第53話   気がつかなくって、ホントにごめんね

 第52話「入院しちゃった」を書き上げて、更新ボタンを押す時に一瞬迷いがあった。退院してまだそれほど経たないうちに、あれこれ経験したことを少し興奮気味で書いた文章を読み返してみると、何度読んでもこの部分はどうなんだろう、削除した方がいいだろうか、ちょっとふざけているぞと思われないだろうか、・・と思えてずいぶんと時間が過ぎた。


 お産で入院してから四十年以上も過ぎているから、入院なんてほぼ初めての経験といえそうなので、そのせいか呑気な私は病気のことは少し忘れ気味で、遠足を待つ子供並みに張り切っていて娘に呆れられていた。気楽さ加減は入院前からそうだったし、退院してからもそうなのだから、やはりどうかしていると言われても仕方ない私だった。


 

 退院して何日か後に、台所で作業をする娘の背中に向かって、入院の初日に姿を見せてくれた富士山に感激したことや、看護師さん達のまめまめしく動き回る姿に感動したことや、H先生への信頼が更に増したことなどを熱く語り込んだ。そのうち話が進むと、心電図やエコー検査などで何度も裸の胸を見せたことや、剃毛のことや手術台で丸裸になって情けなかったこと等を一気に語った。


 PC画面の第52話の原稿をなぞりながら、これらのエピソードが読む人に不快に思われはしないだろうかと尋ねると、いつの間にかそこにいた筈の娘の姿が見えなくなっていて、何だか鼻をすするような音だけが聞こえていた。かまわずに少し声を上げて又どうだろうかと聞き直すと今度ははっきりと、それが泣きながら鼻をかんでいる音だと分かった。


 台所の隅でしゃがみこんで泣いている娘の姿を見て、こんなにも娘に心配かけてしまっていたのかと、その時になってやっと鈍い母親だったことに気づかされた。すると、よくよく考えてみればそうだったのか、と思うことが幾つも思い浮かんだ。細々とした持ち物をコンパクトに袋に詰め、上手いでしょうと得意気に見せつけたり、入院中にはこんなことやあんなことをするつもりだと楽しげに話すと、全く呑気な人だおめでたい人だ、などと呆れられ笑われたが、さぞ娘にはそんな呑気なこと言ってる場合かと、内心では腹立たしい気持ちだったことだろう。


 カテーテルアブレーションなどと馴染みのない言葉にも、不安な気持ちが増したかも知れない。H先生から詳しく説明を受けて安心しきっている私に、必ずしも安心安全イコール絶対大丈夫とは限らない、と何度も念を押すように言ってくれていたのは、私があまりにもH先生を過信していると思ってのことだろう。信頼が大切なのは当然だけれど、高齢が故に不測の事態が起きるかも知れないという心配の方が、娘にはより重大なことだったようだ。


 そんな娘の気持ちも知らず、私は退院した翌日にYouTubeで、心房細動アブレーションが実際に行われている映像を見て、自分の身体にこんなことがなされたのかと感動し、娘にも見るように勧めると厳しい返事が返ってきた。入院の数日前から医療ドラマを何本も見、帰宅してからもこうやって手術の映像が見られるという神経を、娘は怒っているようだった。


 娘には自分がどれほど心配し、心細く不安で苦しかった胸の内など、わからないだろうと不愉快そうだった。が、娘にそのような気持ちにさせてしまったことには二つの理由があった。一つには心臓が予想以上に痛んでいて、焼灼部分が一か所の予定から急きょ二か所になり、終了予定時間が延びてしまったこと。もう一つは数年前に起きた腹腔鏡手術での死亡事件が、あまりにも衝撃的だったことだ。これは二人の医師が患者に対して行った手術時の、想像を絶する不謹慎な様子や死に至った状況が、マスコミに暴露され大きなニュースとなったものである。その不埒な医師の行為のせいで、自分はどんなことがあっても絶対に手術はしたくないと、手術に異常なまでに不安を感じるようになっていたからだ。


 私はH先生は絶対に信頼のおける医師だし、命にかかわる大手術ではないからと、安心してもらっていたつもりだったのに、不安が物事全てを悪い方に考えさせてしまったようで、待つ時間が延びていくうちに不安が募り、娘はH先生の腕さえも疑ってしまったようで、あんなにも先生を信頼していた母親だったのに可哀そうと、哀れで仕方なかったという。やっと無事終了の報告を受けホッとしたら今度は、年老いた母親を置いて心配な気持ちを抱えながら、一人で帰る時の切なさがどれほどだったことか。それらの色々な感情は、そんな呑気な人にはわからないでしょう、と涙する。


 本当にそうだ、そうだよね。聞けば聞くほど、自分は大丈夫と気楽に考えていたことが恥ずかしい。高齢で心臓が悪いと聞けば、誰だって心配なことだろう。娘の心配をおもんぱかることのなかった私は、大いに反省せねばなるまい。当分は手術の話は聞きたくないし、医療ドラマも一切見たくないと言われている。なのに私ときたら娘には申し訳ないが、娘のすぐ傍でまた平気で医療ドラマも手術シーンも見るし、数か月後に予定されている婦人科の手術の情報もこっそりスマホで調べている。ゴメンねと心で謝りながらの懲りないローバなのであります。



 


 

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