第44話   リヤカー

 コロナがある程度落ち着いて、観光地がまた沢山の人で賑わうようになった。テレビで浅草寺の風景を見ていたら、この酷暑の中を人力車を引いて走る姿が映った。じっとして居るだけでさえ暑いのに、人を乗せて走るなんて何と大変な仕事。そう思いながら見ていたら、その車夫さんの姿に落語「反対俥」の威勢の良すぎる車夫を思い出した。


 「反対俥」に出てくる暴走車夫のスピードの何と早いこと早いこと。あんな車夫の俥になんざ乗るもんじゃないな、と演者の仕草を思い出しながらいると、次第に車夫の姿が中学生のきみちゃんに変わっていった。タッタッタッタッ・・と車夫の韋駄天の走りから、ノロノロ、ヨロヨロとまるでカメの如く、それはもう走りではなくのんびりとした歩みだ。


 では私きみちゃんは人力車を引いているのか、と言えばそうではなく引いているのはリヤカーだ。ひょんなことから、ろくに経験もないリヤカー引きをすることになってしまった私。しかも真夏の陽の高い一番暑い時間ときては、やはり無茶もいいところだった。60年ほど経った今でも思い出すと、大変だったことが蘇ってくる。


 私が子供の頃は当然ケータイなどはなく、電話がない家もざらだった。だから呼び出し電話といって、電話のない人に用がある場合には、近所の電話のあるお宅に電話をかけて、相手を呼んで来てもらって話をするという時代だった。子供の私はよくその呼び出し役に使われていた。


 今にして思えば、よくもまぁ遠くまで呼びに行っていたものだし、また頼んだ方も相手が来る迄ずっと気長に待っていたものだと、緩やかな時代を懐かしく思い出す。呼び出しが度重なると取れた魚など何かしらのお礼を頂き、それに対して石鹸やマッチ等のちょっとした必需品のお返しをしたものだった。竈でご飯を炊いてた時代だからだが、マッチなど殆ど利用することのない今、そんなものを?と不思議に思える人が殆どだろう。


 さて、きみちゃんが車夫になったのは、こんな電話事情からのことだった。中学2年の夏休みのこと。朝の涼しいうちは家に何人もの物売りの人がやって来た。漁師町にある我が家から遠く離れた農家の人が、採りたての野菜や花などを売りに来る。そのやり取りの声を奥の涼しい座敷でろくに手伝いもせず、ゴロゴロしながらぼんやり聞いているのがいつものことだった。


 そんな時、玄関で先ほど花を買ったお婆さんと母の話す声が聞こえて、何やら困った様子が伝わって来た。商い中に足を挫いたらしく、迎えに来てくれるよう家に電話をしてほしいと頼んでいる。母が電話すると家の人はみな留守で連絡が取れず、近所の何軒かにもかけてみたがダメだった。現在のようにケータイがある訳でもないから全くのお手上げで、見かねた私がリヤカーを引いて送って行くことになった。


 何かと私を心配する母が、痩せっぽでヒョロヒョロの、そして一度も物を乗せたリヤカーなど引いた経験のない私を、よく送り出したものだと思う。案の定、出発しようとしてお婆さんが乗った途端に、リヤカーの引手を掴んだ私の身体が少し浮き上がってしまった。


 こんなことで果たしてお婆さんの家まで、無事に着くことが出来るだろうか。お婆さんと売れ残りの野菜や花と山ほどの心配を乗せて、どうにかこうにか出発することが出来た。数十メートル行く度にお婆さんは「悪いなぁ姉ちゃん」と言っていたのが、次第に「姉ちゃん、大丈夫だかや」の心配声に変わっていき、私も「ぜんぜん大丈夫です」から、か細い「はい」とか「うん」の一言だけになり、終いには二人とも無言になった。


 まるで綱渡りでもしているかのような足取りで、私の町を通り抜けると二手に分かれた道に出た。右に行ったら中学校だ、もうすぐバレーの練習が始まるのに・・などと考えながら歩いていると、後ろのお婆さんが静かになってどうやら眠っているような気配だ。のんびりトロトロのリズムが眠気を誘うのか、朝早くから働いて疲れが出たのだろうか。


 だいぶ進んで行くと海辺の道に出た。日差しがますます強くなり疲れも酷くなってきた。途中に車が何台も通ったが、助けてもらえる人には一人も出逢えなかった。疲れが増すごとに何でこうなったんだろう、出来もしないくせに簡単に引き受けてしまって、と自分を責めてばかりいた。


 海は凪いでいて遠くにヨットの帆が幾つか見え、楽しそうに泳いでいる人達も見えた。風はそよとも吹かないし強さを増した太陽で頭も暑く、流れる汗が目に沁みてぼうっとしだした。それでも我慢して歩いていると、目覚めたお婆さんから右へ曲がって坂を上るよう指示が出た。疲れがピークになってからの登りはきつい。いつもならここで泣き言を言ったらお役御免になるのにと、背後のお婆さんには見えないのをいいことに、半べそをかきながらノロノロ上っていると、向こうからオートバイに乗った少年が近づいて来た。


「ばあちゃん、どうした」

「足ぃ挫いて歩けんのんや。電話してもだあれもおりゃせんし、姉ちゃんに送ってもろおとるのんや」

「あ~みんな畑だしなぁ。よし、俺これ届けたらすぐ来るからな、待っとれや」


 この会話を聞いた車夫きみちゃんは、彼が天から遣わされた人かのように思えて急に元気が出た。けれども坂道はまだ続いていて、涙混じりの汗は更にひどく流れて止まらなかった。


 少年が戻って来てリヤカーの引手をバイクの荷台に繋げて引いて行ったのか、お婆さんを後ろの座席に乗せて走って行ったのかどうかは記憶にはない。そしてその後はどうやって帰ったのか、母がどんな様子で私を迎えたのかも記憶にない。くたびれきった私は家に着くなり眠ってしまって、目が覚めたのは深夜になってからだった。台所にはお婆さんからのお礼の野菜が山積みされて待っていた。



 そんな思い出話をすると、驚いたことにリヤカーを知らない者がいた。次男はあまりものを知らないせいかあやふやだったし、孫はどんなカー?と想像もできない。それも仕方のないことか。私でも上京して以来殆ど見かけたことがなかったのだから。



 しかし今では鉄のフレームがアルミニュームになり、更に進化して半分に折りたためるリヤカーも出来ている。災害時にはリヤカーは活躍する道具であるし、警察や消防、消防団等々では非常時用に備えられているそうだ。私の近辺では見かけることはないが、今でも農業や漁業の場などでは大いに役立っていることだろう。



 リヤカーを知らない子供達にしてみれば、炊飯器の登場で竈やお釜を知らないのと同じように、軽トラックにすっかり出番を取られてしまったのがリヤカーかも知れない。成る程なぁと感心するローバは、もはや遠くなってしまった昭和の思い出話をするお婆さんになったようだ。

「むかあし昔、ローバが子供だった頃・・」などと練習しようか。そんなことを思うローバなのであります。

 


 

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