あの場所と思い違い

 「なんでまた来たの?」


 俺は招かれざる客にそう言った。言うまでもなく俺の股間を蹴り、膝をつかせた女だ。


「なんとなく」


 彼女はそれだけ言って壁に身を預けていた。


 あの日から一月程が過ぎ、彼女は放課後この場所をたびたび訪れるようになった。


 最初の時みたいにはならない。なってたまるか。最近は他の不良も鳴りを潜めていた。去年の三年連中、今では卒業してしまった彼らの不良率が高かったらしい。


 間違っても俺の評判で誰も絡みに来なくなったわけではないと信じたい。


 彼女はここにきて何をするわけでもなく、壁にもたれかかって帰っていく。


 会話も今みたいな短いのが交わされるだけで終始無言の日もある。


 こいつは一体何がしたいのだろう。俺はその目的を図りかねていた。


 俺はというと彼女が気になっていた。唯一頻繁に接点を持っている女子だ、たいていの男は気にするもんなんじゃないか。


 俺は彼女と目が合わないうちに黙って文庫本に目を落とした。



 ここを訪れるようになって何日が過ぎただろう。


 私には彼が悪い人には思えなかった。あの子猫らしき猫が近所をうろうろしているのを目撃した。毛並みも綺麗に整えられ、誰かに飼われていることは私でも察した。


 その飼い主が彼なのかはわからなかったが。違うとしても飼い主を探したであろうことは予想できた。


 彼の質問に答えた通り、なんとなくここに来ている。私自身なぜ来ているのかを考えているところだ。


 とりあえず、彼を観察している。こんなところでタバコでも吸っていたのなら成敗してやるところだが。彼がたしなんでいるのは文庫本だ。


 何を読んでいるのだろう。カバーがかけられ表紙がわからない。少し見えた中身は字ばかりだった。


 意外と文学少年なのかな。そういえばテストの成績は私よりもいい。


 いつも私は沈黙に耐えられなくなって十分もしないうちに立ち去る。




 しばらく過ぎて、俺の周りの環境は変わった。彼女のおかげだった。クラス内でも影響力のある彼女と不良の俺というコンビはクラスの連中にウケたらしい。


 次第に俺の怖いイメージも薄くなり普通にクラスメイトと話ができるようになった。


 ……残念ながら他クラスにはまだ怖がられている。


 それでもいまだにこの体育館と校舎の間のスペースに通っていた。静かで本を読むのにいい場所だ。

 彼女もたまに来る。相変わらず無言で帰っていくが。


 不良扱いされて一人のままでいい、なんて。このまま中学を終えて、遠くの高校にでもいって、リセットしようとさえ思っていた。


 彼女のことが好きだと気が付いたのはいつだったのか。


 仲のいい友達、そんな周りの認識。彼女もそう思っているに過ぎないはずだ。


 彼女がその友達に見せる笑顔は俺を苦しくさせた。それは俺には向けたことのない表情かおだった。

 俺にはっきり向けたのは憤りと恐怖、その延長の泣きそうな顔。

 いまでも話をするとき顔が引きつっているような気がする。無理をして笑顔を作っているような。


 いまこの場所に彼女が来ていないことが苦しかった。


 今更好きだなんて恥ずかしくて言えなかった。


 このまま彼女を好きでいていいのだろうか。



 彼は思ったよりも不良ではなかった。一つの誤解であの立場に立たされていたらしい。

 その生活を一年以上も続けていたのだ。あの時の少しおびえていた眼にも納得がいった。


 私の助力は些細ささいなものだったと思う。ただみんなの前で彼と会話を繰り替えしただけだ。


 それだけでみんなは彼の人間性が少しずつ分かったようだった。


 つ、付き合ってるとかそんな噂が立ったりしたけど、不思議と嫌じゃなかった。もちろん否定はしたけど。


 ないない有り得ないって。天地がひっくり返ってもって、慌てて言っちゃった。


 彼は少し寂しそうな眼をして、私はそんな彼を見て、最初に声を掛けた時くらい鼓動が鳴っているのに気が付いた。


 猫を見るたび、あの時タオルで子猫を拭いてあげていた彼の優しい顔を思い出して顔が熱くなった。


 自宅の猫を見た時もたまにそうなってママにからかわれて気が付いた。


 私は彼が好き。


 でも彼は私をきっと好きじゃない。第一、彼と向き合っているとき私はどんな顔をしているのだろう。なんだか顔に力が入っている気がするから、きっといい顔じゃない。


 怒鳴るし、あそこは蹴るしで客観的に見ると私は怖い女の子だった。


 だから最近は猫を見るとあの顔を思い出して少し寂しくなった。

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彼と彼女と子猫の話 西東惟助 @NHS

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