5月30日 お題:悪堕ち・『だから、そばに居れば良いの!』

 私は、真っ暗で何もない虚無の中を、一人寂しく漂っていた。

 いつから、どうしてここにいるのか、いつまでここにいるのか、私はなんなのか、それすらも分からずにただただ彷徨い続けるだけの日々。

 何も分からない中、寂しい、失ったはずの記憶に強く焼き付いた"誰か"に会いたい、という、その思いだけが、私の中に焼き付いていた。

 

 そんなある時、私は自分がどこかへ強く引き寄せられるのを感じた。

 そして感じる、慣れないような、それでいて懐かしい感覚。

 

 ――重力。そして肉体。


「んっ……?」

 状況もよく分からない中、私は懐かしさが導くままに肉体を動かし、呻きながら目を開ける。

 まず見えたのは、天井。それから、私の顔を心配そうにのぞき込む、少女の姿。

 少女の姿を認識した途端、意識が一気に覚醒し、肉体が急速に馴染んでいくのを感じた。

 そして同時に、忘れてしまっていた自分の記憶が、存在が、蘇ってくる。


「ゆうしゃ……さま……?」

 ――そうだ、私は勇者である目の前の少女と魔王を倒す旅に出て……そして旅も終わりに近づいたころ、目の前の彼女を庇って、命を落としたのだ。

「ああ、良かった…… やっと……!」

 彼女は私の言葉を聞くなり泣き出して、寝かされている私をしがみ付くように抱きしめた。

 懐かしい感触と温もりを感じながら、私はかつてのように彼女を抱きしめ返す。

 だけれども、懐かしさに混じって、どうしても看過できない違和感が襲ってくる。


「どう、して……」

 ――私は、再び世界に目を覚ましたのか。

 ――彼女は、かつてよりも遥かにやつれているのか。

 

 ――そして何より、どうして彼女は、角と翼を生やし、魔族のような赤い瞳をしているのか……


「やっぱり、気になってしまうよね……」

 彼女はそっと私から離れ、頭に生えた角へと手を触れた。

 私は馴染んだばかりでまだ重く感じる上体を、ゆっくりと起こす。

「はい……」

「わかった。全部、説明するよ」

 彼女はゆっくりと、重い口を開いた。


「君が……死んでしまった後、私は一人で旅を続けて、そして魔王を倒した。だけど、その時感じたのは、達成感でも、満足感でもなく……ただの、空しさだった。魔王を倒し目的を果たしたことで、君を失った悲しみや喪失感が、一気に襲ってきたんだ。そこで初めて、君が私の中でかけがえのない存在になっていたと、実感した」

 その時のことを思い返しているのか、彼女はその表情を暗くする。

「だけど、その後でこの城を調べていた時に、私は新たな目的を見つけた」

「目的……ですか?」

「そう。それは、君を生き返らせること。魔王を倒した後で、この城を調べているときに、一冊の本を見つけたんだ。……死者を、蘇らせる方法についてのね」

「……っ!」

「でも、私は魔法なんて使ったこともなかったし、古い本だったから文章の欠落も多くて、その内容を読み解くには、膨大な時間を要した。そうしてこの城に籠りきりとなっている中で、私の身体は魔界の瘴気に蝕まれ、気づけば、いつしか魔族へと変貌していた、というわけさ」

「膨大な時間って……どのぐらいですか? 私が死んでから……いったいどれだけの時間が?」

「さあ……50年から先は、もう数えるのをやめてしまったからね…… 100年か、はたまた200年か……」

「そんなに……」

「そう、悲しそうな顔をしないで…… 君にまた出会えた。それだけで私は、もう報われたのだから」

 そう言って、彼女は私に笑顔を向ける。そう、あの頃と何ひとつ変わらない、心の底から嬉しそうな表情。

「勇者、様……!」

 よろめく体で何とか立ち上がり、彼女へともたれ掛かるようにして抱き着く。

「会いたかった、です……とても……!」

「ああ……私もだよ」


 再会の喜びを分かち合う中、不意に、部屋のドアがノックされた。

「……なんだい?」

 それに応える勇者様の声は、今まで覚えがないほど冷たかった。

 扉の外から、一人の魔族が顔を出す。

「失礼します。魔王様……また人間たちがやってきました」

「……そうか。もう、生贄はいらないんだけどな。……まあいい。わかった、すぐに行く」

「よろしくお願いします。それでは、失礼いたしました」

 魔王……生贄……どういうことなのか、訳が分からない。

「ごめんね、ちょっと行ってくる。戻ったら、それも説明するよ」

 彼女はいつもの調子でいい、それから扉の外へと出ていってしまう。

 それから、激しい戦闘の音が響き始めた。


 ♦

 

 しばらくすると、戦いの音は止み、返り血を拭いながら勇者様が戻ってきた。

「……ただいま」

「生贄に、魔王って……どういう、ことですか?」

「……死者を蘇らせるには、人間を生贄にする必要があってね。何度も失敗を繰り返すうちに、どうやら生贄を出しすぎたみたいで。いつしか人間からも、魔族からも、魔王と呼ばれるようになってしまったんだ。まあ、生贄の方からやってきてくれるようになったのは、楽で良かったけど」

「どうして……平然とそんなことが言えるんですか!?」

「だって……私の中ではもう、君以外の存在なんて等しく無価値にしか感じないんだ。それに、私が救った世界と人間たちなんだ、生かすも殺すも、私の自由にしていいと思わないかい?」

「そんな……」

 勇者様は、変わってしまった。

 きっと、私のせいだ。私があの時、死んでしまったから…… 彼女は、狂ってしまった。だったら、私は……

「わかってる……そんなの、君には受け入れられないよね。だから……君はただ私の側に居てくれれば良いんだ…… 君は、何もしないでいい」

「いいえ、勇者様…… 私も、手伝います…… また、貴女の役に立ちたいから……」

「本当に……いいの?」

「もちろんです!」

「そうか…… ありがとう」

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