第41話   火傷

「かちかち山」のたぬきはかわいそうだとずっと思ってきた。例えどんなに悪いことをしでかしたとはいえ、何も背中に火をつけて火傷をおわせ、その傷の治りきらないところに唐辛子入りの味噌を塗り込むことなどしなくっても、とずっと思い続けていた。


 背中に火が入って火傷をしたことのある身の私は、子供心にもこのたぬきさんは気の毒で仕方なかった。しかし、今回41話を書くにあたって「かちかち山」を何十年ぶりかで読んでみて、そりゃぁないわ、こんな性悪だぬきの肩を持っていた私は何と愚かなことか、と思い知らされた。


 子供の頃に読んだ「かちかち山」には、たぬき汁にされる筈のたぬきが反対に、お婆さんを殺して婆汁にしてしまい、それをお爺さんに食べさせ、あげくの果てに証拠となる骨までも見せつけて喜ぶ、という残酷さまでは書かれていなかった。これでは敵討ちをするウサギにも相当痛めつけられて、最後には泥舟とともに海に沈んで死んでしまうという結末も仕方あるまいと思う。


 同じ火傷でもこのたぬきにはそれだけの理由があったからだが、私はどうだったかと言われれば、取るに足らないほんの小さなきっかけから起こった火傷であった。


 

 幼い頃から泣き虫で甘ったれの私は、よく「泣きみその甘さり」とからかわれていた。ちょっとしたことにもメソメソ泣いて「甘さりだすけん、すぐ泣く」とよく呆れられていた。その頃、女の子達の間では誰かが泣くと、それは自分のせい?と「🎶 親も子もながれんなや 私だったらかんねん(勘弁)や~」という歌を歌ったものだった。思えば妙ちきりんな歌だけれど、こんな年になった今でも口ずさめるのだから不思議だ。



 私が小学校低学年の頃のこと。自分達の家の近所の卒業生の為に「六年生を送る会」というのがあって、町内のあちこちで子供達が集まり、会で披露する歌や踊りや寸劇等の練習が行われていた。近くの水産加工を営む家が練習場となり、大人の留守の家で皆で練習に励んだ。そんな中で、甘さりで泣きみその私はいつものようにメソメソ泣いていた。女の子達の例の♬ 親~も子~もながれんなや・・が歌われていた。火傷をしたのはそんな時のことだった。



 昔はどこの家でも竈で煮炊きをしていた。調理が終わると竈には薪の燃え残りが炭となって残るので(消し炭という)炬燵やコンロの火として利用する場合は、それを十能(炭や灰を運ぶ道具)に入れて運んだりした。


 皆で集まっていた所に、その家の従業員の子供が炬燵に運ぶ為に、十能に入れた消し炭を持って通りかかった。私は迷曲♬ 親も子もながれんなや~ を聞きながら、誰かがその子に言った「甘さりの泣きみそに、その火ぃ入れてやれや~」の言葉を聞いた。



 常々すぐ風邪をひく私は、その時は風邪気味だったので、母が暖かな着物を着せて送り出してくれていた。今にして思えば大して泣きたいことでもなく「甘ったれのかまってちゃん」がメソメソ泣いていたのだろう。私はうつ向いて泣いていたから着物の衿首は開いていて、そこに男の子が炭を入れる真似をした。ただそれだけのことだったのに、運悪く消し炭の一欠けらが十能からポトンと落ちて入ってしまったのだった。



 遠い遠い昔の事でよくは覚えていないのだが、きっとメソメソから大泣きに変わったのだろう。大騒ぎになって皆は走って私を家に連れて行った。私は走りながら泣きながら「きみこを泣かすと、母ちゃんがおっかねえぞ~」と誰かが真剣に叫んでいるのを聞いた。


 家に着くと私の泣き声に驚いた母が、何があったのかを聞いたが誰も何も言えずに静かだった。

「黙っとッたらわからん、なんも言わんきゃ警察に来てもらうぞ」と言う言葉に、やっと説明が始まった。あまりの驚きに「何で早よぅ言わん」と母は怒鳴りながら、素早く裸にさせて消し炭を除いてくれた。



 色んな記憶は薄れてしまったけれど、かかりつけの先生から背中に薬を塗ってもらっている光景だけは、今でもはっきりと目に浮かぶ。背中を向けている者に薬を塗るその様子が、火傷を負ったたぬきの背中に、唐辛子味噌を塗りつけているウサギの絵と重なるから、私は憐みの心で長年たぬきさんに同情し続けていたようだった。



 さぞ熱かったろう、痛かったろうと家族が言ってくれる度に、甘さりの泣きみそきみちゃんはより甘さって泣いた。夜遅くに男の子は父親に連れられて謝りに来た。

「消し炭だったから良かった。これが固炭だったらどうなったことか・・」

「まるで火がついたように泣くって言うけど、ほんとに火がついとったんでびっくりしたわぁ・・」

と言う会話が聞こえ、それから母が隣の部屋にいた私の傍に来て、そっと言った。


「きみこや、〇〇はお母ちゃんが死んでおらんようなって可愛そうなんだが。わかるだろ、かんねんしてやれや、なっ」

火傷の痛さは中学生の頃にはすっかり忘れてしまっている位なのに、何故か母のこの言葉は今も耳に残っている。親子の前に連れて行かれて父親に謝罪された私は、グッと平気を装って「ちっとも、いっとうねえし(痛くないし)」とサラリと答えた。



 我が家の茶の間には囲炉裏があり、そこで2人の姉がよくお点前の練習をしていた。そこで使われる炭は固炭(かたずみ・しっかり焼かれた硬い炭)で、もしも私の背中に入った炭がこの固炭だったらどうだったろうと考えるとゾッとする。怒られるのを恐れた皆が、いつまでも事情を話さずにいる間じゅう、固炭が燃え続けていたら、軽い火傷では済まなかっただろう。



 背中の火傷の跡は肩から少し下あたりで、醜い引きつれにはならずに済んだ。合わせ鏡でなければ自分で見ることも出来なかったからよかったが、もし手足や簡単に目に止まる場所だったら、傷跡を見る度に辛くなったことだろう。人に見られて何か言われたらどうしようなどと、余計な心配もしたかも知れないし、悪いことでもないのに引け目を感じたりして、卑屈な人になっていたかも知れない。そう思うと、火傷の場所も程度も全てが不幸中の幸いで済んでありがたかった。



 それからもずっと傷跡については、誰からも何も言われたことはなかった。気にして過ごすこともなく時が経っていくうちに、体も大きくなって傷跡も伸びたせいか、ほぼ分からない程になっていった。体がふくよかになるにつれ跡も薄っすらとしだし、今ではどこにあったかも分からない程で、太るのも中々いいものだと妙に感心している。


 現在のローバはといえば、たぬきさんへの消えてしまった同情に変わって、今度はお腹の太さで親近感を感じ、毎晩のように夕食後にはご機嫌で、ポンポコポンポコと腹鼓を鳴らしている。超満腹の皮が破れないようにと気を付けながらね。


「かちかち山」という教訓的な名作昔話から、どういう訳か何の為にもならない話に逸れてしまった迷作「古だぬきに化けた火傷のお婆さん」というお話は、はいこれで、おしま~い。

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