいい、現状さえどうにかなれば僕は十分だった。


「っは……」


 息苦しい世界を抜けた。押しつぶされている間はほとんど息をしていなかったんじゃないかと思うくらいには、外の空気が新鮮に思えた。


 たくさんの大人が逃げ出しているときに、何人か子供が見えた。自分と同じくらいの背の子が三人ほど。そのうち二人が、外に出た途端に倒れ、大人たちに踏まれていた。もう死んでいるのだろう。唯一動けていた一人は、暴れている人を鎮静化しようとした敵国の兵に殺された。


 僕は運が良かった。


 惨状を目にして真っ先に森に飛び込んだ。大人たちは「森は危険だ」と叫んで道を進む。そして敵兵に追いつかれ死ぬ。どこに進んでも死ぬのだ。でも身体は必死に生きることを望んでいる。心と体は相反すると、よく言われる。それを、身をもって知った。


 時間の感覚が狂うほどに走った。お腹は空きすぎて逆に何も食べる気になれないし、もう貴族だったころの面影はどこにも残っていないくらい、心身ともに汚れて醜くなっていた。


 未だ森を抜けられず、体力が限界になってきた。自分がどこを走っているのかもわからず、同じような景色が続く世界に心を狂わせ始めていた。


 僕は運が良かった。


 少し開けた場所に出た。円形で、奇妙なほどに木が生えていない場所だった。ずっと走り続けていたせいか、何故かこの場所に安心感を覚えた。すると今まで全く気付いていなかった足の痛みが急に酷くなる。


 足を止め、休むことにした。


 座り込むともう足が動かなくなった。この状態で敵兵が来たらまずいが、まずこんな場所に辿り着けるはずが無いと何故か自信を持っていた。……というよりも、安心したいという意志が強すぎて、どんな状況だとしてもそう思わざるを得ないのだろう。


 もうすぐそこまで、発狂のラインは見えている。


 足を休ませながらぼんやり空を見ているうちに、逆らうことのできない猛烈な眠気に襲われる。今更抵抗する気も無い。そのまま寝転がって目を閉じた。







 しばらくして、誰かの気配を感じた。足音はしない。無意識下で何となくそんなことを思っていたけれど、実際寝ているものだからどうにも動けない。金縛りの意識が無いバージョン、みたいな。


「俺の領域で何呑気に昼寝をしてるんだ、餓鬼」


「んぇ?」


 寝ぼけ頭を必死に働かす。目を開けると身長が高めな細い男の人がいた。


 不気味な紫色のローブを身に纏い、足にピッタリくっついたようなズボンを身に着けて、真っ黒な瞳でレアルのことを見つめていた。


「んぇ? じゃねぇよ。だいたいどーやってこんな場所に……」


「敵から逃げてたら……ここにいて、休んでたら寝てしまいました」


「偶然ここに来たってことか?」


「そうですね……」


「名前は何だ?」


「レアル・モストテルです。滅んだ国の貴族でした」


「俺は鬼神。アンガス」


 鬼神。幼い時に読んだ絵本に出てきた主人公の敵。そんな認識しかない。


「鬼、神……?」


「ああ、わるーいわるーい神様だ」


 ニタニタと笑うが、今の僕に恐怖を感じる余裕はなかった。

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